アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

IMMORTAL LEGACY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「説明などするな。味方であれば貴方を理解するし、敵であれば貴方を信用しない」

By エルバート・ハバード


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*関心の転換

 さて、今日はレースファンならば誰もが注目するであろう「世界三大レース」の1つである【ル・マン24時間レース】の決勝である。でもって、結果はご存じの通りポルシェが1-2フィニッシュを決めて、5連覇中の大正義アウディを下したワケである。やっぱ何ちゅーか、今のWECは非常に面白いのである。ワタクシはレース好きとしてではなくメカ好きの観点で見てるのだが、だからこそ面白いのである。レギュレーションの幅が非常に広いからワークス毎の個性がクッキリ現れるし、しかもレギュのバランスが良いから何処か一方に偏る事が無い。結果として各ワークス毎に全く違うマシンが出てくるから、機械好き的には「何故○○は××を△△にしたんだろうか?」って妄想膨らませて遊べるからである(笑)


 レースの感想であるが、ポルシェとアウディは”流石”としか言い様が無いのである。ポルシェはブランク開いたとはいえル・マン最多優勝を誇ってるチームらしく初参戦の昨年から短期間でシッカリとマシンを仕上げてきたし、アウディも近年の大正義チームだっただけあってレースマネジメントが完璧である。でもって、トヨタは昨年ホントに運が悪かったとしか言い様が無いのである(^_^;)Sオーナー曰く「もう去年の時点でトヨタのマシンは時代遅れだった。昨年は偶々アウディが良いマシンを作れなかったから勝てた」との事である。多分トヨタは「総合優勝しちゃった→去年のマシンのアップデートでおk」って考えてたら、アウディとポルシェがメチャクチャ進化してたってオチなんじゃないかと思うのである( ̄〜 ̄)


 でもって日産である。ワタクシは日産を応援してるワケではないのだが、ソレでも車名に「GT-R」という名がついてる以上、GT-Rオーナーとして気にせざるを得ないのである(笑)まぁ相当ブランク開いた後の初参戦だからビリ上等で観てたのであるが、流石にアレは遅過ぎるのである(´・ω・`)今ワタクシの最大の関心は「如何にココからマシンを速くしていくか」ではなく「何時FFを見捨てて、レースカーの常道であるMRに駆動形式を変えるのか」である(爆)ちゅーのも:

          r ‐、
         | ○ |         r‐‐、
        _,;ト - イ、      ∧l☆│∧      良い子の諸君!
       (⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l     よく頭のおかしいライターやクリエイター気取りのバカが
       |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒)     「誰もやらなかった事に挑戦する」とほざくが
      │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|      大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ
      │  〉    |│  |`ー^ー― r' |      王道が何故面白いか理解できない人間に面白い話は
      │ /───| |  |/ |  l  ト、 |      作れないぞ!
      |  irー-、 ー ,} |    /     i
      | /   `X´ ヽ    /   入  |


やっぱこの言葉は、何だかんだ言ってやっぱ真理だと思うのである(核爆)FFでこの上なく速く走れるマシンが作れるんだったら既に誰かが作ってるだろうし、他チームがFFレイアウトを検討した事を”全く無い”って考える事にもムリがあるからである。まぁ日産には良い意味で期待を裏切ってくれることを期待せずに待つとしよう。もし良い意味で裏切ってくれたら、ワタクシはこの場(ブログ)で公開謝罪をする所存である(原爆)


*理解なんかいらない?

 障害を理解して貰えれば、自分自身に対する見方も変わって、きっと物事が全てよくなる筈。そう思ってた時期が、ワタクシにもあったのである。だからアスペルガーの啓蒙活動を一生懸命やれば、ワタクシ自身の株も爆上がり・・・しなかったんだよなぁコレが(笑)何故かと言えば「理解する」と「許容する」はまた別問題だからである。ちゅーのも差別と偏見を無くす事は出来ても、違和感は決して無くならないからである。例えばインドはカースト制社会だから差別なんて日常茶飯事で、ソレが向こうの文化に深く根差したモンだから仕方がないと分かっていても、ニッポン人からしてみたらモヤッとしたモンが心に起こる筈であり、ソレが違和感なのである。いくら障害だから仕方ないとはいえ、ソコは考慮する必要があるのである。


 だからワタクシは【発達障害について理解が深まるミュージカルを創りたい!】とかいうソレに対して「気持ちは分かるが、賛同は出来ない。故に寄付はしない」と答える次第である。上記にもあるように、ワタクシが重要視するのは「理解」以上に「許容」の方なのである。ちゅーのも、ワタクシは理解ってモンが許容に繋がるとは考えておらず、逆の場合のが多くなる可能性だってあるのである。ワタクシ自身もアスペルガー当事者であるが、当事者であるが故に腹が立つなんてザラだからである(笑)フツーの人ならば「障害だから、可哀想だから仕方がない」ってなる部分でも、ワタクシにはソレの根底にあるモンが分かるからこそ「甘ったれるんじゃねーよ(#゚Д゚)ゴルァ!!」になるのである(爆)


 第一、理解なんて概念は強固なように見えて、実は思った以上に脆いモンなのである。政党もそう、ロックバンドもそう、プロレス団体もそう、オタクサークルもそう。当初は「同じ志を持って、互いに互いを理解し合える人間たちで作った」って事だったのに、内輪揉めや分裂や解散の多い事多い事(笑)実に簡単な話である。理解を求めるヤツの本音は「何よりも自分を評価して欲しい、チヤホヤされたい」であって「他人のために何かをする」って観点が欠けてるヤツが殆どだからである。他人のために妥協する、自分が我慢するって発想が無いから、その結果としての内輪揉めや分裂や解散なのである。自分への尊敬は、他人への敬意の副産物だとワタクシは考える次第である。


*敬意を示そう

 ワタクシがそう考えるようになったのは、何より”師匠”との出会いが一番大きいのである。ワタクシと”師匠”の共通点は「クルマ好き音楽好きのサバゲーマー」の一点だけであり、ソレ以外がビックリするぐらい悉く違うのである(笑)クルマの好みも音楽の好みもサバゲーのスタイルも全く別で、オマケにワタクシの好きなモンを”師匠”はワタクシを目の前にして「つまらん」だとか「興味無い」だとか平気で言い切るのである(爆&実話)でもってワタクシ自身も”師匠”の好みには殆ど興味を示してないし、人生哲学に関しては全くの正反対である。でもワタクシは今に至るまで”師匠”を尊敬してるし、コレからも尊敬し続ける次第である。


 そう、その人を理解できなくったって、尊敬は出来るのである。でもって尊敬できれば、ソレだけで人間関係は上手く行くのである。ワタクシは歌舞伎や相撲やオペラの良さは全く理解できないし、今後も理解するつもりは全く無い。が、ソレが熱狂的に好きな相手と上手くやる事は、互いに敬意を示せれば十分可能なのである。ワタクシが「発達障害には社会の理解ガー」とか「発達障害の人を優遇しろ」的な運動を好きになれんのは、健常者側に対する敬意が見られないからである。たとえ過去に色々あって社会や世間を恨んでたとしても、ソレが健常者社会に対し敬意を示さなくていい理由にはならないのである。敬意を欠いた理想に正義は無い。そう思う今日この頃であった。