東京に帰ってきて、また新たな変化がありました、かかりつけの病院と主治医が松山記念病院のN先生から、現在の主治医である本多裕先生が理事長を務めるうつ病・統合失調症患者の心のケアを行う晴和病院 精神科・心療内科に変わりました、それに伴い診断も「真性過眠症」に変わりました。
だが仕事が順調に進んだわけではありません、まだ治療途中であったこともあり、過眠症の症状がぼちぼち現れます。医局は当時大学全体をも巻き込んだ一大医療ミス事件の当事者でした。そこで再び持病から来る”普通では考えられない凡ミス”をやらかしてしまいました。それ以降、心臓血管外科医としての義務は停止。以降研究部門という形で地下の研究室篭りとなりました。
最初はまだ「治れば戻れる」という希望の元研究を続けていましたが、その情熱も徐々に薄れてゆきました。いくら頑張ってもワタクシを(臨床に)戻す気配は一切無し。遂に堪忍の尾が切れたワタクシは医局長に直訴しました、ワタクシを戻す気があるのか無いのか、無いのならもうここには居られない」と。
結果は「主任教授が頸を縦に振らない」でした。復帰の条件として掲げたのが「病気の完治」でした。この過眠症という病気を御存知の方なら分かると思いますが、この病気は未だ根治術が見つかっておらず、薬物による対症療法のみが現在ある唯一の治療法です。つまり、「自分の目の黒いうちはお前を現場に戻さない」といっているのと一緒です。
別に主任教授を攻めるわけではありません。あの方は医局発の一大医療ミス事件に巻き込まれ土下座行脚の真っ最中、それに加え症例数の激減、医局員の流出、事件後に新たに起こった訴訟問題などで手一杯でしたから、「これ以上の問題は勘弁してくれ」という想いがあったのでしょう。
それに東京に戻ってくる前に、医局長が「自分はいいけど、周りの人間が・・・」といっていたこともあります。医局には依然昔のイメージのワタクシしか知らない人も居て、尚且つこの病気自体の知名度が低く、病気だと思っていない人、病気が何だか分かっていない人も多い事でしょう。心臓外科はチームワークが重要なのですが、こうした偏見、無知が残っている以上、この医局の中でやっていくのは無理だという決断に達し、ワタクシは断腸の想いで心臓外科の道を諦めました。
完全に未練が無いかと言われればウソになります。もう過ぎてしまったことに「もしも」は無いのですが、もしも心臓血管外科医局がワタクシに確実に専門医になるための道を保証し、尚且つ病気を理由にした不当な待遇をしない事を口約束ではなく違反罰則付きの誓約書に主任教授の名で署名してくれるのであれば、ワタクシはいつでも心臓血管外科に戻る準備があります。でも現実にはそれは不可能です。
地下室に篭っていた時、ワタクシはいつも考えていました、「この病気を完治できる手術があればいいのに」と。また「もしも」の話になるのですが、もしそんな手術が本当に逢ったら「これで過眠症は完全に治癒します、ただし死亡率は20%です」と言われても迷うことなくその手術を受けたでしょう。それが脳神経外科に惹かれた理由の一つでした。おごかましい考えかもしれませんが、「根治術が無いのなら、自らの手で編み出そう」というのが最大の動機です。
こうして2004年4月より過眠症医師ロンは現在の脳神経外科医局に入局となりました。まだまだ先は思いっきり長いのですが、いつかはナルコレプシー及びその類を自らの手で、と想い日々奮闘中です。
必要以上に長い駄文、最後まで付き合って頂きありがとうございますm(_ _)m。念のため言っておきますが、ワタクシ基本的には能天気な人間なので、どこんとこよろしくお願い致します(笑)
それではまた。