アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

ACT OF FAITH

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「彼と幸せに暮したいのなら、彼を深く理解し、少しだけ愛すこと。彼女と幸せに暮したいなら、彼女を深く愛し、彼女のことを分かろうとしないこと」

By ヘレン・ローランド


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*電子制御の是非

 クルマの電子制御についてであるが、ワタクシは電子制御が悪いとは思わんのである。嫌われているのは電子制御そのものではなく、拙い制御のソレなのである。つまり制御が介入したのかが分からんぐらい上手に制御されていれば殆どの人が電子制御には反対しないし、そして優れたメーカーは電子制御の躾が非常に上手い。この前R35でFSW走りに行った時の話であるが、コカコーラから100Rかけて高い速度で上手く走れた時「おっ、ワタクシのドラテクも満更じゃないじゃん( ̄▽ ̄)」と思ってたのであるが、後で動画を観直してみたら、VDC作動ランプがテカテカと点滅してたってオチだったのである(笑)クルマの挙動がギクシャクすることなく制御が介入すれば、楽しさをスポイルする事無く目一杯走りを楽しめるって一例である。


 確かに「自分で制御する楽しみガー」って意見も分からなくはないが、でも電子制御があるからこそ素人でも600馬力超のマシンを(ムチャな操作さえしなければ)安全に楽しめるのである。電子制御無しでそんなマシンを操ろうと思ったら、プロ級の技術とセンスが必要になる事を考えると、メリットの方がデメリットよりも大きい分、ワタクシは(上手に制御された)電子制御を支持する次第である。同様の事を、マツダの新技術である【G-VECTORING CONTROL】にも言えるのである:

制御の介入タイミングは遅すぎたら当然ダメだし、かと言って早すぎても不自然だからダメ。でもって介入する量が少なすぎたら制御する意味が無いし、かと言って多すぎても運転の楽しさがスポイルされるからダメ。その加減を塩梅をどうするか、ソコがマツダの腕の見せ所である。コレばっかりはメーカーの規模云々、技術力云々ではないので、ココのセンスをどう磨き上げられるかが、マツダが今後ブランド化できるかどうかの見極めポイントだとワタクシは思うのである。ただ「緻密な電子制御でタイヤの摩擦円をフル活用する」ってアイディアは面白そうなので、今後の期待はできそうである。


*アスピーズよりカサンドラーへ

 カサンドラ症候群発達障害属性のあるロンマニアの方ならばコレが何を意味するか分かると思うけど、属性の無い方々のために説明すると「アスペルガーの伴侶と情緒的な相互関係が築けないために起こる心身の不調」といったトコである。独りモンのワタクシにとっちゃ無関係な話なのであるが(笑)ただ近年の発達障害知名度の上昇もあり、ワタクシも関心を持たざるを得ないって話である。まぁワタクシの場合はカーチャンと実妹がソレに該当する可能性があるため、よくよく考えてみれば他人事とは言えないのである(^_^;)ソコでワタクシはアスペルガー当事者の側の意見として、このカサンドラ症候群とかやらについて考えてみようと思うのである。



 何故このような理解の食い違いが起こるかって、健常者側は「他人の気持ちを理解できるのは当たり前の事」「そんな事は誰かから教わるモンじゃなく、自然に分かるモン」って認識があり、ソレを疑った事が無いからである。だからアスペ側が「他人の気持ちを理解できない」って言っても「なぜ理解できないのかが分らない」ってなるのである。そうすると健常者側は次はどうするかといえば、答えは「ヒントを与える」のである。健常者側は「ヒントを与えれば、ソレをキッカケに理解してくれるかも」って思うけど、目の見えない人に漢字の読み方を教えても文章を読めるようにならないのと同じで、アスペにヒントを与えたって理解できるようにはならんのである。


 じゃあアスペ側に分かるようにはどうすれば良いかといえば、基礎の基礎に振り返って「何故そうしなきゃいけないのか、そうするメリットは何か」を説明すれば良いのであるが、ソレが健常者側的には困難なのである。なぜ困難なのかといえば、ソレについて考えた事がないからである。たとえば色覚異常が無い人が赤いモンを赤と認識するのに「見りゃ分かる」の一言で済むが、色盲の人からすれば「何故ソレを赤いと断定できるのか?」ってなるワケである。でも色覚が正常な人は「何故どうやって色を判別できるのか」なんて考えた事すらないから、色盲の人にソレを説明することはできないのである。こういう認識の違いと、ソレを説明できない&理解させられないストレスが積もりに積もって、カサンドラ症候群になるんじゃないかとワタクシは思うのである。


*理解はあんま要らない

 こういうのがあるからこそ、ワタクシは「発達障害を理解して下さい」と安易には言わないし、言えないのである。住んでる世界が全く違うから、根本の根本からモノを考えなければ互いに理解し合えないのである。だからワタクシに言わせれば、巷で「発達障害を理解して下さい」って連呼するヤツの相場は決まってるのである。ホントは理解なんて望んでおらず、健常者側に強者側として一方的な譲歩を望んでるヤツである。コレに関してはワタクシは前々から言っているのであるが、理解と受容は別問題なのであり、更に言えば理解しなけりゃならない義務なんて何処にもないのである。本気で理解を求めるんだったら、この2点を肝に銘じる必要があるのである。


 あとこの「社会の理解ガー、人権ガー」っていう運動の何が問題かって、コレが暗に「理解しないヤツは弱い者に配慮できない人でなしだ」って仄めかしてるトコがあるからである。でもってたとえその通りであったとしても、そういう扱いを受ける側が気持ち良く自発的に理解なんぞする筈がないのである。だからワタクシは、まず魅力ある人間、有能な人間になれるよう努力してるのである。魅力的で有益であれば、こちらから働きかけなくったって、向こうから理解しようとしてくれるからであり、そしてこの時こそが啓蒙のチャンスだとワタクシは考えているのである。民衆は革命の理念ではなく、革命家についていく。その言葉の意味が良く分かる今日この頃であった。