アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

PROTECTED FROM REALITY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「こんなことをしてる場合じゃなくて、私は勉強しなくちゃいけないはずなんだって思っていても、ついやめられないでやってしまていること、それがその人の本当に好きなことなんだよ」

By 中谷彰宏


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*趣味人の矜持

 何かを大好きになるという事はどういうことか。ワタクシの答えは「ソレの為に自分を犠牲にできる事」である。ワタクシは昔の上司に「趣味はサバゲーです」と言って白い目で見られたりとか、あるいはサーキットで愛車を全損させてしまったりとか、趣味の分野で数え切れないぐらい散々な思いをしてきたのである(笑)でもソレをイヤになるどころか、益々以って好きになってる次第である。ワタクシは上記の散々な目に会う度に「もう二度とこんな思いはしたくないッ!」って思うのだが、その3分後には「二度と起こさないようにソレをするにはどうしたら良いか」を考えるのである(爆)何故そうなるかって、好きだからである。二度とやれない辛さを思えば、その程度の犠牲なんて大した事は無いのである。


 自分で言うのもアレなのであるが、ワタクシはソレを乗り越えてきたからこそ更にレベルアップしたし、レベルアップした事でより深くソレを知る事になり、ソコから益々好きになってくるのである。だから最近ネットで見つけた、このマンガに対する答えである:






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                   ∩___∩
                 /  ノ   \  ヽ
                 | ●    ● |   なに悲劇のヒロイン気取ってんの?
               彡   (_●_)    ミ
                /、   |∪|    ,\        この鮭の切り身やるから帰れよ
               /.|     ヽノ    | ヽ
            ,,/-―ー-、, --、   .|_,|
         r-、,'''";;:;;:;::;;;;:;;::;:;:;;::;:;`'- /_,l,,__ )
        |,,ノ;;:;r'" ̄ ゙̄^"`Y'-、;;;::;:;::;:;:;:;::;:|
         .ヽ,′       ;   `"";;;;;⌒゙')
          ´`゙'''''''''''‐-‐'"`‐-‐'"゛  `゙´
                   |  .‖ /
                 ("___|_`つ


・・・といったトコである(笑)既婚者のロンマニアの方に質問するが、もし誰かに「お前のダンナさん/カミさんはブサイクだな」って言われたら、貴方は旦那さん/奥さんを嫌いになって別れるであろうか。答えは言うまでも無く「断固としてノー」であり、ソレが大好きになるって事なのである。そう、この悲劇のヒロイン気取ってるコイツは、ホントはそのアニメの事を好きじゃなかったのである。


 実に簡単な話である。コイツは「このアニメが大好き」なのではなく「このアニメに夢中になれる自分が大好き」なのである。だからコイツにとって「そのアニメを褒められる」という事は、ソレ即ち「ソレを大好きな自分も間接的に褒められてる」って事になるのである。でもソレを友人が真っ向から否定した事により、コイツは「”否定意見のあるクソアニメを大好きなダサいヤツ”って他人に思われたくない」って考えたからこそ、その大好きなアニメを捨ててしまったのである。自分可愛さに自分の気持ちにウソをついて、ソレを友人や他人のせいにする。ふざけんのも大概にしやがれってのがワタクシの正直な感想である┐( ̄ヘ ̄)┌


*自己愛vs作品愛

 こう言っちゃなんだけど、アニメ含むこういう趣味のヤツって、この手のヤツが少なくないのである。最初は純粋に好きから始まるんだろうけど、同じようなモンを好きな他のヤツと交流するになってくと、その内「このグループの中で自分の立場を上げていきたいッ!」って思うようになるのである。そうすると何で立場を上げていくかといったら、作品愛で上げていくようになるのである。つまり「私はココまで好きになれるッ!そのためならココまでやれるッ!」って示す事で、グループ内の人間から「この人は凄いッ!この人には敵わないッ!」って思われる事で、自分のグループ内での立場が上がっていくのである。時にカネがかかる趣味の分野は、この傾向が強いのである。


 ワタクシはサバゲーとクルマやってるから、ホントこの手のヤツを多く見てきたのである。そういうヤツは確かにソレが好きなんだろうけど、ソレ以上にテメェ自身が好きになっているのである。痛車乗り回すヤツだとか、大金注ぎ込んで握手券を買い漁るヤツだとか、新車のお披露目オフ会やるヤツだとか、高額な実物装備を持ち込んで自慢するヤツだとか、そういうヤツは大概このパターンである。だからそういうヤツに出会って自慢話をされた時、ワタクシは「ワタクシも趣味人だからアンタの自慢するソレには興味あるけど、アンタ自身に興味は無い」って態度を取る事にしてる次第である。そうすれば、向こうの方から勝手に引っ込んでくれるからである。


*批判する権利と自由

 でも中には「そうは言っても、友人の態度は酷くない?」っていう人もいるだろうけど、ワタクシはそう思わない次第である。ちゅーのも批判ってのは、その事柄に関心があるからこそ言う事なのである。ワタクシが常日頃スバルやホンダをボロクソ言う&ダイハツいすゞの話を全然しないのも、つまりそーゆー事である(笑)あとソレが公開されたモンである&言論の自由がある以上、友人には自由にモノを言う権利があるのである:

とまぁ、こういう事である。あと大事なのは、その友人は「この作品の映画化は最悪だ」とは言ったけど、決して「コレを好きなヤツの気が知れない」とは言ってないのである。つまり作品に対する評価と、コイツに対する評価は別なのであり、ソレが人間関係じゃフツーなのである。寧ろワタクシは、ソコまで堂々とぶっちゃけられる友人は凄いと思うのである。コイツを信用してるからこそ、ソコまで堂々と言えるのである。もし友人がコイツに不信を持ってたら、ムダに刺激しないよう曖昧で控えめな態度になってたと思うのである。


 コレはワタクシが前々から言ってた事だけど、批判と否定は違うのである。批判ってのは、批判する対象に関心があって、ソレを良くしたいor良くなってもらいたいって願望があるからこそ言うのである。ムハンマドが「私にとって最高の友人とは、私を最も厳しく批判する者である」というのも、つまりそういう事である。そう、コイツは批判と否定の違いが分からないから、作品に対する批判をテメェへの否定と捉えて、ソレを作品や友人や他人にぶつけてるのである。ワタクシは断言しても良い、コイツは別の作品を好きになっても、今後も同じように使い捨てていくであろう、と。他人や社会のせいにする前に、先ずは自身を徹底的に磨き直す。その事を確信した今日この頃であった。