アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SANCTUARY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「信仰が殉教者を作るのではなく、信仰を作るのが殉教者である」

By ミゲル・デ・ウナムーノ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*神&自分

 神を信じる事と、自分を信じる事は、また別問題。他の人はどう考えてるか知らんが、ワタクシはそう考える次第である。そう考えたのも某SNSにて「私は神を信じていて、その救いも信じている。私は独りじゃない筈なのに、なんでこんなにも寂しいんだ!」ってカキコを見た時、ふとそう思ったからである。何故寂しいかって、答えは簡単である。神は信じてるだろうけど、テメェ自身を信じてないからである。この手の寂しさとか不安だとか、あるいはメンタルの弱さから宗教に走るヤツってのは、高い確率でテメェに自信が無いのである。テメェに自信が無いから、テメェが下した選択に対しても自信が持てない。だから「神は信じる者を救う」って明確に書いてあったとしても確信が持てない→確信できないから救われないし、寂しいのである。


 あとワタクシが思うに、宗教ってのはテメェが神様に救われる為にあるのではなく、神様の名の下にテメェが他人を救うために存在するのである。古今東西、他人を救わずして聖人になった人はいないし、何処の宗教の経典にも「先ずは人の為に尽くしなさい」って書いてあるはずだからである。だから余計な事は考えないで、何でもいいから他人の役に立つ事だけをやり続ければ良いのである。何かをやり続けている間は余計な事考える余裕がなくなるし、誰かを助け続ければ、回り回って困った時に自分を救い返してくれる。ワタクシに言わせれば”神による救済”ってのは、そういう事だと思うのである。マンガみたいに雲の上から白髭の爺さんが恵みを降らせてくれるなら、ワタクシが真っ先に信仰の道を爆走してるのである(笑)


*猫だましって何ですか

 角界って不思議な世界だと思うのである。誰かが「相撲道かくあるべし」って言ったワケでもなく、明確に何かに記されれるワケでもなく、でもその認識はソコに関わる皆が共有していて、何か変わった事が起こると「相撲道に則ってるか否か」の判別が即座に下り、その結論をほぼ皆が共有していて、議論らしい議論も全くと言って良いほど起こらない。ワタクシみたいなアスペルガー人間にとって、角界ってのは摩訶不思議な空間なのである(^_^;)ワタクシが思うに、コレは実質単一民族で、地理的&文化的&言語的に隔離されてて、ソレ故に国内から殆ど異論が出ない&国外から異論が入り難いニッポンという土地だからこそ成立するのではないかと考えるのである。


 メディアがテレビと新聞と雑誌とラジオしかなく、外国人力士も殆ど居なかった時期ならば、ソレでも成り立ったと思うのである。でも今は外国人力士(特に横綱)が分かり易いぐらいに大相撲で台頭していて、ネットの影響で海外からの注目も浴びるようになっただけでなく、相撲観る側にも他国文化の影響が入るようになった時代である。そんな時代において、コレはどう映るのかって話である:

コレに関しては賛否両論、色んな意見があるだろうけど、ワタクシの意見は「白鵬ъ(゚Д゚)グッジョブ!!」といったトコである(笑)この前、変化した時もそうだったけど、横綱は「真剣勝負って何だ?」「相撲道って何だ?」って問いかけてるのである。コレが横綱なりたてのヤツだったら「横綱の品格ガー」で一方的にボロクソ叩かれてお終いだっただろうけど、ソレをやったのが史上最多優勝34回の超大横綱だからこそ議論になるのである。


 でもやっぱ、ワタクシの身近の相撲属性のあるロンマニアの方も、皆が皆「アレはダメだ」と答えてる次第である(^_^;)その理由は勿論「相撲はSUMOではない云々」「相撲はスポーツとしてではなく武道と精神性が云々」「相撲は宗教的な側面が云々」であり、ソレはソレで正解だとワタクシも思うのである。でもワタクシが問いたい事は「果たしてホントに正解はソレ1つしかないのか?色んな答えがあって、複数の正解を持つのはダメなのか?」という事である。まぁ相撲は宗教行事→宗教ゆえに「正解はコレ」って示されてるんだろうけど、議論しちゃいけないって事は無いと思うのである。議論する事までタブーとしてしまったら、言っちゃ悪いがISILと同じである。


*真剣勝負の多様化

 プロスポーツと言えば野球と大相撲ぐらいしかなかった時代とは違い、今は衛星放送やネットで色んなスポーツが見れる時代である。MLB、欧州サッカー、F1、NBA等々。そういう他国の真剣勝負を見る機会が増えれば、自ずと「ニッポン的な真剣勝負って、果たして真の意味での真剣勝負なのか」って疑問が出てくるモンである。今回の猫だましや以前の変化みたいに「強い側は敢えて小技を使わないのが正しい」とする意見一辺倒ではなく「小技でも何でも、全て使って勝負に挑むのが真剣勝負であり、ついては相手に対する礼儀でもある」とする考え方も出てくるのである。コレは「どっちが正解か?」じゃなく「どっちも正解」なのであるとワタクシは考えている次第である。


 コレに対して角界が認識を変えるか、或いは伝統を守り抜くか、どっちになるかワタクシには分からない。が、1つだけ言える事は「時間の針はもう元に戻せない」という事である。人や情報や知識の行き来は益々ボーダレス化するだろうし、グローバル化と合理化は更に進むだろうし、ソレに合わせて価値観も多様化するであろう。そして角界にはそんな世の中を止める力は無いし、人々に目隠しをする事も出来ないって事である。さて、今後角界がどう動くか、実に興味津々・・・じゃないんだよなぁワタクシは(笑)ロンマニア歴の長い方ならお分かりだと思うけど、ワタクシに相撲属性なんてモンは無いからである。さて次回からは何時も通りのバカバカしいネタをやってると思うので(爆)もう休むに限る今日この頃であった。