アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

METAL REVOLUTION

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「真理が支配しているときに平和を乱すことが一つの犯罪であると同様に、真理が破壊されようとしているときに平和にとどまることも、やはり一つの犯罪である」

By ブレーズ・パスカル


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ミニバンの蛇足性

 90年代にオデッセイとエスティマから始まったミニバンブームも、どうやら間も無く終わる模様である。コレはこの前R35に12ヶ月点検の際に、代車でセレナ乗った時に感じたのだけど、今時のミニバンってムダにデカいのである( ̄〜 ̄)デカいから小回りも効かず取り回しも悪いし、デカいと重たいから燃費も悪いし、デカいと空間が広いからエアコンも効き難い。あと今までワタクシの経験上、ミニバンに6〜8名で乗ってるトコを滅多に見た事ない。だから【マツダがミニバンから撤退してSUVに注力する】ってニュースを聞いても、ワタクシは全く驚かなかった次第である。ちゅーのも実際乗ってみると、SUVって実に丁度良いクルマだからである。そりゃ世界的にブームが来るのも納得なのである。


 積載能力も必要十分にあって、デザインも良くて、走りも中々のモンがあって、使い勝手も悪くなく、いざという時の悪路走破能力もソレなりにあり、ソレより何より”力強さ”と”スポーツ性”が感じられる。今までミニバンの必要以上のデカさや、ずんぐりむっくりのメタボめいたデザインや、大きく重たいが故の運転のつまらなさに食傷気味だった人にとって、そりゃSUVはソレに代わるモンとなり得るのである。かく言うワタクシもSUVは欲しいのであるが、後部座席に乗せる彼女や家族がいないのと、インドア志向故に積む荷物が無いので断念した次第である(笑)所説は色々あるが、ワタクシはポルシェのカイエンが果たした役割は大きいと思うのである。



 カイエンって乗った事のあるロンマニアの方には何となく分かると思うが、アレは「人と荷物を載せて悪路も走れるスポーツカー」なのである。カイエンが出て以来、従来のSUVにあった「悪路走行の出来るダサくて野暮ったい道具としてのクルマ」から「速くてクールな多目的車両」へと変わったからである。つまりスポーツカー的なスピードとかカッコ良さを、道具としてのクルマにも求める事が出来るって事を証明したからである。だからカイエンが成功して以来、様々なクラスのメーカーが挙ってSUVを作り出したのも、そりゃ当然と言えば当然である。多分、上記のマツダが目指してるのは、カイエンと同じ方向性なのではと思うのである。


*汝平和を欲さば、戦への備えをせよ

 コレまで何度も言ってきた事であるが、ワタクシは「平和憲法を守っていれば永遠に平和」などという戯言は一切信じていない。攻撃しなきゃ攻撃されないのであれば、チベットウイグルドレスデンは一体何だって話である。護憲派の言い分としては「平和な国を攻撃したら、世界中がその蛮行を許さない。故に抑止力になる」って事だけど、ソレならチベット侵攻の時の中国や、クリミア併合の時のロシアや、あとアフガンやイラクを攻めた時のアメリカは何なんだって話である。ルール違反ってのはバレなければ問題に問われないし、バレたとしても処罰を執行されないのであれば意味が無いのである。でもって、圧倒的な軍事力と経済力を持つ国を罰せられる存在は無い。そう考えれば、この動画のバカバカしさが分かるってモンである:



お花畑的平和主義の無意味さは上記に書いた通りであるが、何よりワタクシが気に食わないのは、コレ作ったヤツ等の思い上がりである。何つーか「バカな戦争狂を国会に送り出すお前らバカな国民共を、平和を愛する真っ当な俺達が目覚めさせてやる<( ̄^ ̄)>」って意図しか感じられんのである。この手のサヨクのお約束通り、案の定具体的な方法論は何も提示しない。理論よりも感情に訴えて、議論よりも数の暴力でゴリ押しし、テメェ等の”正義”には異論は一切認めない。形や表現方法が違うだけで、中身は何も変わってない。もう「(  ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ」ってのがワタクシの率直な感想である┐( ̄ヘ ̄)┌


 よーするに連中の考え方ってのは「私達はルールを守る。だからルールを守る私たちが攻撃されたとしても、ソレは攻撃した側が悪いのであって、私達は悪くない」なのである。そしてこの考え方、察しの良いロンマニアの方ならばピンと来る筈である。そう、いじめられっ子のソレである。よーするにこの手のサヨク運動ってのは確固たる理念を持った政治的活動ではなく、単なるいじめられっ子のルサンチマンに過ぎないのである。いじめっ子といじめを容認する社会や国に対し、憲法という絶対的に正しい(とされている)最上位概念で反撃する。だから憲法改正は絶対に認めるわけにはいかないし、解釈を変える事も許せないのである。ソレをやったら、今後ルサンチマン出来なくなるからである。


*歴史を学ぼう

 戦争を悪、国家権力を悪と考えるのは簡単である。が、肝心なのは「何故人類の歴史において国家や軍隊が誕生したのか」って事である。世界中どこの歴史を見ても、人間というナマモノが集まれば必ず国家が生まれ、国家が生まれれば自ずと軍隊が生まれ、軍隊があれば当然戦争も生じる。世界中何処の民族の歴史にも共通する事、ソレは「ムダなモンは例外無く省かれ、有用なモンは絶えず進化を続けてる」って事である。そう、国家も権力も軍隊も戦争も、必要だから未だこの世に存在するのである。ソレを「悪だから」といって排除するのではなく「何故今に至るまで残り続けるのか」をシッカリ考える。そうしなければ、ソコから何も得られんのである。


 ワタクシに言わせれば、歴史を学ぶってのはこういう事なのである。でもって上記の動画を作ったヤツにとっての歴史ってのは、恐らくニッポン中心のソレ&20世紀からのソレしか存在しないのであろう。歴史を線ではなく点でしか見てない&一方向からしか見ていないから、単純に「戦前のニッポンは悪」「平和憲法は善」としか考えられんのである。そんな狭い視野でモノを語ったって、何の説得力も生まれんのである。人は革命の理念ではなく、革命家についていくモンなのである。人間としての器量や度量が足らんヤツがどんな正論を吐こうとも「コイツには実現できねーだろm9(^Д^)」と笑われてお終い。その事を自身にも肝に銘じたい今日この頃であった。