アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE PROCESS OF ELIMINATION

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「芸術は欠点を避けないということになります。一切をもたらす一つの特質を持つことです。私は大家の製作を見るとき、それが完全というには遠いことを見ます。欠点を感じます。むしろそれを認めます。非難せずにです」

By オーギュスト・ロダン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


タイムアタックは何が為に

 昔はソレに一喜一憂してたけど、今となってはどーでもよくなるモンって結構あるのである。ワタクシの場合、新車のサーキットにおけるタイムアタックがソレである。ちゅーのもアレって、条件次第でいくらでも変わるからである。タイヤや路面の状況、気温や天候の状態、アタックするドライバーの腕等々。そういった条件の違いでタイムは大幅に変わるんだから、ソコでコンマ1秒の差云々を語るのはバカげてるってモンである。だから【スバルWRX-STI、ニュル最速4ドアセダンに】って記事読んでも、感想は「あっそ( ´_ゝ`)フーン」だけである:

ノーマル車両でのアタックなら兎も角、スリックタイヤ履いたレーシングカーのタイムに何の価値があるんだって話である┐( ̄ヘ ̄)┌車検やレギュレーションを無視しておk&幾らでもカネを使えるのなら、どんなクルマだって速く作れてしまうのは当たり前の話である。ンなモンが、新車買う時の動機になんかなる筈ないのである。


 ワタクシは寧ろ、遅くても良いからフルノーマル状態でのニュル北アタックを観てみたいのである。路面状態の悪いトコでの高速安定性、コーナリング時の挙動と回頭性、アンダーステアオーバーステアの有無、変速や加速減速のレスポンス等々、そういったタイムに表れない部分のクルマの良さが分かるからであり、そしてその部分こそワタクシ等のようなアマチュア一般ユーザーにとって重要な部分だからである。トッププロがその神業を駆使して暴れる車体を抑え込まないと出ないタイムに、強烈なアンダーステアを特殊な運転法で抑え込まないと出ないタイムに、価値なんて殆ど無いのである。所有する事に価値のあるハイパーカーのタイムなら兎も角、大衆車に毛の生えたレベルのクルマのタイムなんてムリして捻り出す価値は無いとワタクシは考えるのである。


*ひきこもりの心情

 話は変わって、ワタクシは発達障害の支援活動なんかをやってる事もあり、ひきこもりやニートやってた人&現在進行形でやってる人、及びその関係者と関わる機会もソレなりにあるのである。昔の話であるが、ワタクシに当事者の親御さんが「ウチの子が部屋から一歩も出てこないのですが、どうしたら良いですか?」って質問されたのである。ワタクシはソレに対し「先ずは対話する事から始めましょう。取り敢えず趣味の話から始めるのが手っ取り早いと思うのですが、お子さんの趣味は何ですか?」と聞いたら「知りません」って答えが返ってきたのである( ̄〜 ̄)この親御さんは「子供とはよく話してる」とは言ってるけど、実際は親御さん側が一方的に話しかけてただけで、会話のキャッチボールが成立してなかったってオチである。


 ンでもってコレって、引きこもりやニート云々の問題で実に多いパターンなのである。親側は「アレやってみたらいい、コレ行ってみるといい」って提案するんだけど、子供に直に「貴方は何がしたいのか、貴方には何が出来て何が出来ないのか」を直に聞こうとしないのである。だから【ひきこもり30年44歳、小遣い6万の是非】と【なぜ30代娘はモンスター化したか】の話を読んだ時、ワタクシは「あぁコレも典型的な一方通行コミュニケーションのソレだな」って気付いたし、実際中身を読んだらその通りだったのである。

結局双方とも、根底にあるのは「自分自身傷つくのorガキを傷つけてしまうのがイヤだから、テメェのガキと面向かいたくない」なのである。だからカネを与えて自由にさせて、目を逸らせられる限りは目を逸らそうとしたのである。よーするに、親は悪者になりたくないから、何もしないで放っておいたのである。


 でもワタクシに言わせれば、そんなモンは親側の偽善と自己満足でしかないのである。この手の親の言い分としては「世間様に迷惑をかけたくない」か「フツーの人でないのは恥ずかしい」であるが、じゃあテメェらが働けなくなったり死んじゃった後はどうするんだって話である。より酷い形で社会に放たれる事になるし、フツー出ない事をどんなに隠そうとしたって何らかの形で何時かはバレる。よーするに引きこもりを放置する親ってのは、テメェの事しか考えてないのである┐(´-`)┌でもってガキもソレを何となく分かってるから、より気を引こうとして更に過激な方法論を取る、こういうのって理不尽であっても、誰かが傷ついたり悪者になる覚悟をしない限り解決はしないのである。


*フツーでないという事

 まぁコレは発達障害の話になってしまうが、発達障害云々で一番厄介なのは何かって、親側のソレなのである。ワタクシも経験あるから分かるのであるが、自分の子供がフツーでない事を受け入れられない親って思った以上に居るのである。そういう親は「今は色々大変だけど、我慢して待っていれば何時かは”自覚”してフツーに戻るかも知れない」って限りなくゼロに近い希望に縋ったり、或いは「我が子のソレは障害じゃなくて、個性ッ!個性を障害扱いする国や社会が悪いのであり、私はソレに抵抗するッ!」ってな感じに変な運動に没頭したりする。そういう親の反応や行動を、ワタクシは何度も目にしてるのである。だから一方的に「ガキが悪い」とは決して言わないのである。


 まぁワタクシも現在進行形でその問題にぶつかっているのであるが、どうやら「フツーである事」というのはフツーの社会において極めて重要な事らしいのである。フツーの人でさえあれば社会の歯車として機能できるし、社会の役に立ってる限りは社会が安全を保障してくれるし、安全を保障してくれれば安心して生きていけるし、フツーであれば結婚したり家族を持ったりも容易である。障害者であるという事はフツーではないって事であり、コレ等の恩恵を受けらんなくなる。だから親としては優秀でなくても良いから、少しぐらい出来の悪い子でもフツーであってほしいって思っちゃうのである。異端として生きるのはデジュール上は簡単だけど、デファクト上は難しい。改めてそう思う今日この頃であった。