アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

WE ARE ALL WE HAVE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「否定と出会うことが出発点である」

By ジークムント・フロイト


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*FFである意義

 2015年はスポーツカー大躍進の年になりそうである( ^ω^ )特に今年のホンダに至っては、何と3車種も投入するんだから大したモンである。以前ネタにした【新型NSX】と【S660】に加え、今年の3月には【新型シビック・タイプRも披露される】んだそうである。マクラーレン・ホンダの復活を復活させて、ソレにあやかる形で大・中・小とスポ車を3種類揃えてきたんだから、そりゃ期待すんなってのがムリな話である。大はもうお目見えになって、小は間もなく発売で、でもって今回は中である:


でもって小耳に挟んだ話【最高速はFF最速の270km/h】なんだそうであるが、ワタクシの懸念はやっぱ変わらんのである。その懸念とは「わざわざFFで最速である事を前に出す意義は?」である。簡単な話である、FFで最速である事に、大した意義なんてないからである。同じ出力or同じ価格帯なら、FRかMRにした方が断然速い&断然楽しいからである。だから「FFで最速」って言われても「フーン( ´_ゝ`)だから何?」としか言い様が無いのである。チャリ買いにいって、ソコで「世界最速のママチャリ」なんてキャッチフレーズ掲げたママチャリ見て、心が揺さぶられるかって話である(笑)少しぐらい高くついてもロードバイククロスバイク買った方が断然楽しめるし、ワタクシだってそうする。


 こう言っちゃホンダ属性のあるロンマニアの方に対してアレなのであるが、どうもワタクシ的には「最速である事が目的になっちゃってるクルマ」って思えてしまうのである。通常ならクルマの速さってのは「より良いクルマを作って、その改善の結果としてサーキット走らせてみたら速かった」といった具合に、最速である事はオマケなのである。が、この新型シビックRの場合、まず最速記録を作るのが先って感じなのである。その結果タイヤが無暗に太くなったり、足がムダに固かったり、ローターやパッドが大型化して、街乗りで厳しくなるだけでなく維持費も高くつく。FFってのは本来、街乗りに最も適した駆動方式なのに、その利点を潰して速さを求めたら本末転倒だとワタクシは考えるのである。


ミクシィは超ご無沙汰

 話は変わって、一時期は存続が危ぶまれてたMixiであるが、何時の間にか【ソシャゲが大当たりして利益を上方修正した】んだそうである。そのニュース見てワタクシが真っ先に思ったのは「そーいえばミクシィ放ったらかしだった」なのである(笑)まだメンバーによる紹介制だった頃に当時のサバゲー仲間から招待されて、登録してコミュとかを増やしていって、その時は「自分の好きな事について、大勢でワイワイガヤガヤ楽しく語り合えるんだ(*^◯^*)」と思ったのであるが、いざ語り合ってみると誰も彼もテメェの言いたい事を一方的に言うだけで他人の話を全く聞かないし、兎に角盛り上がる事しか考えてないし、ノーって言うとキレる。正直な話、面倒臭いったらありゃしないのである┐( ̄ヘ ̄)┌


 よーするに、同意と共感と居場所が欲しいだけのヤツが余りにも多過ぎるのである。ワタクシは単にワタクシに関心がある事についての正否や優劣が知りたいだけであり、ソレ以上でもソレ以下でもないのである。でも当時のMixiに集まってた連中が欲しいのは「自分は間違ってない」っていう同意と、あと「自分は一人じゃない」っていう一体感と、ソレに「自分が自分で居られるトコ」としての居場所である。そんなモンは真実性も正義性もない、単なるエゴ以外の何でもなく、そしてワタクシは他人のエゴには全く興味が無い。当然の如くワタクシはMixiから離れていき、ブログやTwitterをリンクさせてる以外は完全放置である。こんなムダな遣り取りするぐらいなら、自分で出向いて探しに行った方が有意義だからである。


 ワタクシも似たような状況だったから分かるのであるが、Mixiが登場した時ってのは、ニッポンにまだSNSが定着してなかった頃の話である。リアルで色々あるヤツがネットで自分の”城”を築けるようになったら、考える事は一つである。ソレは「リアルでは上手くやってけなかったのは、自分の周囲に自分を理解してくれる人に恵まれなかったから、ココ(SNS)ならば、自分を理解してくれる人がきっと何処かに居る筈」って考えである。でもそういうヤツが言う「ホントの自分」ってのは、上記にもあるように単なるエゴ以外の何でもないのである。最初は共通の話題で楽しめるかも知れんが、徐々に妥協を知らない剥き出しのエゴとエゴがぶつかり合うようになるのである。


*違うけど好き

 今のワタクシがリアルでもネットでも掲げてるモットーは「貴方の事は大好きだ。でも貴方の志向や趣味は好きになれない事もある。ソレで良いなら仲良くしよう」って事である。そう、趣味や志向の方向性と、その人の人格の評価は、全く別モンなのである。てゆーかワタクシに言わせれば、価値観の全く違う人と話す方が断然面白いのである。ちゅーのもワタクシは興味が無い事柄に関しては「魅力が無い」のではなく「今のワタクシにはその魅力が理解できてないだけ」って考えるので、異なる趣向の魅力を知る人と話す事は、ワタクシの世界を押し広げる可能性になり得るからである。そして考え方の違う人と話す上で大事なのが「ソレでもやっぱり理解できなかった場合」であり、上記のように「理解できなくても尊敬し合おう」ってスタンスが重要なのである。


 そう、思想や趣味や志向ってのはあくまでその人の一部であり、全体じゃないからである。一部を否定したからって、全体の否定にはならんのである。でもSNSや趣味の世界に居場所を求めるようなヤツってのは「自分はその大きな流れの一部分であり、故に自分の全てなのである」って考えるから「趣味や志向の否定=自身の全人格の否定」って捉えてしまうから、テメェの意見に対する異論や反論で容易にキレてしまうってワケである┐(´∀`)┌もう一度言うが、リアルに居場所が無いヤツに、ネットで正しい居場所なんか作れっこないのである。サードプレイスに逃げる事は時として重要であるが、ソレはファーストプレイスやセカンドプレイスでの努力を放棄して良いというワケではない。つくづくそう思う今日この頃であった。