アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SAY HELLO TO TRAGEDY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「罪は、それが禁じられているから傷つけられるのではなく、傷つけられるから禁じられているのである」

By ベンジャミン・フランクリン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


ノンアルコールビールとジャージ

 自由とは、やりたい事をやる事ではなく、やってはいけない事をやらない事。自由云々の議論が起こる度に、ワタクシが繰り返し言う事である。ちゅーのも、相手にもやりたい事をやるヤツをスルーする自由、シカトする自由、村八分にする自由があるからである。そう、自由の行使には必ずリスクと責任が伴うモンであり、やりたい事をやるのが何故ダメかって、リスクと責任のデメリットが自由行使のメリットを上回るからである。つまりワタクシが「自由とは、やってはいけない事をやらない事」って言ってるのはその方が得するからであり、コレが【就業時間中にノンアルコールビールはダメ?】に対するワタクシの回答である。飲む自由を行使するメリットよりも、我慢して飲まない事で得られるメリットの方が大きいからである。


 ソレでもやっぱネットとかを見ると「合法だから問題無い、自由は認められるべきだ」っていうヤツもいるが、そんなヤツにワタクシは「じゃあお前の結婚式にジャージで出席しても文句は言わないでね」と言いたい次第である。そう、ジャージで結婚式に出席しない、職場でノンアルコールであろうともビールめいたモンを飲まない、猥褻な表現のあるモンを陽の当たるトコで売らないってのは、ソレを不快に思う人に対する敬意の表れなのである。他人の不快感に敬意を示さないヤツが「自由ガー、法律ガー」とか叫んだって、その自由行使に敬意を示す人なんかいないのである。無論、やりたいならやっても良いが、その代わりデメリットから目を逸らしたり逃げたりするなって話である。


*勉強禁止のススメ

 話は変わって、ロンマニアの皆様はドッジボールが好きであろうか。ワタクシは好きである。確かに避けるのも当てるのもヘタで、身体もデカいから格好のターゲットだったのであるが(笑)ソレでも時々は上手く避けられた&時々は上手く当てられたりするので、その瞬間が楽しいのである。ワタクシは自他ともに認める運動音痴なのであるが、ソレでもスポーツを観たり実際にやったりするのが好きな理由がコレである。ヘタでも根強くやり続ければ少しずつでも成長できるし、成長すればその分だけ上手くなる。ワタクシはこの「上手くなった瞬間」が大好きなのであり、その瞬間を味わうためには他人と競う必要なんて何処にも無いのである。自分と競争して、昨日までの自分よりも上手くなれればソレでおkなのである。


 だからワタクシは【スポーツ嫌いな中学生半減の目標に波紋】とかいう話はサッパリ理解できんのである。障害や病気があるのなら兎も角、健常者で学校レベルのスポーツで精神的や肉体的なダメージを受けてしまうってのは、正直豆腐フィジカル&メンタルとしか言い様が無いのである。ワタクシは学校ってのはただ単に勉強する場ではなく、所謂”大人社会の縮図”だと思ってるのである。楽しい事もあれば、イヤな事もある。そのイヤな事に出会った時「どうやって苦手を克服するか」とか「どうやって苦境を切り抜けるか」を考えて実行するのも勉強の一つだとワタクシは思うのである。そしてコレこそが【ドッジボールの教育現場での強制・半強制を禁止にするべき】に対するワタクシの答えである。



 この件とは直接関係無いけど、ワタクシは以前から「勉強を強制すると勉強が苦手な子が傷つくから、勉強の強制を禁止すべきであるッ!」って声を大にして言っているのであるが、何故だか知らんが聞き入れてもらえないのである(笑)勉強だけが例外なんて、ソレこそおかしいのである。ワタクシが思うに、ドッジボール含めスポーツも教育なのである。長い人生、イヤな事を強制される事なんて間々あるのであり、コレはいわば予行演習なのである。そう、いうならば必要悪なのである。人間の身体ってのは少しだけ毒を身体に取り込む事により免疫を作るのであって、必要悪はいわばワクチンなのである。子供の頃にそういう訓練をしなかったヤツが、大人になっていきなり出来るようになる筈が無いのである。


*学校は勉強のみに非ず

 ハッキリ言ってしまえば、勉強だけでいいんだったら、抑々学校に行く必要なんて無いのである。昔は兎も角、今はネットの進化で家に居ながら勉強する方法なんて幾らでもあるんだから、そうすれば良いだけの話である。でも勉強だけは出来るけど、そういう社会で生きる為のノウハウを身に付けてないヤツ、職員として雇いたいかって話である。他の人は知らんが、ワタクシはノーである。たとえネット社会になろうとも、人間というナマモノは一人じゃ生きていけんのである。だから社会には理不尽があるって事を知る事、理不尽を感じながらも何とか切り抜ける事、この事を身を以って学ぶために、学校へは行く必要があるとワタクシは思うのである。知識だけで良いのなら、ぶっちゃけロボットかAIで十分だからである。


 ワタクシは発達障害アスペルガー)当事者でもあるので、この手の話は自分でも他人でも結構耳にするのである。そして当事者絡みの話題で親御さんの間で必ずと言って良いほど問題になるのが「親亡き後、この子はどうなるのか」って事である。ドッジボールさせない事で小坊時代を切り抜けたとしても、中学は?高校は?大学は?会社は?って話である。まさか一生に至るまで、行政が面倒見なきゃならないのかって話である。当然、そんな事はムリな話である。百歩譲ってできたとしても、ソレは最小限の悲惨なモンになる事は火を見るよりも明らかである。ホントの意味で安心したいのであれば、自力で勝ち取るのが一番の方法である。改めてそう思う今日この頃であった。