アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

DECIMATE CHRISTENDOM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「被害妄想を克服すれば、コミュニケーションはうまくいきます」

By 加藤諦三


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


アスペルガーのお友達

 今日はちょっと野暮用があって夜は遅くなるので、早めの更新である。サブタイの意味は何かって、ネットで「発達障害者は健常者と共生すべきか距離を置くべきか」って記事を見たので、アスペルガー当事者としてのワタクシの意見を述べようと思ったからである。ワタクシの答えは「健常者の友達の方が断然多いので、共生に一票」である。てゆーか、健常者と当事者なら、健常者の方が付き合い易いからである。健常者は(悪意を抱いてない限り)ツボさえ押さえてれば会話が成立するからである。そのツボとはズバリ「相手に話をさせてソコに乗っかる」である。ワタクシの場合はアスペ故に上手く乗っかるのが難しいんだけど、一度乗ってしまえば相手もワタクシに話をさせようとするから、お互い言葉のキャッチボールが出来るのである。



 ワタクシに言わせれば、寧ろ当事者の方がコミュニケーションし難いのである。ちゅーのも当事者ってのは、真っ先にテメェの話をしてくるからである。何せ昔のワタクシがそうだったんだから、コレは間違いないのである(笑)最近は発達障害ブームで当事者にも自覚が生まれつつあるんだけど、自覚が生まれたからこそ更に厄介になったとも言えるのである(^_^;)ちゅーのも知識があると逆に「貴方は発達要害の事を分かってくんだよねッ!だったら私の生き辛さを分かって、忖度してくれるよねッ!私の話、聞いてくれるよねッ!」ってなって、なお一層その傾向が強まるからである(爆&実話)相手の事を一切考えずに一方的に言葉を投げかけるだけになっちゃうんだから、言葉のキャッチボールもへったくれも無いのである。


*正しいコミュニケーションを学ぼう

 ロンマニアの皆様は、オタク(もっと正確に言うとナード)同士のコミュニケーションをご存じであろうか。ワタクシは様々なジャンルのオフ会でソレを経験してる&ワタクシ自身も巻き込まれた事があるが、ソレはソレは凄まじいモンである(^_^;)誰も聞いていないのに我先にテメェの所有物や経験や知識の自慢を始めて、他の参加者がソレをヨイショして、他のヤツが同様にテメェの所有物や経験や知識の自慢を始めて、さっきまで褒めてたヤツが今度はヨイショする。誰もマトモに他人の話なんか聞いておらず、テメェのソレを自慢し合いヨイショし合って、自己肯定感をタップリ得て満足する。ナードじゃない人にとっては冗談みたいな話に思えるが、ナードであるワタクシが言うんだから間違いないのである(爆)


 最近の発達障害ブームで当事者会や発達障害関係のNGOも増え、同時に「当事者のコミュ力の向上」って名目でコミュニケーションの会なんかも数多く開かれているのだが、ソコでの会話も上記の感じなのである(^_^;)まぁ発達障害の特性上の問題で相手の気持ちを察する事が難しいのもそうだけど、一番はやっぱ正しいコミュニケーションを教えられないって事にあると思うのである。コミュニケーションのキモは互いが互いを尊重し、自分よりもまず相手を楽しませようとする事。健常者であろうが障害者であろうが、この基本は決して変わらないのである。もしも「私は発達障害者なんだから、お前は一方的に私の話を聞け。じゃなきゃ差別だ」って姿勢で臨むのであれば、ソレは真っ当なコミュニケーションとは言わないのである。



 そう、発達障害関係の自助会やNGOなんかが思いのほか気付いてないのがコレなのである。発達障害がメジャーになってきたが故に「我々(orこの方たち)発達障害者は生き辛くて可哀想なんだから、歪なコミュニケーションや自己表現も健常者や世間は弱者である我々(orこの方たち)を大目に見るべし」って考えを押し通せるんじゃないか、我々は何も変わる必要がなくなるのではと思ってしまうトコにあるのである。でもって上記にあるように、コミュニケーションのキモは古今東西「相手の気持ちを推し量って、可能な限りなく相手に歩み寄ろうとする気持ち」である。障害があって相手を推し量り難く、ソレゆえに生き辛いのはワタクシもそうだから、気持ちは分かる。が、ソレは何もしなくて良いという免罪符にはならないのである。


*何が為のコミュニケーションか

 ココまで書けば、察しの良いロンマニアの方ならばワタクシの意図に気付いた筈である。そう、ワタクシは発達障害者のコミュニケーション向上のあるべき姿は、健常者と仲良くなれる事を目標にすべきだと言っているのである。何故かと言えば、発達同士で固まって結束を強めたって、数も力もカネもたかが知れてるからである(笑)思いっ切りぶっちゃけた話、世の中を動かしてるのは古今東西「数」「力」「カネ」なのである。ユダヤ人然り、今の中国然りである。そしてその3つは99.9%以上が健常者世界に存在していて、ソレを得るためには良好なコミュニケーションが重要になってくるのである:

とある発達障害NGOの代表が「生き辛さを抱える人たちの横の連携ヲー」と盛んに言っているのだが。言っちゃ何だが絶対数が少ない上に、ニートや引きこもりばっかが集まったって世の中は変えられんのである(笑)数が少ないなら質で補うしかないのであり、その為にも当事者のより一層の社会進出が必要だとワタクシは考えているのである。夢もキボーも無い上に超俗っぽくて殺伐とした話でアレなのだが、ワタクシは現実主義者なので悪しからずである(爆)


 だから「一方的にテメェの良い分だけを言ってお終い」って会話を何度も繰り返したって、コミュニケーションは決して上手くならないのである。コミュニケーションに限らずどんな分野でもそうだけど、練習ってのは正しい基礎の上で反復するからこそ、最小限の練習時間で最大限の効果が得られるのである。無論、どんなに練習したって健常者と同じようにはならない事は、ワタクシも百も承知である。だからこそ当事者ならではのアプローチが必要と考えているし、ひょっとしたら当事者ならではの特性を上手く生かした健常者にはないブレイクスルーだって見つかるかも知れないのである。まず自分を変える事が、世の中を変えるための一番の近道。改めてそう思う今日この頃であった。