アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

AGE OF THE JOKER

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「やっぱり人間は好きなことをすべきなんです。ただし、好きなものを見つけるのが実は難しい。20代で見つかるなんて思っちゃいけない。スポーツ選手は若くして決めますが、凡人は30歳までわからないと思った方がいい。30代はとにかく辛抱する。そして好きを見つけたいと思い続ける」

By 堺屋太一


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*好きな人、好き過ぎる人

 何かに夢中になる人は、大きく分けて2通りいるとワタクシは思うのである。1つは「フツーに好きな人」であり、英語ではギーク(Geek)って呼ばれる典型的な趣味人のソレである。もう1つは何かといえば「好き過ぎる人」であり、英語ではナード(Nerd)って呼ばれる偏狂的なソレである。ニッポン語じゃ共に「オタク」の一括りだけど、同じようで実は違うのである:

フツーに好きな人 好き過ぎる人
好きな事ははあくまで人生の一部 好きな事は人生の全て
好きな事以外にも関心を持てる 好きな事以外には基本無関心
柔軟にモノを考える事が出来る モノの考え方が凝り固まってしまう
欠点を欠点と認め、ソレをノーと言える 欠点すらも好きになり、ノーと言えない
批判に対し寛容で、聞き入れる余裕がある 批判に対し一切耳を貸さず、頑なになる
他人にどう思われるか、意外と気にしていない 口では孤高を謳いながらも、意外と気にしている
時代の移り変わりを認め、ソレを受け入れられる 自分が始まった時代を美化し続け、変化を受け入れられない

といった感じである。ワタクシがどっちを良きモンとし、どっちを悪きモンとしているか、最早説明の必要は無いと思うのである。趣味ってのは自分の人生を広げるためにあるのであり、熱中すべきは本業であるとワタクシは考えているのである。やっぱ人間の価値は何だかんだ言って、テメェの能力で如何に社会に貢献できるか、如何に人類を次のステップへと進めさせられるかだと思うのである。


 あとワタクシの経験上、好き過ぎるヤツの話って面白くないのである(´△`)そういうヤツの話って大概が知識自慢、コレクション自慢で、余計な事を言うと話を遮ってくるか、最悪キレるかだからである。要するにこの手のヤツって「ココまで熱中できる私って凄いでしょ(* ̄∇ ̄*)褒めてッ!私を褒めてッ!」っていうのが本音だから、ソレ分かった途端バカバカしくなるのである。でもって褒めたトコで何か新しいモンを得られるかと言われたら、答えは当然ノーである。会話や議論ってのは互いに互いを高め合うからこそ価値があるのであり、相手を自己満足を得るために利用し合うのは違うとワタクシは思うのである。ワタクシがGDB降りた時にGRB乗り継がなかった理由も実はコレで、スバヲタの自分自慢合戦にはウンザリしてたからである。


湾岸ミッドナイトの真実?

 なぜ上記の話を突然したかといえば、つい最近「湾岸ミッドナイト(以後湾岸)」全42巻を読破したばっかだからである(笑)続編の「湾岸C1ランナー」も間も無く読破する次第である。そう、このマンガ読んで感じた事が「あぁ、この作者は”クルマが好き過ぎる人”なんだな」って事だからである。丁度スーパーカーブームの世代で、ニッポンのモータリゼーション全盛期に青春を過ごしてきて、必然としてクルマを愛するに至った人なんだって事が伝わってくるのである。作中に「クルマ好きには2通りあって、走る姿に惚れてクルマが好きになった人と、機械好きの延長としてクルマが好きになった人」ってセリフがあるのだが、この作者は確実に前者だと思うのである。


 どーでもいい話であるが、ワタクシは後者である。ワタクシがもし前者なら、18歳になったその時点で免許取りに行く&速攻で中古車屋巡ってクルマ買うからである。ワタクシが免許取ったのが26の時で、最初のクルマ買ったのが30の時。でもって最初のクルマ(GDB)選んだ理由も「何となく4WDスポーツってハイテクでカッコ良いから」だったのである(笑)でもってクルマ属性のあるロンマニアの方からすれば信じられない話だと思うが、GDB買った時、ワタクシはスバルがWRCでどんだけ活躍してたか全然知らなかったし、水平対向エンジンだった事を知ったのも納車した後の事だったのである(爆)自分で言うのもアレであるが、イカれてるにも程があるのである(核爆)よーするに、ワタクシは元々はクルマ好きじゃなかったって話である。




 そう、このマンガに描かれているのは、好き過ぎる人の心情なのである。ソレ以外の事が目に入らない、ソレの為なら全てを賭けられる、ソレ故に周囲から白い目で見られたって構わないし、ソレが分かる人にだけ分かってもらえれればいい。そういった「好き過ぎる人」の衝動と悲哀が掛かれているのである。ハッキリ言うと作中に出てくるクルマの薀蓄については「?」な部分も少なくないが、その「好き過ぎる人」の描写がすんごい生々しくて、ソレがワタクシの好奇心を駆り立てるのである(笑)ぶっちゃけワタクシには、この類の人達と仲良くなる事は出来ないと思うのである。が、そういう人等の心情には興味があるって事なのである。


*さらばチューニング黄金時代

 でもって作中でも後期になればなるほど多く書かれていたのが「チューニング業界の終焉」なのである。作品初期には若い子が挙ってクルマに憧れる描写があったのだが、末期になればなるほど「今は誰も走ってないし、誰も観ていない」って感じになるのである。作中にも出てきてるけど、電子制御技術が進化して人間の判断力を上回るようになったり、ノーマルの状態で既に細部に至るチューニングが完成していたり、エンジン以外が進化してパワー出さずとも速さが出るようになり、よーするに作中の「パワーが全て、エンジンが全て、乗り手が全て」の謳い文句が成立しなくなってきちゃったのである。黄金の80年代〜90年代からニッポンのクルマ文化が廃れていく様が、作中にも良く描かれてたりするのである(^_^;)


 この作者のも、もう一つのクルママンガの巨星である「頭文字D(以後イニD)」の作者も、新連載で共にクルマを描かなくなった&湾岸とイニD以降は面白いクルママンガが出なくなったのは、やっぱそういう事かなぁとワタクシは思うのである(´・ω・`)昔のヤツが昔のクルマでそのまま走ってるか、昔のヤツが今のクルマで走ってるかで、若い子が殆ど居ないのである。どんな業界でもそうだけど、若い子が入らなくなったソコは先細っていくしかないのである。

若者のクルマ弄りはホイールだとかマフラーだとかエアロだとかいった見た目中心のソレが主流になり、スポーツカーはカネに余裕がある人だけが乗るモンになり、チューニングは金持ちの道楽になる。ワタクシはそう考えてる次第である。昔の人間からすれば悲劇以外の何でもないのであるが、ワタクシは「フツーに好きな人」として、コレをも受け止めていく次第である。さて、書けば書く程悲しくなるんで(笑)さっさとお暇するに限る今日この頃であった。