アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

INFLIKTED

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「人間の性質はとかく集団を作りたがり、孤立し独力で歩くことを避けたがる」

By 福澤諭吉


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか


*スターとヒーローの違い

 ワタクシ実はMLBが好きなのである。とは言っても【MLB.com】に加入して毎試合チェックするようなマニアではなく、BSやCSでやってる試合をヒマな時に観る程度のライトなファンである。MLBの「世界最高の人材が集まって、世界最高の技術とインフラを用いて、世界最高の野球を進化させ続けている」っていう組織の在り方に感銘を持ったのもそうであるが、一番はやっぱ大坊時代にリアルタイムで観ていた野茂フィーバーの影響である。確かにMLBにはグレッグ・マダックスランディ・ジョンソンみたいな野茂を超えるスター選手が多く居たし、同じニッポン人選手でもダルビッシュ有大谷翔平とかは確実に野茂より上である。が、ソレでもワタクシに「自分もこういう風になりたいッ!」って思わせてくれるヒーローは、未だ野茂だけである。


 偉大な人物(或いは団体)とは何か?ワタクシの答えは「ソイツ(達)の前後で歴史をガラリと変えたヤツ」である。でもって野茂デビュー前のNPBと野茂引退後のNPB、ビックリするほど変わっちゃってる事を考えれば、野茂が如何に偉大だったかが分かるってモンである。ワタクシはリアルタイムで観てたから分かるのであるが、MLB行く前の野茂バッシングは、ソレはソレは酷かったモンである(-_-;)

動画に音声が無いのがアレであるが、音声が無くても画像とテロップだけで当時がどんだけバッシングが酷かったかが分かるってモンである( ̄〜 ̄)江本孟紀とか星野仙一とかのOB連中がテレビ出る度に野茂を扱き下ろしてて、テレビや新聞や雑誌とかでも「和を乱すヤツ」とか「ニッポンやきうの裏切りモン」とか散々書かれてたのを今もよく覚えているのである┐(´д`)┌その後の野茂の活躍については、最早説明の必要は無いと思うのである:

既得権益やら伝統やらでガッチガチだった(今でもまだガッチガチだけど)NPBを、たった一人の力で変えてしまったのである。当時ボロクソ言いまくってたマスコミや評論家やOB連中が野茂の活躍や現地でのフィーバーを無視できなくなって、賛美や称賛に転じざるを得なくなった。その瞬間をリアルタイムで観てきたからこそ、野茂はワタクシにとってのヒーローであり続けているのである。


現代社会vs伝統社会

 なぜ急に野茂の話をしたかって、以前ネタにした”ニッポン在住のドルジが同じくニッポン在住のドルジをブン殴った事件”の余波がソレに似ていたからである(笑)何が何でも変わりたくなくて騒動を収めようとする角界が、至極当然の対応をしてる貴乃花親方&貴ノ岩を悪者にしようとしている。そんな状況が野茂バッシングしてた頃のNPB及びその周辺と似てると思ったからである。今の角界も当時のNPBも「今までソレでずっと上手くやってきたんだから、今後も同じようにやれば上手く行く筈。だからソレ以外の方法を試そうとするなッ!!」って思ってて、そうでないやり方を試みたヤツを徹底的に叩くのである。今はSNSとかがあるからまだマシだけど、野茂の時代は無かったから、マスコミのスクラムが酷かったのである(´ヘ`;)


 ただ相撲に関して言えば、少しばかり違うトコがあるのである。ソレは野球があくまでもアメリカ由来のスポーツであるのに対し、相撲は神事であり、古来からの伝統行事であり、ニッポンの国技だという点である。野球の場合は「何だかんだ言っても本家はあっちで、ウチは分家だからねぇ( ̄〜 ̄)」ってなるのだが、相撲に関してはニッポンがバリバリの本家である。だからその事を議論しようとしても「相撲≒ニッポンのアイデンティティ」って形式が出来上がってしまっていて、知らず知らずの内に聖域化してしまうのである。ソコに手を加えたら相撲が相撲で無くなってしまい、そうなったらニッポン人は大事なアイデンティティを失ってしまう。そんな雰囲気がワタクシには感じられるのである。



 貴乃花サイドの何が色んな人の気に障ったかって、貴乃花サイドがこの件の解決のために法律を持ち出した事にあるんじゃないかと思うのである。法治国家として法律があらゆる価値観の最上位にあり、全ての人は法の下に平等である。でもよく考えてみれば、そういうシステムってのは欧米由来のモンであって、ニッポン古来の価値観じゃないのである。そう、角界側の人間からしてみれば、貴乃花サイドは欧米的な価値観を以って、ニッポン古来の価値観の世界である角界に”侵攻”しようとしてるっていう風に映るから、ソレに対する反発なんじゃないかと思うのである。つまり正しいか否か、合理的か否かではなく、テメェ等のプライドとアイデンティティの問題だから、議論が出来なくなってしまってるのである。


*ニッポン人に民主主義は合わない

 サブタイのソレは、民主主義云々の話が出る度にワタクシが繰り返し言ってる事である。今のニッポンは民主主義制の法治国家なのだから、基本原理は「法律があらゆる価値観の最上位にあり、全ての人は法の下に平等である」「全ての人間は(他者のソレを侵害しない限り)表現や言論の自由が認められている」が基本原則なのであるが、ニッポン社会内で生活してればソレが建前でしかない事が分かる筈である。先輩後輩といった縦社会は未だに残ってるし、集団主義的な考え方や行動は未だに残ってるし、忖度って言葉が示すような自由を制限するソレがある。何故未だにそうしてるかって、昔からそうだったからである。いくら「法律はしきたりや伝統よりも偉い」と言ったトコで、ハイそうですかと受け入れられはしないのである。


 問題がある事は分かっていても、ソレを外部の力で変えるのは良しとしない。だから解決する気は無くても問題提議だけはしておいて、あとは内部の人間が徐々に意識を変えて少しずつでも自浄していくのを待つ。ソレがニッポン古来の問題の解決法であり、今回のこの問題も結局はそういう方向性に持っていくんじゃないかとワタクシは睨んでいるのである。特にニッポンの場合、ソレで世界第2位の経済大国にまでのし上がっちゃったから、益々以って自分等のアイデンティティに誇りを持ってしまう&ソレを外から変えられる事を良しとしなくなってしまってるのである。さて何だかなんだ明日以降も色々と忙しいので、ココまでにして〆ようと思う今日この頃であった。