アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

ROCK THE REBEL/METAL THE DEVIL

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「言葉は耳から頭へいくが、声は耳から胸にくる」
By 小田島雄志

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*あけますか?あけませんか?
 秋≧春>冬>夏。オープンカーで過ごしやすい季節を四季で並べると、丁度こんな感じである。春は冬の寒さが結構残ってて厳しいけど、秋は夏の暖かさが幾分か残るから気候的に丁度良いのである。オープンカー乗った事の無いロンマニアの方は「冬>夏」に驚くだろうけど、マジな話である。クルマに乗ってなくとも、エアコン無くとも冬の寒さは厚着する事で凌げるけど、夏は幾ら脱いでもエアコン無しでは限界があるが、ソレと同じである。上着を着て、ニットキャップ等の暖かい帽子を被って、窓を全閉にしてエアコンを強めに焚けば、結構快適に屋根を開けられちゃうのである。


コペンというオープンカーを冬の青森で楽しむアイテム飛行帽

 窓を閉じてエアコン炊けば、車内はソレなりに暖かくなるのである。ただ唯一、頭だけは走行風に晒されてしまうのである。だからニットキャップみたいな暖かい帽子を被り、耳を覆うモンを身に着け、首周りをマフラーで巻けば、走行風もしのげるのである。その他、天気や気温毎のワタクシの判断基準はこんな感じである:

だから今の時期ってのは、オープンカー乗るには最悪の季節なのである。開けられないのは勿論の事、ココまで暑いと幌が熱されてしまうからである。幌自身が黒いから熱を吸収し易く、オマケに遮熱材も全く無い→幌の熱がモロに車内に入ってくるから、エアコンが効かんのである(-_-;)でもってNDの場合、軽量化目的でコンプレッサーまでも小さい→エアコンの効きが元々悪いので、エアコン全開にしても全然涼しくならんのである(;´д`)ゞ

*まるめますか?まるめませんか?
 だからこの時期、甲子園で熱戦を繰り広げている球児ってマジで凄いと思うのである(^_^;)その高校球児に関して【甲子園球児の髪型、強制は少数でも87%が丸刈り】って記事があって、あたかも丸刈りが悪い事の様に書かれているのであるが、正直ワタクシは何故丸刈りが悪く言われるのかが分からんのである。つーのも丸刈りってのはメリットの非常に多い優れた髪型だからである。簡単に言っても、こんだけのメリットがあるのである:

  • 手入れが非常に簡単。洗って拭けばソレでお終いで、乾かす必要も整える必要も無い
  • コストパフォーマンスが非常に優秀。専用のバリカンだけ買えば散髪代は一切要らないし、シャンプーも少量で済むし、ドライヤーも必要無い
  • 意外と清潔感があるので、コミュニケーションの円滑効果もある

そう、丸刈りに対する偏見と抵抗さえ取り除ければ、丸刈りというのは頭髪に関する悩みの殆どを一瞬にして解決してしまう魔法の髪型なのである(笑)ワタクシもやった事があるから分かるのであるが、一度丸刈りにすると、ハゲに悩む事や髪型のトレンドに右往左往する事のバカバカしさをこの上なく理解してしまうのである(爆)


第101回全国高校野球選手権大会 開会式 ノーカットフル 2019年8月6日 参加49代表校が入場行進

 だから「球児達の大多数が未だ丸刈り」って言われても、ワタクシは然程違和感を感じてないのである。何故かと言えば、やきうに限らずスポーツするにおいて、丸刈りは非常に理に適った髪型だからである。どんなに激しく動き回っても髪の毛がジャマにならないし、髪の毛が少ない分だけ冷却効率もアップするし、髪の毛という重量物を切り落とす事による軽量化効果も見込めるのである(笑)無論、中には丸刈りを強制してるトコもあるだろうし、イヤがる人に強制するのはアレだけど、でも丸刈りを自主的に選んだとしてもスポーツ選手なら何ら不思議ではないとワタクシは考えるのである。


名門 明訓野球部が決断!脱・丸刈りの狙いは

 無論、上記にもあるように、イヤがる人に強制するのはワタクシ的にもNGである。髪を伸ばそうが丸刈りにしようが、各々の自由意思で選択すればいいのである。ワタクシはただ単に「丸刈り≒悪」的なイメージに疑問を呈しているだけである。てゆーか、丸刈りはもっと流行っても良いとすら思ってるのである(笑)だって考えてみてほしいのである、シャンプーや床屋や育毛剤に使うカネを自由に使えるというだけで、どんだけニッポン経済が潤うかという事をである(爆)そう、丸刈りこそは衰退の危機に瀕してるニッポン経済における、ニッポン史上最高の経済起爆剤なのである(核爆)

*デメりますか?デメりませんか?
 良い事づくめの丸刈りだけど、欠点が無いワケではないのである。一番の欠点はやっぱ何と言っても「直射日光に弱い」って事である。経験の無いロンマニアの方には分からんだろうけど、頭皮って思いの外良く焼けるのである(^_^;)何せ身体の他の部位とは違って、何処を向いたって直射日光を避けれないのである。だから日差しの強い夏にそのままの状態で出歩くと、あっという間に頭皮がガッツリ日焼けしてしまうのである。ハゲの人が帽子を被ってる事が多いのは、決してハゲてる事を恥じてるワケでも後ろめたく感じてるワケでもないって事、この際だから理解してほしいのである(笑)

 だから丸刈り状態で外を出歩こうと思ったら、夏は帽子が必須アイテムになるのである。ソレにさえ注意すれば、丸刈りライフはバラ色のモンとなる筈である(笑)でも今時のニッポン、特にサヨク界隈ってのは「丸刈り≒古き悪しき権威主義の象徴」に見立てて、丸刈りってだけで被害者に仕立て上げるのだから、嘆かわしいったらありゃしないのである┐( -"-)┌左右関係なく、重要なのは「国を良くする事」であり、古いモンを打倒する事は手段の一つにしか過ぎないのである、なのに何を勘違いしてるのか、アンシャンレジームを打倒すれば理想世界が自動的に樹立されるといった勘違いを・・・コレ以上は限が無いので(爆)お開きにしようと思う今日この頃であった。

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THE STRENGTH/THE SOUND/THE SONGS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「人は人間を着物を通して洞察せねばならない。そして、着物を無視することを学ばねばならない」
By トーマス・カーライル

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*職人大国の落とし穴
 何故21世紀以来ニッポンの産業がパッとしないかって、やっぱニッポンが職人気質を美徳としてるからだと思うのである。寿司職人の「新人は最低十年はお客様に寿司を出せない」ってヤツがソレだけど、縦社会の中で既存の技術を極め深めていく事にかけては優秀なのであるが、ソレがパラダイムシフトを引き起こすにあたっての足枷となってるのである。ちゅーのもニッポン式のやり方は「テクノロジーで横着するのは技術を極める上で害悪」って事になってるからである。ソレはソレで一理あるのであるが、ソコに拘り過ぎるとマジで有用なモンまでも見逃してしまうのである。


堀江貴文のQ&A「修行はいらない!?」〜vol.743〜

 でもってIT革命ってのは、正にその「横着するための技術」の集大成みたいなモンだからである。確かにン十年修行した熟練の職人が生み出すモンの価値は否定しないが、ソレより劣ってても3Dプリンターで同じ時間で1000個量産した方が断然儲かるしコストも大幅に下げられる。でもってワタクシの知る限りでも、高品質なモノホンを求める顧客ってのは実に少ないのである。伝統を守る為には、新技術を取り入れる事を恐れてはならないのである。保守と現状維持は全く別のシロモノなのであるが、ニッポンではソレが混同されてしまってる。まずソコを解決しなければとワタクシは思うのである。

*猛暑だ!熱中症だ!メタルTシャツだ!
 話は変わって、去年も結構酷かったが、今年も猛暑がシャレにならんのであるι(´Д`υ)ワタクシの覚えてる限り、ワタクシがガキの頃の”猛暑”ってシロモノは、きつくても30℃ぐらいしか無かったのであるが、ココ数年は当たり前のように35℃を超えてくるんだから、もう堪ったモンじゃないのである(-_-;)数年前までは暑苦しくて眠れないという事は滅多になかったのであるが、今じゃエアコン点けっぱなしじゃないと寝る事が出来ないんだから、シャレにならないってモンである。まぁ台風が通り過ぎれば高気圧も吹っ飛んで気温も大分落ち着くだろうから、あと数日の辛抱である。

 サブタイであるが、別に深い意味は無いのである(笑)ほぼ1年半に一回のペースで買い換えてるTシャツを、今回もまた購入したってだけの話である。何を買ったのかの話はするだけ無駄だと思うので、写真出した方が早そうである:


毎度の事だけど、悪趣味過ぎて大変申し訳ない次第である(笑)でもってコレ等のバンドのファンなのかと問われたら、答えは「ファンどころか、音源すら聴いた事無いのが殆ど」である(爆)大体この手のTシャツはデザインと感覚で決めちゃうんで、ファンかどうかは殆ど気にした事が無いのである。

 ところが今はネットで音楽聴く時代になったので、興味が無くても音源だけは聴く事が出来るし、ストリーミングに加入してれば実質無料でアルバムが手に入ってしまうのである。上記5バンドですら態々CDショップやアマゾンで買わなくても、即座に音源が手に入ってしまうのである:

The Anthropocene Extinction

The Anthropocene Extinction

  • Cattle Decapitation
  • メタル
  • ¥1500
Parallels of Infinite Torture

Parallels of Infinite Torture

  • Disgorge
  • メタル
  • ¥1500
Retribution

Retribution

  • Malevolent Creation
  • ロック
  • ¥1600
こうやってブログで紹介して、ロンマニアの皆様がワタクシんトコ経由で購入すればアフィリエイト収入がワタクシの懐に入る仕組みになってるので、臆することなくガンガン購入してほしいのである(笑)でもってもっと凄いのが、音質にさえ拘らなけりゃYouTubeでも聴けちゃうって事である:

Cattle Decapitation - The Anthropocene Extinction (FULL ALBUM 2015/HD)

Disgorge (USA) - Consume the Forsaken (FULL ALBUM)

Emperor - IX Equilibrium (Full album)

Malevolent Creation - The Ten Commandments (1991) Ultra HQ

Pungent Stench-Sick Bizarre Defaced Creation
ワタクシも一昔前までは「CDは買わないけど試聴機で新譜を聴いてみよう」って目的でCDショップに通ってたのであるが、ネットの方が充実して以来ソレもしなくなってしまったのである(^_^;)今のアナログレコードが辿っている道を、今度はCDが歩む事になると考えると、何だか胸が熱くなってくるのである(笑)

*人間は便利からは逃げられない
 こういう音楽の在り方が変わる事についてどう思うかと問われたら、ワタクシの答えは「便利なんだからしゃーない」である(笑)ワタクシは前々から言ってきた事であるが、人間というナマモノの歴史は利便性追求の歴史であり、人類はより便利なモンを追求する為ならばリスクを恐れないのである。ソレが人を傷つけると分かってても人間は火を克服し、電気を克服し、ソレを便利に使いこなしているのである。だからワタクシは、人間が原子力をモノにする時代は必ず来ると確信してるのである。何故なら原子力エネルギーは非常に強力であり、使いこなせれば間違いなく既存のエネルギーよりも遥かに便利だからである。


脱原発!代替エネルギー/常温固体核融合 by 日本のパラジウム合金技術

 でもって今時のネット中心の音楽の在り方ってのは、CDショップを何軒もハシゴしてた時代よりも間違いなく便利である(笑)だから既得権益の連中がどんなに頑張って食い止めようとも、この流れを止める事は絶対にできないとワタクシは確信する次第である。今邦楽界の連中は必死こいてネット流出をあの手この手で食い止めてるっぽいが、そんな事したってCDがン百万枚も売れてた時代は決して戻って来ないのである。全てを受け入れて新しい段階へ行くか、或いは古いやり方に拘ってズルズルと衰退していくか、令和はソレを分ける時代になるだろうと思う今日この頃であった。

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THE WORLD WE LEFT BEHIND

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「人間はなんといっても不合理だ。人間は自分の持っている自由は決して行使しないで、自分の持っていない自由を要求する彼らは、思索の自由を持っているが、表現の自由を要求する」
By セーレン・キルケゴール

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*現実主義者vs理想主義者
 数年前の話である、某記事に「ラッシュアワー時に赤ちゃんをベビーカーに載せて電車に乗るのはアリかナシか」ってって議論に対し、ワタクシは「ラッシュアワーを避けて電車に乗るか、或いはクルマ通勤にすべし」と答えたのである。確かに満員電車の人達が自主的に降りて開けてくれるのが理想だけど、現実はそうはいかないモンである。正しいという事と納得できるという事は別の話であり、そして人間は理論よりも感情でより強く動く。だから先ずは理想から離れてても良いから互いの妥協点を見つけて、ソコから徐々に理想へ向けて少しずつ歩み寄っていけば良いってのがワタクシの考えなのである。


満員電車のベビーカー問題【池袋なう】

 その事をSNSでところ、とあるサヨクいヤツに批判リプが来たのである。ワタクシは上記の考えを元に「ンな事言っても現実はそう簡単に変わらない」って言ったんだけど、ソイツは「現実がおかしい、正しいやり方に現実の方が従うべきだッ!」って返してきたのである。ワタクシは「どうやって?人々の心を一瞬にして変えれるような魔法の杖でもあるの?」と聞いたのだが、ソイツの答えは「そんなモン無いッ!正しい事なんだからそうするべきなんだッ!」って繰り返すだけである。最後の方でソイツは「貴方がどう反論しようとも、私の考えは変わらないッ!」って言ってきたので、ワタクシは「そんな貴方の考えをワタクシは尊重します」と返してお終いである。

*現実には限界がある
 ソレと同じ事を、今回起こった【ニッポンを侮辱したサヨクい展覧会が中止に追い込まれた】件についても言う次第である。確かに全ての言論の自由は保証されるべきだし、ソレを侵害しようとするヤツは処罰されるべきなのである。が、現実はそうはいかないってモンである。どんな対象だってソレを崇拝するヤツは必ず居るし、ソレをバカにされたら理性で考えるよりも先にキレてしまうし、キレたヤツの中にはテロ的行為に出るヤツも極少数ながら出てくるワケである。で、警察はそういうヤツから100%完璧に表現者を守り切れるであろうか。答えは「ノー」である。人権云々があるから警察は奥の奥まで踏み込めないし、警察が動くのは常に事が起こった後だからである。


テロ予告や脅迫も 「表現の不自由展」の中止で(19/08/05)

 そう、表現の自由を行使するって事は、そういう最悪の可能性を想定した上で行わなければいけないのである。例えばムハンマドコーランを揶揄するような表現をしたら、問答無用でイスラム原理主義過激派のテロリストが鉄砲と爆弾を携えてやって来るであろう。ソレは誰がどう考えても間違ってる事であるが、でも現実である。だからイスラムイスラム社会を揶揄したいのであれば、現実的に妥協した表現にならざるを得ないのである。たとえ「表現の自由を脅かす敵から表現者を守ってくれなかったッ!」といって国や警察をどんなに責めたとしても、テロリストの自爆攻撃で木っ端微塵になってしまった人はもう二度と帰ってこないのである。


哀しみに暮れるパリ① シャルリー・エブド襲撃事件

哀しみに暮れるパリ② シャルリー・エブド襲撃事件
 
 そう、表現の自由を行使するって口で言うのは簡単だけど、実際にやるのは大変なのである。流石にイスラム過激派のソレは極端な例だけど、何か特定のモンを鋭く攻撃する表現ってのは、その相手からの反撃を覚悟しておかなければならないのである。だから安易に何かをボロクソ扱き下ろすようなヤツってのを、ワタクシは殆ど全く評価してないのである。そういうヤツは表現の自由の怖さを分かってないバカか、相手から反撃されないからやってる卑怯者か、或いはその双方だからである。表現の自由は万能ではない。表現の自由を行使するのであれば、その事を決して忘れてはならないのである。

*正義の反対はまた別の正義
 この件の何が問題って、確かに表現の自由が侵害された事もそうであるが、もう一つは「物事を善悪二元論で捉えてる事」にあるとワタクシは思うのである。この事で主催者側を擁護するヤツの多くは「主催者は正しい事をしてるんだから、過激な表現も真摯に受け止めろ」って認識が強い事である。左だけでなく右側からの過激な表現があってもいい筈だと思うんだけど、何故だかソレが無い。何故そうなるかって、主催者が「右側の意見は悪」って決めつけちゃってるからである:

  • 我々の考えは正しい
  • 我々の考え通りに世の中を作れば、きっと全てが素晴らしい理想郷となる筈
  • 人々が「正義とは何か」を考えれば、きっと我々と同じ考えに至る筈
  • だから我々以外の思想の話を聞く必要なんてない
  • 正しい事なんだから、ソレを人々に伝えるために過激な方法を取ったとしても許されるべき
  • 正しい事を行った人の方法論が間違ってたとしても、その事を批判すべきではない
  • 強引に押し付けたとしても、結果的に良い方向になるのならば問題無い

という考えで主催してるのであるから、右側の表現なんて出てくる筈が無いのである。上記のワタクシのSNSカキコに凸してきたヤツも、恐らくこういう考えだったのであろう。だからワタクシは「どうせ分かり合えないけど、でも貴方がそういう考えを持つ権利はあるのだから、他者の権利を侵害しない限りワタクシはソレを尊重する」と答えた次第である。

 でもって繰り返し言うが、ワタクシはそのような善悪二元論を認めない次第である。何故ならその思想の行き着く先は、必ずと言って良いほど「自分等以外の思想の人間は皆滅ぼしてしまえ」になるからである。だってその方が余計な妥協も話し合いも不要だし、極めて”合理的”だからである。その事はワタクシが説明するまでもなく、古今東西の歴史が証明していることである。自由ってのは絶え間無い理想と現実のすり合わせと、自分や自分の仲間の身を守る為の不断の努力から成り立っており、故に「Freedom is not free(自由はタダではない)」と呼ばれているのだという事を再認識した今日この頃であった。

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SILENCING MACHINE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように」
By ラビンドラナート・タゴール

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*戦う人vs戦う自分が好きなヤツ
 戦ってる人間ってのは、世の中に2通りあるのである。ガチで勝ちたくて戦ってる人と、戦ってるテメェに自己陶酔してるヤツである。じゃあ、その2つを見極めるにはどうすればいいのか?答えは「負けを受け入れられるか否か」である。前者のガチで勝ちたがってる人は、勝つためには手段を選ばんのである。自分のイヤなトコを直視できるし、自分が間違ってた事も認められるし、必要があれば方向転換もするし妥協だってするのである。だからガチで勝ちたがってる人は人の話を素直に聞けるし、必要以上にムリはしないし、自分や仲間を大事にするのである。世の中は理不尽がデフォなんだから、柔軟性は必要なのである。

 だから結果が出なくてもやり方を一切変えないヤツってのは、戦ってるテメェに自己陶酔してるヤツなのである。そういうヤツにとって、勝った負けたは大した問題じゃないのである。ただ単に「自分は戦ってるんだッ!他の凡俗共とは違うんだッ!」っていう選民思想に憑りつかれていて、ソレを他人に評価される事に喜びを感じてるのである。そういうヤツにとって主義主張や美学を貫く事は、テメェの気高さをアピールするのに欠かせないため、決して妥協できないシロモノなのである:

「廃案!廃案!」 採決迫る安保法案、国会前で反対デモ
何故ニッポンのサヨクが何をどうやっても勝てないかって、つまりそういう事である。何回選挙に負けようとも連中がやり方を変えないのは、連中にとって選挙は勝つ事が目的なのではなく、権力と戦うテメェをアピールするための手段にしか過ぎないのである。そうやって”カッコ良い私”アピールをして、仲間内で褒め合って満足して、ソコで目的は達成されてるのである。だから「ガチで選挙に勝つにはどうしたらいいか?」を全く考えず、同じ事を繰り返してるのである。

*自由の責任と代償
 そのサヨク連中が何だか【愛知で表現の自由が云々】で憤慨してるようであるが、ワタクシはソレも全く信用していないのである。ワタクシは断言して良いが、憤慨してる連中は誰一人として表現の自由の為に戦おうとしないであろう。連中は「表現の自由が脅かされてるにも関わらず声を上げない羊のような凡俗共とは違い、堂々と声を上げる私カッコいいッ!」ってアピールするだけで満足してるのであり、やる事と言えば精々SNSで拡散するとか、役所や警察にクレームの電話入れるとかいった安全地帯からの安全な行動だけであり、リスクを伴う活動は絶対しない筈である。


アート巡り市長と“バトル” 発端は「少女像」(19/08/02)

 この件に関するワタクシの見解はサブタイにある通りで、表現の自由を行使するって事は、ソレ即ち行使した結果についても責任を負うという事なのである。いくら表現の自由だからってコーランを燃やすパフォーマンスをしたら、そりゃ身体に爆弾巻き付けたイスラム過激派テロリストがやって来るに決まってるのである。え”?ソレを保証して国民を守るのが国の義務だって?確かにそうかも知れないが、問題が一つある。ソレは「国にできる事には限界がある」って事である。国が義務を果たせなかったからって国を責めれば、テロリストのIEDで木っ端微塵になった人達が生き返るのかって話である。そういうのも含めて、表現の自由の行使には責任を負わなければならないのである。


津田大介氏「変更含め検討」 表現の不自由展、抗議殺到

 あともう一つ何が問題って、公共施設で公的スポンサーから公金を貰ってコレやってるって事である。コカ・コーラが広告出してる番組で「炭酸飲料は身体に毒だから飲むな」なんて言おうモンなら、言う分には自由だけど、その代償としてスポンサーを降りられるに決まってるって話である。芸術監督は「コレでまた表現の自由は後退した」とか言ってるらしいのだが、後退してるのは表現の自由ではなく、芸術監督の方なのである。ガチのマジで表現の自由が欲しけりゃ、戦うっきゃないのである。たとえ誰にも保証されなくても、目の前に山ほど危険が立ちはだかってても、あの手この手(無論、合法的&他人の主権を侵害せずに)でやりのける。その気概がなきゃやれんのである。

*正しい≠説得力
 そう、この件で主催者側を擁護してるヤツ等の何がダサいって、結局は「自分達は安全が保障されなきゃ表現の自由を行使できません」「俺達は権力をボロクソ扱き下ろすが、お前等権力は俺達を守れ」って主張してるトコにあるのである┐(´-`)┌他所の国で、権力に都合の悪い事を言ったら政治犯として収容されるようなトコで、ガチのマジで表現の自由の為に戦ってる人等からすれば「何言ってんだお前等、こんなに自由があるのにまだ不満なのか┐(´д`)┌」って言われてもしゃーないレベルの甘ったれである。だから人々の心にインパクトを与えられないし、同じ穴の狢以外は誰も同調しないのである。

 そう、正しい事は大事であるが、人を動かせるかどうかは別の話なのである。その悪い例がヒトラーであり、何故あんなメチャクチャな事言ってるのにドイツ人が熱狂したかって、説得力が半端無かったからである。ソレを「ヒトラーは邪悪だから何も学んではいけない」というのは正しいかも知れないが、ソレじゃ何も得られないのである:

Eine Rede von Adolf Hitler (アドルフ・ヒトラー氏の演説)
そう、もしもサヨクがガチのマジで政権を取りたいのであれば、ガチのマジで表現の自由を守りたいのであれば、手段を選んだりイデオロギーに拘ってはダメなのである。非合法的な事や他人の主権侵害はダメだという前提の上で、カッコ悪くても良いから確実な事をコツコツ積み重ねるっきゃないのである。その行為が、何時かは説得力を生み出すのである・・・という事を説得力皆無なワタクシが言うのもアレなんで(笑)さっさと寝るに限る今日この頃であった。

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ADDICTS: BLACK MEDDLE PART II

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「方向を間違えたり、やりすぎたりしないようにするには、まず”本当は重要でもなんでもない”1000のことに”ノー”と言う必要がある」
By スティーブ・ジョブズ

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*The本末転倒
 以前ワタクシがネタにした【ニュル北最速記録を叩き出したルノーのアレ】であるが、どうやら【記録更新したのと同じモデルが実際に販売される模様】である。ソレだけのタイム出すんだから余程のカスタマイズをしてるんだろうと思ってたのだが、ワタクシが想像してた以上の事をしてたって話である( ̄□ ̄;)カーボンボンネットと2シーター化は予想してたけど、流石に390mm径カーボンローターとカーボンホイールまでは予想できなかったのである(^_^;)何故ならソレは、ファミリーカーベースのクルマに付けるモンじゃないからである。

Renault Mégane R.S. Trophy-R 2019 Nürburgring Nordschleife lap record
ただココまでやってしまうと、こう思うロンマニアの方も居るのではないかと思ったのである。ソレは「953諭吉もするんだったら、R35買った方が良くね?」という事である(笑)ココまで色々と犠牲にしたクルマにこんだけのカネを払うぐらいだったら、ほぼ同額でフルノーマルでコレ以上のタイムを叩き出せるR35を買った方が色々と幸せになれるとワタクシは思うのである。

 そう、いくら何でもコレはやり過ぎだとワタクシは考えるのである。コレがブガッティやケーニグセグみたいな5桁諭吉する「所有してる事に意義があるクルマ」だったら、コストや実用性を度外視してまで彼是やるのは分かるのである。が、コレはFFのファミリーカーである。アピールすべき層はスーパーカー含むクルマを何台も所有してる富裕層ではなくて、コレの本来のメインターゲットである「クルマ一台しか持てないから、一台で色々できるクルマが欲しい(;´Д`)」的な人達なのではないかと思うのである。そういう人達にアピールしたいんだったら、ココまで日常性や利便性を犠牲にしては本末転倒ってヤツである。

*月色のGT-R
 まぁでもコレはサーキット走行を好むモタスポ愛好家向けに作ったモンではなく、迷車珍車を好むようなカーマニア向けに少数作る類のモンであろう。このクルマはユーザーがソレを実体感してワクテカするためのモンではなく、ただ単なるブランドや車種の宣伝のために作られたのであろう。ソレが悪い事だとは言わないが、何ちゅーか無粋だなぁって思うのである( ̄~ ̄)まぁソレは良いとして:

ココだけの話であるが、GT-Rの転換点は2022年になると予想されるのである。今回特集が組まれた20年モデルが最後のマイナーチェンジになり、ソレが2022年まで継続販売され、2022年にR35は生産終了になるってのがワタクシが知る限りのロードマップである。2022年以降にR36が出るのか否かは、残念ながら全く以て不明である。まぁその頃にはワタクシはもうR35降りてるだろうから、もう知ったこっちゃないのであるが(笑)

月色のインベーダー 1 (ヤングジャンプコミックス)

月色のインベーダー 1 (ヤングジャンプコミックス)

某質問箱】で「ラブコメ読んでる?」的な質問をされ、何だか急にラブコメが読みたくなって、某所の広告で見たコレの絵柄が気に入ったので、そのまんまデジタル版を購入した次第である(笑)ワタクシは常々「マンガは絵が8割」と言ってきたのであるが、ラブコメに至っては9割5分が絵である(笑)おにゃのこが可愛くないラブコメなんぞ、ターボを搭載していないRB26みたいなモンである(爆)

*限度は必要
 ワタクシは前々から言ってきたけど、FFってのは実用性の為にある駆動系式なのである。だから速いFF車を作る事は否定しないが、FFの良さをダメにしてしまっては本末転倒になってしまうのである。つまり、日常性や実用性との両立である。ソレが失われてるのも大きな問題であるが、もう一つ大きな問題があるのである。ソレは「ソレを超えて追求したら限が無くなる」という事である。今回は遂にファミリーカーにカーボンブレーキとカーボンホイールが装着されるまでに至ってしまったけど、次からどうなってしまうんだって話である。ニュル北のタイムってのは、削っていく以外の選択肢は無いのである。

 じゃあ次のクルマはドアやルーフやフェンダーまでもカーボンにして、窓も全部ポリカーボネートにして、タイヤも300サイズまで大きくするのかって話である。ニュル北7分30秒を切って、でも値段も1500諭吉までアップ。ソレ見て「凄ぇッ!欲しいッ!」って思えるのかって話である。ただ単にクルマを速くするだけなら、どんな手だってやろうと思えば出来ちゃうのである:

【新作】チューニングカー タイムアタック Attack Tsukuba 2019 Vol.1
ファミリーカーでソコまでやるぐらいだったら、素直にピュアスポーツカー選んだ方が長い目で見れば得するし、何より走ってて楽しいのである。そう、何事にもやり過ぎは禁物なのである。限度やルールって窮屈に感じられるけど、長い目で見ればソレが一番自由になれる。その事を再認識した今日この頃であった。

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ASSASSINS: BLACK MEDDLE PART I

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「本当に正しければ、いずれルールが変わっていく」
By 澤田秀雄

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*争いはネットの中だけで
 ワタクシはSNSで時折炎上するのであるが(笑)他者と言い争いする時にはルールを課しているのである。1つ、相手には敬意を払う事。2つ、火に油を注ぐような言動は慎む事。3つ、争いはSNS内の言論のみで終わらせる事。主にこの3つである。1と2は勿論、相手の敵意を宥めるためにする事である。3つ目の目的は、ソコに踏み入ったらリアルでの争いに発展するからである。リアル抗争になったらもう互いに引き返す事が出来なくなる→トコトンやる以外の選択肢が無くなるから、勝っても負けても少なからぬダメージを追う事になる上に、関係修復もほぼ不可能になってしまうからである。つまり、デメリットが余りにも大きいのである。


【出版記念講義】プライバシー権侵害

 あともう一つ、リアル抗争になる事の何が問題って、そうなると結局は力のある側が勝つ事になるのである。正義や正しい側が常に勝つのはフィクションの中の話であり、リアル社会はカネや権力を持ってる側が断然有利なのである。だからリアル抗争に持ち込んで「俺が正しいんだから他者もきっと味方してくれる筈ッ!」って思ったら、相手次第でとんでもないしっぺ返しを喰らうハメになってしまうのである。だからSNS内の争いってのは言葉の言い合いだけに留めておくべきであり、相手のリアルプライバシーを暴こうと考えないべきなのである。もし万が一リアルに波及したら、素直に弁護士なり何なりに相談するのがベターなのである。


*悪者になる為のルール
 話は変わって、梅雨もスッカリ終わって、ガッツリと暑い夏がやってきたのである。エアコン要らずで過ごせた梅雨からエアコン無しでは生活できない季節に一気に変わったんで、もう色々とシャレにならんのであるι(´Д`υ)でもってこの頃になるとスポーツの話題は甲子園一辺倒になり、今年もまた【ドラフト最大の目玉の投球回数が云々】ってニュースが出てきたのである。ワタクシはこの類の件についての見解は去年も述べたが「投球回数制限をルールで設けて、その代わりレギュラー枠を現行の18から28ぐらいまで拡大しろ」である。よーするに先発が足らなくなるのをオープナー&ブルペンデー戦術でしのげる様にする為である。


オープナー・ブルペンデー・ショートスターター。今流行りの戦術を解説

 確かに一部の強豪校以外が完投できる先発投手を複数育成したり獲得したりするのは困難だろうけど、1~2イニングだけなら全力で行けるリリーフ投手を複数用意するのは比較的簡単だと思うからである。確かに「選手が大事だから投球制限をするッ!」って言うのは簡単なのだが、ソレに伴うデメリットを補うための代替案を提示しなきゃ現場に受け入れられんと思ったからである。部員が足りないトコがあるなら複数校の連合チームや部員のレンタルが出来るようにすればいいし、伝統に拘らなければ柔軟に色んな考えを試しても良いんじゃないかと思うのである。


高校野球の現場から見た球数制限 佐々木朗希投手は決勝戦で投げるべきだったのか。

 ワタクシは以前から言ってる事であるが、頭の古いジジイ共の感動ポルノに付き合う必要なんか無いのである。こう書くと「エース君は良いけど、他の部員達はどうなるんだッ!」って反論されるだろうけど、ワタクシに言わせれば「でもそのエース君が居たからこそソコまで駒を進められたんだから、ソレでもまだ不満なの?」である。やきうは一人だけでやるモンではなく、チーム全員でやるモンである。たった1人のエースに依存してるって状況は、ソレ即ち優れたチームとは言い難いのである。だからエースを登板させずに負けたとしたら、ソレはチーム全員の責任でもあるのである。

*ノーモア下克上ポルノ
 結局この投球制限に反対するヤツってのは感動ポルノを楽しめないのもだけど、一番はやっぱり去年の金足農みたいに「あまり注目されてなかった弱いトコが強豪チームをバッタバッタなぎ倒して勝ち上がる」という、言い換えるなら”下克上ポルノ”を楽しめなくなるからじゃないかと思うのである。ニッポン人が感動ポルノを好むのは昔からであるが、ニッポン人はソレ以上に下克上ポルノが大好きなのである。弱いヤツ等が力を合わせて、強いヤツを気合と根性と作戦で倒す。そういう展開があるからこそ、ニッポン人は甲子園を愛するんじゃないかと思うのである。


甲子園準V金足農業ナイン 「おめでとう!」母校で大歓声

 でもって投球制限が出来てしまうと確かに選手たちは守られるかも知れないが、その代わり選手を揃えられない強豪校以外は勝てなくなるだろうし、部員を満足に揃えられない高校はスタートラインにすら立てない可能性が出てくるのである。だから感動ポルノや下克上ポルノが大好きなヤツは、球児がどうなろうとも「感動ッ!高校球児の夢ッ!」って押し通すのである。そう、高校やきうが好きなヤツの多くは純粋にやきうそのものが好きなのではなく、感動ポルノや下克上ポルノが大好きなのである。ソコを何とかしない限り、この問題は何時まで経っても解決しない。昨年に引き続き、今年もそう思う今日この頃であった。

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INSTINCT : DECAY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「自分らしくいる。自分でいる。自分を静かに保つ。自分を隠さない。自分でいることに力まない。自分をやたらに誇りもしない。同時に自分だけが被害者のように憐れみも貶めもしない。自分だけが大事と思わない癖をつける。自分を人と比べない。これらはすべて精神の姿勢のいい人の特徴である」
By 曽野綾子

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*5年で8割潰れる理由
 諸説色々あるから断定は出来んが、企業ってのは起業して5年で8割ぐらいは潰れるんだそうである。でもって次の5年で残った2割の中の8割前後が潰れるから、起業して10年経って残ってるのは4~5%ぐらいなんだそうである。何故そうなるかって、流行りモンに後から乗っかったんじゃもう遅いからである。流行ってから準備しても客は流行り元に粗方取られてるし、顧客も既に飽き始めてるし、顧客からも後追い扱いされて不利になるからである。だから儲けようと思ったら、流行り始めを察知して早く仕掛けるか、或いは自分で流行りを生み出すしかないのである。


【検証】渋谷・原宿で人気のタピオカミルクティー5種類飲み比べてみた

 流行を予測したり作り出したりする為に大金を投じるなんて、当然ギャンブル以外の何物でもないのである。だから起業して5年で8割潰れ、更に次の5年でも生き残った8割が潰れていくのである。ロンマニアの皆様の中で脱サラして大儲けしたいと考えてる方が居るのなら、この話と【脱サラしてタピオカドリンク店は絶対に失敗する】を読んでもう一度よく考えると良いのである。ワタクシも商売やってるロンマニアの方を何人か知っているのであるが、今やってる事でずっと食っていけるなんて誰も考えていないのである。常にアンテナを張り巡らせて、将来のプランを複数用意し、試行錯誤を絶えず繰り返しているのである。

*ユナイテッド被害者意識
 話は変わって、ワタクシが発達障害の当事者として当事者活動を時々やってるのは、ロンマニアの皆様もご存知の筈である。こういう少数派の地位向上活動の何が難しいって、被害者意識を克服する事が難しいのである。当事者って少なからず「私はその所為で健常者(多数派)に差別され虐げられたッ!」って気持ちを持っており、そしてその恨みを晴らしたいと少なからず思っているのである。でもって人間ってのは理性よりも感情で強く結びつき積極的に行動するモンであるから、声の大きさと団結力で理性派が感情派に押しやられてしまう事が間々あるのである(´ヘ`;)

 だから発達に限らず、ジェンダーだとかLGBTだとか、そういう少数派系の活動の感情派や急進派の声が取り上げられ易いのは、つまりそういう事である。特に今はSNS経由で”同志”を見つけやすくなってるので、より一層団結し易くなって声も更に大きくなるのである。カリフォルニアでつい最近起こった【マンホールの名称変更】もその所為じゃないかと思うのである:

'Manhole' becomes 'maintenance hole' as Berkeley switches to gender-neutral language
まぁサヨクいヤツの多いカリフォルニア州の中でも特にサヨクい地域であるが故に「バークレー民共和国」と呼ばれてるトコの話だとはいえ、やっぱやり過ぎ感が強過ぎるとワタクシは思うのである( ̄~ ̄)よーするにコレが少数派の多数派に対する「復讐」なのである。ジェンダーだとか差別だとか人権だとか、そういった反論が非常に困難なパワーワードを前面に押し出して、逆差別を押し付けて多数派を”正しい事”で困らせるのである。

 自分は差別も何もしてないって?ところがどっこい、被害者意識の強いヤツにとって可哀想な自分達を助けてくれない、何もしてくれないってのは、ソレ即ち加害者に加担したのと同様の扱いになってしまうのである。言い方は悪いが、テロリストが一般市民を巻き込むのと同じ理由である。ホントなら何もしてない多数派の人間は味方にしなきゃいけないのだけど、怨嗟とルサンチマンが上回ってしまうと理性がすっ飛んでしまうのである。活動すればするほどドン引きされて煙たがられ、ソレが「誰も分かってくれないッ!」って被害者意識を更に拗らせ、更に過激な行動に出て、後は悪循環である( ̄~ ̄)

*理性派の苦労
 でもってワタクシのような理性派の問題は何かって、とにかく団結したくないトコにあるのである(笑)発達の場合だとその手の当事者は健常者社会で健常者と上手くやれてる場合が多いので、仕事持ってたり趣味を楽しんだりしてるのである。普段は仕事に時間を取られてるし、休日は趣味でリフレッシュしたいんだから、そりゃ当事者イベントだとか当事者会とかに参加するヒマもモチベも無いに決まってるのである(爆)大概の事が一人でできるが故に、常に誰かと繋がって相互扶助する必要性に乏しいからこそ、逆に集まって要望を通すために声をデカくしようって発想に至らないのである。

 あとワタクシも結構やられたのであるが、理性的に話し合いする事を訴えると、ソレだけで”名誉健常者”扱いされるし、社会的な成功がある程度あるってだけで「ハイハイ、成功者様は何時だって上から目線ですね~┐(`Д´)┌」って言われてしまうのである。こう言っちゃアレなのであるが、そういう嫉妬が根底にあるから、感情派との話し合いは殆どの場合で決裂して終わりになってしまうのである。言っちゃアレだけど、どんなに正しさを主張しても、正しいだけじゃ世の中は変わらないのである。世の中を動かせるのはカネと力と、あと少しばかりの説得力。身も蓋もない話であるが、事実なんだからしゃーないと思う今日この頃であった。

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