ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「ハッキリした”多分”と、ハッキリしない”はい”の間には、1つの境界線がある」
By メイソン・クーリー
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*洋モノアレルギーの根源
外車、洋画、洋楽、洋ゲー、洋書etc。ニッポンには洋モノが多くあるのだけど、何故だか知らんがニッポン人は洋モノが好きじゃないっぽいのである(^_^;)例えば同じクルマ大国であるアメリカやドイツですら外車のシェアは4〜5割ぐらいあるのに、コレがニッポンだと1割前後になるのである( ̄〜 ̄)洋楽や洋ゲーのシェアも似たような感じである。ワタクシが見る限り、洋モノがニッポン製品に全体的に劣るという事は無く、寧ろ逆に最近は洋モノの方が優れてる場合が多くなってきたのである。でもニッポン人は「洋モノだ」ってだけで敬遠したりする事が実に少なくないのである。無論、ニッポン製品の優秀さはワタクシも求めるトコであるが、やっぱニッポンのソレは極端だと思うのである。
ソコでワタクシが足りない脳ミソをフル回転させて考察してみた所、2つほど思い当たる事が見つかったのである。1つは「洋モノの優秀さを認めたら、そのまま文化的植民地になってしまう」っていう潜在的な意識である。何ちゅーか、ニッポン人は「我々は我々の文化を守ったまま大国になれた」ってのが、心の奥底でニッポン人としての誇りになってるけど、その反面何処かで「やっぱ海外と比べると、何処か足らないかも(´Д`;)」っていうアンビバレントな心情も存在してるのである。その心情が「洋モノを認めて受け入れたら、我々の誇りが失われてしまうッ!我々は我々のやり方を貫かなきゃダメなんだッ!」って気分にさせ、ソレが洋モノアレルギーに繋がってるのである。
2つめは「ホントは多様性を認めたくないから」である。ちゅーのも、ニッポン人の考える多様性ってのは「色んな民族の色んな価値観が、同等の存在として共存してる社会」ではなく「ニッポン文化を基本として、他の民族の人達はソレを最大限尊重して共存してる社会」なのである。何故ソレを望むかと言えば、その方がやり易いからである。ニッポンの「和の精神」ってのは、ニッポンが実質単一民族国家であり、全国民が同じ基本的価値観を共有してるから成り立つのである。でもって洋モノを全面的に受け入れるって事は、多種多様な価値観を受け入れるという事で、ソレ即ち和の精神システムによる統治が困難になるという事だからである。
*音の黒船がやってきた
ニッポン人の和と誇りはワタクシも認めるトコであるが、残念ながら時代はまた変わりつつあるのである。インターネットの登場で世界がまた一段と狭くなったのだから、価値観や文化の多種多様化はもう避けられない運命だからである。とりわけ音楽の方は、遂にストリーミングサービスの黒船である【アップルミュージック】が満を持してニッポン上陸を果たしたワケである:
洋モノの良いトコをシッカリ認めず、テメェの殻に籠ってガラパゴってるとどうなるか。答えは「圧倒的に進化した洋モノに一網打尽にされる」である。でもって、この期に及んで【ニッポンのレコード業界はCD中心の市場を望んでいる】だとか【オリコンはCD売り上げのみ集計】なんて言ってるんだから、もう( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノとしか言い様が無いのである┐(´д`)┌どこかの専門家は「今のニッポンの音楽業界は、いわば船底に穴の開いた船のようなモン。すぐには沈まないだろうけど、やがては必ず沈む」って言ったけど、正にその通りだと思うのである。
さて世の中に愚痴を言うと限が無くなるので、コレぐらいにしとくとしよう(笑)早速使ってみたワタクシの感想であるが「コレは聴覚的麻薬だ」といったトコである(笑)iTunesでコレ聴いてるのだが、気が付いたら何時間もモニター前で音楽聴き続けていたのである(爆)目当てのアルバムから同ジャンルのミュージシャンが紹介されるのは勿論の事、そのミュージシャンのルーツとなった音楽&そのミュージシャンのフォロワーまでも紹介されるから、1つのアルバムからドンドン裾野が広がっていって、ソレ辿ってくのが楽しくて延々と音楽聴いてたって話である(^_^;)コレ作った人は、音楽好きが何を求めてるのか、ホント良く分かってるのである。
こう書くと「YouTubeで聴くのと変わりないじゃん?」と思われがちだけど、変わりあるものがあるのである。その一つが「音質」である。音質がある程度保証されてる上にイコライザーとかで最適化できるんだから、断然こっちの方が聴き応えがあるのである。もう先日から、B級スラッシュメタルとB級デスメタルとB級ハードコアを延々と聴きまくってたりするのである:
とまぁ、こういったマニアックな音源もかなりあるため、悪趣味なワタクシは色々と聴き入ってしまうのである(笑)聴いてみたいけど、アルバム買うのはちと勿体無い。音源を買う時代はソレがブレーキになってたのだけど、ブレーキが無くなったからには暴走するっきゃないって話である(爆)邦楽、特に新譜が少ない事が欠点であるが、古い洋楽が好きな時代遅れのオッサンであるワタクシにゃ関係無い話である(核爆)自制心効かせないと、アスペルガー特有の過集中でシャレにならない事になる。だから寧ろ聴くのをある程度我慢してるぐらいである(^_^;)
*ダウンロードとストリーミングの境界線
とは言え「最早CDの役目は終わった」とはワタクシも思わん次第である。何だかんだ言ってiTunesに登録されてないミュージシャンも結構居たりするし、登録されてても全アルバムが収録されてないのも間々あるから、そんな時はやはりCDの出番である。特にワタクシはマニアックで悪趣味なヤツを好むので、尚更CDが切り離せないのである(笑)ストリーミングで聴くだけ聴いて、ホントに気に入ったのは購入して聴く。今後はこういう音楽の聴き方に移行してくだろうと思うのである。ワタクシは基本的に古い人間なんで、やっぱどーしても「音楽=カネ出して買うモン」ってイメージが強く、全部定額制で聴くってのに未だ違和感が残ってしまうのである(^_^;)
でも一つだけ言える事は、CDは兎も角、ストリーミングとダウンロード購入の境界が曖昧になっちゃったって事である。ダウンロード購入は形こそ残らないものの「自分のコレクションを充実させる」って要素が残っていたけど、ストリーミングになってから「コレクションする」って概念が無くなりつつあるからである(´ヘ`;)確かにCDやDL販売の時は「ムダなカネを使ってしまう」不便はあったけど、ムダがあるからこそ一層喜ぶ事もあったのである。でもそのムダが無くなったら、ムダの先に得られた喜びを、今度は何処で得ればいいんだって話なのである(-ω-;)まぁこんな事言ってる時点で「ワタクシは頭が固くなってしまったオッサンだ」って言ってるようなモンなので(笑)深く考えないに限る今日この頃であった。