アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SOMETIMES THEY COME BACK... TO MOSH

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「やるべきことはやる。自分がどうなろうとも、いかなる障害、危険、圧力があろうとも。これは人間道徳の基本」

By ジョン・レノン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*君主vs奴隷

 やっぱ何ちゅーか、奴隷道徳なヤツとはつくづく話が合わないのである( ̄〜 ̄)価値観が違うっていうのは、実は然程問題じゃないのである。価値観が違ったら違ったで「ソレには賛同できないが、まぁソレ言っても話が抉れるだけだから、コレ以上追及しないでおこう」って考えて話をやめる事が出来るからである。現にワタクシとワタクシ”師匠”は価値観がビックリするほど違うのだが、ソレでも仲良くやっていけるのは、そういう妥協があるからである。が、奴隷道徳なヤツってのは「正しいか否か」に必要以上に拘るから、話がソコで止まってしまうのである。でもって本人としては「話の流れが止まってでも、正しい事を貫く事が大事なんだ」って大マジで考えてるから、話してて楽しくない上に何も得られないのである┐(´д`)┌


 ワタクシは発達障害当事者であり、同時にオタクでもあるのであるが(笑)ワタクシが発達障害の世界やオタクの世界からは距離を置いてる理由が、正にコレなのである。発達世界もオタク世界も、基本的に奴隷道徳の世界だからである。この「奴隷道徳」と反対語である「君主道徳」んついては「ニーチェ読め」と言いたいトコであるが、心優しくてネタの無いワタクシが簡易的に説明してあげようと思うのである(爆)

君主道徳 奴隷道徳
個人主義がメインであり、自分で考え行動する事を良しとする 集団主義がメインであり、集団全体としてまとまった行動や意思を優先する
能力や意思がある事を良しとして、規律はその力関係から生まれると考える 善良である事や慈悲がある事を良しとして、規律はルール厳守から生じると考える
大事なのは「結果が良いか否か」であり、その為にはルール変更も厭わない 大事なのは「正しいか否か」であり、正しければ結果が出なくても許される
価値観やソレに対する誇りが、自分自身や自分の成した事から生じている 価値観やソレに対する誇りが、自分の外にあるモンに由来している
絶対的な価値観を持たず、不断のトライ&エラーによる成長こそが大事と考える 絶対的な価値観の基、ソレに忠実に従う事に安定と安心が生まれると考える
弱さや無知は罪であり、ソレ故に淘汰されても自業自得 弱さや無知は仕方ないモンであり、ソレを互いに補い合って助け合う事が重要
個人主義であるがゆえに、思った以上に多種多様な意見に対し寛容 集団主義であるがゆえに数が重要になるから、自由さや寛容さは実は少ない
根底にあるのは「肯定」 根底にあるのは「否定」


簡単に言うとこんな感じである。でもって説明するまでもなく、ワタクシは君主道徳側の人間である。何故かと言えば古今東西、世の中を動かしてきたのは君主道徳だったし、今後もそうであろうからである。確かに奴隷道徳の世界は一体感が得られ易いし、居てて安心するのである。が、単に安心するだけであり、ソコには成長も無ければ感動も無いのである。確かにぬるま湯は気持ち良いのであるが、ソコに長く浸かってれば風邪ひくってモンである。


*予定調和の引退

 さて話は変わって、件のニッポン在住のドルジが同じくニッポン在住のドルジをフルボッコして、ソレを海外のドルジが口を挟んでる件についてであるが(笑)この度【加害者のドルジが引退した】んだそうである。この件についてのワタクシの見解はズバリ「相撲の伝統だか先輩への礼儀だか知らないが、ニッポンは法治国家であり、法治国家における最高位の判断基準である法律が”ボコったらダメ”と言ってる以上、ソレに従う以外の選択肢は無い」である。だから合計何発ボコったのかとか、ボコるのにビール瓶を用いたかリモコンを用いたのかとか、そんな事はどーでもいいのである。ボコった時点で法律違反なのであり、ボコられた側には告訴権を行使する権利があるのであり、その権利を侵害する事はできない。後にも先にも、ただソレだけの話である。



 まぁ何ちゅーか、予想通りのシナリオである。自ら”潔く”引退する事で「ケジメを付けた人をコレ以上叩いたらダメ」って世間に思わせられるし、ケーサツも「社会的制裁は受けた」と判断して不起訴処分にするであろう。この事件の本質的な問題は有耶無耶になったままニュースやメディアからフェードアウトしていって、来年の初場所からまた平常運転の角界に戻るってワケである。貴ノ岩貴乃花親方についてはまだ一波乱ありそうだけど、最終的には何だかんだ相撲協会と痛み分けして角界に残るんじゃないかとワタクシは予想してるのである。協会としては追放して外野から色々騒がれると困るし、貴ノ岩貴乃花親方は事は解決しないけどチャンスだけは幾分か残るって感じにである。



 コレに限らず今まで角界には色んな問題が、中にはコレ以上あったにも関わらず、ソレでも角界は全然変わらなかったのである。だから今回の問題を経ても、角界は従来同様変わらないんじゃないかと思うのである。何故かと言えば、ニッポン人は変わる事が大嫌いだからである。変えてスッキリさせてしまう事で混沌が生まれるよりかは、ドロドロしてて陰湿でも和を保ちたいと考える。特定の関係者以外誰も損をしないのであれば、尚更昔のままでいい。そういう心情がニッポンに根強く残ってる限り、物事は何も変わらないと思うのである。唯一変わる可能性があるとしたら外圧だけど、外圧って言っても相撲はニッポンでしかやってないので、コレも期待薄なのである(´ヘ`;)


*未来の相撲

 まぁ抑々ワタクシには相撲属性は無いので、この話をするのもコレぐらいにしておこうと思うのである(笑)確かにこの方法で鎮静化を図れば、当面は平常運転で大相撲は回っていく事であろう。が、その後はどうするんだって話である。最後に相撲ブームがあったのは若貴の時代で、この時にファンになった世代が幾分か残ってれば今後も全盛期ほどではないにしろ、ソレなりにやって行けるであろう。が、その世代が終わったらマジでヤバいとワタクシは思うのである。身長173cm以上体重75kg以上、昔の相撲の新弟子採用の基準である。コレが今や167cm以上&67kg以上に下がってるのである。子供は年々大型化していってるのに、採用基準は逆に下がってる。コレはヤバい事だとワタクシは思うのである。



 ワタクシは「角界に改革は必要か?」と問われたら、ソレに対しイエスと答える理由がコレである。人間的に正しいか否かは置いといて、改革しなきゃ廃れちまうからである。ただでさえ少子化してるのに、フィジカルエリートの上澄みの美味しいトコは野球とかサッカーとかテニスとかのメジャースポーツが持って行っちゃうのである。考えてみりゃ分かる話であるが、例えばMLBのトップ選手になる事が出来れば、横綱になってから引退までに稼げるカネを、僅か1年でゲットする事が出来るのである。言っちゃなんだがフィジカルエリートからしてみれば、何が悲しゅうて”安給料”でブクブクに太って寿命を縮めなきゃならないのに加え、スマホを弄っただけで頭をカチ割られなきゃならないんだって話である(笑)何だかんだ言って、世の中はカネ。そう確信してしまった今日この頃であった。