ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「傲慢さは断じて、人間の尊厳の自覚ではない」
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*新兵器計画の見直し
以前ワタクシは「インドア用のトレポンが欲しい」と言ったのだが、その計画にはどうやら見直しが必要みたいなのである。ちゅーのも先日インドアフィールドに行った際、実際にトレポンを使ってみたからである。でもってその結果「インドアじゃトレポンはチート過ぎる」という結論に達したからである(´ヘ`;)インドアで無風状態になる事でただでさえ高いトレポンの命中精度が更に高くなり、光学機器のゼロインさえシッカリしてれば、僅かな露出部位にすらも容易に当てられるのである。分り易く言うと、30m先の障害物からはみ出したブーツの爪先でさえも、照準さえ合ってれば当たっちゃうのである(^_^;)でもってトレポンのレスポンスと連射能力は非常に高いから、セミオート限定でも怒涛の連射を浴びせる事ができてしまうのである。
だから相手も同じ【MOVE】製トレポンでない限り、撃ち合いになったら命中精度でも火力でもほぼ一方的に勝ててしまうのである。何ちゅーかワタクシ的には、爽快を通り越して退屈に感じてしまうのである( ̄〜 ̄)分り易く言うと、86とかWRXとかスイスポとかがメインの走行会において、R35や911GT3で参加して無双するようなモンなのである(笑)ワタクシにとってサバゲーってのは「如何にゲームに勝つか」ではなく「如何にゲームを楽しむか」なのである。強過ぎる武器で一方的に勝っても楽しくないし、ゾンビしてまで勝っても面白くないし、知恵や技術を駆使せずに勝っても面白くない。ワタクシが最近ショットガンにハマってるのも、今現在この”サバゲーの楽しみ”を最大限味わえる鉄砲だからである。
*全く期待していない新作
だから以前から求めていた「一年通して安定して使えるインドア専用の鉄砲」の候補から【TW5K】は一旦除外しようと考えたワケである。さて話は変わって、古人曰く「ロックバンドの解散とプロレスラーの引退は信じちゃいけない」との事であるが(笑)どうやらコレはアニメ監督にも言える事らしいのである。宮崎駿(以後パヤオ)が二度目の引退撤回をして【何だか新作を作ってるっぽい】のである:
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・・・というのがワタクシの偽らざる感想である(笑)パヤオ作品は「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」で脳天を44マグナム弾で撃ち抜かれたような衝撃を受けて、ソコから「紅の豚」までは夢中になって観てて、その後「ハウルの動く城」までは惰性で観てて、ソコから先は全然観ていないのである。何せラピュタやナウシカで受けた衝撃が脳天に喰らった44マグナムだとしたら、ハウルのソレは10歳以下エアガンの0.12gBB弾をケツに喰らったぐらいにしか感じなかったので、ソレから先は見る気を失くしたってワケである(爆)
ラピュタやナウシカやカリオストロの頃のパヤオって、言うならば「知る人のみぞ知る存在」だったのである。あの頃のアニメはまだアングラな存在だったから、パヤオは知る人の間では有名人だったけど、大多数の知らない人の間じゃ然程有名じゃなかったのである。だから何ちゅーか、あの頃のパヤオ作品には何処か「謙虚さ」があったのである。心の何処かで「自分のやってる事はホントに正しいんだろうか」って思ってるからパヤオ思想のアクの強さが幾分か抑えられていて、結果としてパヤオと思想を同じにしない人にも好意的に受け止められたんだとワタクシは思うのである。実際、この頃のパヤオ作品には思想の押し付け感が余り感じられず、純粋なエンターテインメント作品として楽しめたのである。
ソコから時は流れ、アニメが世間に広く受け入れられるようになるのと同時に、パヤオは「知る人のみぞ知る存在」から「誰もが知るニッポンを代表するアニメの巨匠」へと変わっていったののであるが、この頃からパヤオ作品の「謙虚さ」が薄れていって、代わりに「傲慢さ」が見られるようになってきたのである。心の何処かで「やっぱ俺のやってる事は正しかった」って自信を持っちゃったから、パヤオ作品にアクの強さが出てくるようになり、分り易いぐらいに作品においてパヤオの思想を押し付けられるようになってきたのである。あとメディアに登場して直接言う機会も増えてきたから、尚更この傾向が強くなったのである。アクの強さは好きな人には堪らないが、嫌いな人にはソレだけで拒絶されてしまうモンである。
*ラピュタの思い出
でもってパヤオはサヨクであり、ソレに対しワタクシはリバタリアン。つまりアクが合わないって事であり、故にハウル以降は観なくなってしまったのである。その後の「崖の上のポニョ」と「風立ちぬ」に関しては今でも「劇場には行かなかったけど、ネットレンタルで観よう( ̄∇ ̄)」って思ってはいるが、面倒臭くて未だ観ていなかったりするのである(笑)だから次の作品も結局観ないんだろうなって今から想像出来てしまうのである(^_^;)完璧な人間、完璧な正しさってのは世の中には存在せず、あるのはより良くなろうという不断の努力だけ。だからどんなに年を取ろうと、どんなに成功しようと、心の何処かで「自分はまだ完璧ではない」って謙虚さを持たなきゃいけない。他人は知らんが、ワタクシはそう考えてる次第である。
確かに今のパヤオに対しては「?」だけど、でもやっぱ初めてパヤオ作品を観た時の、脳天を44マグナム弾で撃ち抜かれたような衝撃は今でもまだ覚えているのである。ワタクシは初めて観たパヤオ作品はラピュタであり、ソレはもう凄かったのである。冒頭のシータが飛空艇から落ちるシーンでいきなり心を奪われ、そのまんま個性的なキャラクターによる躍動感溢れるドタバタな日常シーンで作品世界にグイグイと引き込まれて行って、ラピュタに辿り着いたあたりからボルテージがドンドン上がっていって、スタッフロールが終わった瞬間に現実に引き戻され「畜生、またクソッタレな現実世界に戻ってきちまった(´;ω;`)」って気持ちと共に物凄い虚無感に襲われて、その虚無感を埋めるためにまた観たくなる(笑)ホント凄い作品だったのである:
この強烈な思い出があるからこそ、その後のパヤオ作品にも「今回はダメだったけど、次はひょっとしたら・・・ひょっとするかもッ!」って期待してしまって、そのまんまズルズルとハウルまでは劇場に通ったワケである(笑)だから今でもパヤオ作品に期待しちゃうのは、ラピュタやナウシカの時みたいな超極上のエンターテインメント作品なのである。思想なんてのは相対的なモンだけど、真のエンターテインメントは万人共通。そう信じて止まない今日この頃であった。