ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「人間というものは中々厄介な存在で、親近感と敬意は、彼らの心中では両立しがたい存在である」
By 塩野七生
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*国歌斉唱と敬意
なんか最近アメリカの方じゃ【トランプとNFLが揉めてる】らしいのである。詳細はリンク先にあるので省略するが、この件に関するワタクシの見解は「61対39でトランプを支持」である。この数字の根拠は何かって?細かい事は気にしないに限るのである(笑)ワタクシは国旗や国歌に敬意を払うという事は、ソレ即ち政権与党や国家元首に対する敬意ではなく、政権与党と国家元首を選んだ国民に対する敬意だと考えているのである。コレが独裁国家のソレだったら兎も角、真っ当な民主主義国家においては「政権与党や国家元首=国民の意志」であり、そしてアメリカは真っ当な民主主義国家である。だからたとえ自分の望んだ政党や元首でなくとも、ソレを選んだ多数の国民の意志は尊重すべきだと思うのである。
そう、この片膝ついたパフォーマンスの何が問題かって、国旗の向こうにいる国民への敬意が無い事にあるのである。だからもしワタクシがNFLの選手だったら、ワタクシは取り敢えず形だけでも立って斉唱する。たとえ中身の無い形だけのモンであったとしても、ソレだけで敬意は伝わるからである。示すべき敬意を示した上で、抗議すべき事を抗議すれば良いのである。そうすれば、相手だって此方の話を聞こうと思うだろうからである。一方的に「俺は正しいッ!お前が間違ってるッ!」って叫ぶだけじゃ、物事を綺麗に収める事なんて出来ないのである。この「俺は正しいッ!お前が間違ってるッ!」を極限まで突き詰めたら、ほぼ間違いなく「あいつ等を滅ぼせば良いんだッ!」って結論に辿り着くからである。
*街中スムーズコンバット術
ワタクシは前々から言ってる事だけど「正しい」と「説得力がある」は別の問題なのである。そして別の問題だからこそ、世の中ってのはややこしくなってるのである。どう見ても胡散臭いヤツがあれよあれよと出世していくのを見て「何故あんなヤツがッ!俺の方が正しいのにッ!」って地団駄踏むヤツが居て、そして互いにソレに固執して事が更にややこしくなる。まぁそんな難しい話は良いとして、気軽な話題にしようジャマイカ(笑)
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ドラテクを磨きたいのなら、普段の運転からスポーツドライビングを意識する。単純な事のだけど、実に重要な事である。ちゅーのも普段から練習していない事、意識していない事が、本番になっていきなり出来る様になる筈が無いからである。走りのシーズンに間も無く突入という事もあって、ワタクシもギアは最速で上げる事を意識してるし、減速もヒール&トゥでやるようにしてるし、カーブ1つ曲がる時も脱出を意識して曲がるようにしてる次第である。もう一つの特集である新型スイスポについては思うトコがあるので、コレはまた後日にである。
PEACE COMBAT (ピース コンバット) Vol.21
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何ちゅーか、最近の中華銃の勢いが止まらないのである。昔の中華銃は典型的な”安かろう悪かろう”だったのであるが、日進月歩で技術や精度が上がり続けているのである(^_^;)確かに精度はまだまだ及ばないけど、ソコんトコはチューニングで何とかなるからである。ソレより何より、ニッポンのメーカーと違って細かい縛りが無い&人件費も安い分だけ、バリエーションが豊富なのである。家電やケータイが辿った道をエアガンも辿ってしまうのか、ソコだけが心配である( ̄〜 ̄)
*現在は江戸時代に非ず
話はまた国旗国歌云々に戻ってしまうけど、ニッポンにおいてこの手の問題が不毛な理由ってのが、正にコレだと思うのである。何ちゅーかニッポン人の多くに「与党や総理大臣=国民の意志」という概念が不足してるのである。だから「愛国心がある」「国に忠誠を誓う」とか言うと昔の天皇崇拝に結び付けられちゃうし、逆に「個人の時代ガー」「思想の自由ガー」とか言うと利己主義的なソレに思われてしまう。ホントは国の向こうにある人々に対して愛着や忠義を示してるのに、昔ながらの「お上&下々の者達」の考え方から抜け出せないのである。でもって質の悪い事に、政治家連中もこのイメージに便乗して票集めをしているんだから、ホント救い様が無いのである┐( -"-)┌
コレは前々からワタクシが言ってた事だけど、やっぱニッポン人には民主主義は合わないのである(笑)民主主義ってのは要するに「全ての人間は権利的法的に対等である」って前提の元で「でもリーダーは必要だから選挙で選ぼう」って考えに至るのだけど、ニッポン文化において人間は平等じゃないからである。先輩と後輩が居て、上司と部下がいて、組織と個人があって、お上と下々の者がいて、ソレに従う事が和であり正義であると古来から教え込まれてるからである。だからニッポンじゃ頻繁に「法的に正しいんだけど納得できない」と「法的には正しくないけど皆が納得してる」が起こってしまうのであり、その2つの価値観が衝突するのである。まぁ難しい話はウケが悪いので(笑)お暇しようと思う今日この頃であった。