アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE COMMON MAN’S COLLAPSE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「正しさだけでは人は動かない。共感には理屈よりも納得が必要なのである」

By カルロ・ペトリーニ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*リコールが我が家にやってきた

 件の日産の無資格検査云々のアレであるが、どうやらワタクシの愛車もソレに該当していたようなのである。来年2月に車検なんで、ソレに合わせて通知がやってきたのである。この件についてのワタクシの見解は「今更どうでもいい」である。3年近く乗ってきて、サーキットも走りまくって、不具合らしい不具合は何一つ無い。クルマ属性のあるロンマニアの方ならば、あの資格が数十年前のニッポン車の品質なら兎も角、現代のニッポン車の品質においては余計なお世話以外の何でも無い事は分かっている筈である。指摘されなくても何の問題も無いし、指摘したら逆に面倒臭くなるだけ。正す事に何の意味も価値も無いのである┐(´-`)┌ぶっちゃけた話、何らかの陰謀説を疑ってしまうのである。



 ソレでも「日産の企業体質ガ―」とかいうヤツが居たら、ワタクシはソイツに「ルサンチマン乙、奴隷道徳乙」と応える次第である。物事を「良くなるか悪くなるか」ではなく「正しいか正しくないか」で判断して、非生産的な”強い者いじめ”に興じる。ハッキリ言って時間と労力のムダ遣いである┐( -"-)┌言っちゃアレだが、この手の”強い者いじめ”が好きなヤツの相場は決まっている。自分が最底辺だと思ってるヤツである。実際の立場ではなく、精神的な立場という意味である。最底辺には「ひょっとしたら自分も下の人間から同じようにやられるかも知れないッ!」って発想が浮かばないから、嬉々として上に居る人間を叩くのである。無論、言論の自由があるからやるのは勝手だけど、評価はまた別の話である。


*ホントは違法な昔話

 ニーチェの説くルサンチマン然り、魯迅の「阿Q正伝」に出てきた精神勝利法然り、最近はこの手の価値観が変に持て囃されてるから困ったモンである( ̄〜 ̄)昔は少なくて連携も取れなかったソレが、格差社会になって数が一気に増えて、ネット時代になった事で連携まで取れるようになってしまったから、下らなくても票だけは集められるようになってしまったのである。最近聞いた話だと【白雪姫の王子のキスは準強制わいせつ】なんてのがあったけど、コレも典型的なルサンチマン由来の奴隷道徳なのである。この考え方の何がダメかって「物事が解決しないから」に尽きるのである。王子さまはあらゆる合法的な手段を講じましたが、白雪姫は目覚めませんでした。でも法律を順守したのだから、王子さまは悪くありません。そんな話に誰がカネ払うのであろうか(笑)


 まぁあともう一つは、昔の話に現代の価値観を持ち込むのはナンセンスって事である。昔の物語ってのは、昔の価値観だからこそ意味があるのである。良かろうが悪かろうが「昔はそうだった」って事を知る事が重要なのである。現代の価値観ってのは昔の価値観の積み重ねでできてるモンなんだから、ソレを否定してはならんのである。第一、今の価値観や法律を昔話に持ち込んだら・・・

  • 桃太郎 → 不法侵入、強盗略奪、暴行傷害

・・・この様に色々とヤバい事になってしまうのである(笑)だから昔話に現代の価値観を持ち込む事は、この上なくバカバカしい事なのである。言っちゃなんだが物語を読んで変な事するヤツってのは、物語を読まなくったって変な事をするモンであり、そのキッカケを全部潰していったら限が無いのである。


 あともう一つ付け加えると「今の人類が”良い”としてる価値観が、果たして未来においても良いモンなのか?」って事である。あのアリストテレスは「奴隷は必要。だって奴隷はバカだから奴隷になったのであり、バカはバカなりに肉体労働に専念して、賢い人々が考えて良いモンを生み出す手伝いをする事が重要」って言ってたのであるが、じゃあアリストテレスは愚か者なのかって話である。だから今ある価値観を絶対だと考えて、昔ながらの価値観を否定するのは間違った事なのである。今は正解だと思われてる価値観も、ひょっとしたら未だ発展途上なのかも知れない。だから言論の自由は重要だし、自由は保障される必要があるし、過去の遺産にモザイクを掛けてはならないのである。


ルサンチマンの国・ニッポン

 こう言っちゃアレだけど、ニッポンって国はルサンチマンが多過ぎるのである。ルサンチマンと奴隷道徳のせいで、本来花開くべきモンが蕾のままで眠ってしまう。何故そうなるかをワタクシなりに考えてみたのであるが、多分「和を保つため」じゃないかと思うのである。諺に「出る杭は打たれる」って言葉があるように、ニッポン人は突出した才能で頭抜ける事を嫌うのである。が、その反面仲間意識が強く、余程の事をしない限り仲間から外される事は無い。こうやって突出し過ぎない&落ちこぼれし過ぎない様にする事で、能力や階級で露骨に分断される事を最小限にして、社会の分断からくる内戦や内乱を防いでいるのである。某東京都知事の「リベラルは排除する」発言が叩かれたのは、つまりそういう事なんじゃないかなと思うのである。


 で、その分断を防ぐ方法の一つに「ルサンチマンを許容する」があるのである。上に立つ人間が一方的かつ非生産的に叩かれるのを許容するor許容させる事によって下の人間に「自分は恵まれないけど道徳的には勝っている」っていう満足感を与える事で、ある意味上と下との”均衡”を図っているのである。ところが現代になってネットが発達する事で他国の考え方が入ってきたり、或いは下側の人間の”道徳的な問題点”が色々と暴露されるようになってきて、この”和を保つシステム”に綻びが生まれたのが現代だとワタクシは見ているのである。ニッポンが欧米みたいな様々な階級や階層に分断された国になるのか、或いは昔ながらの”和”を保ったままいられるのか、色々と興味深い今日この頃であった。