アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

I HATE THEREFORE I AM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「論争には耳を傾けよ。だが論争の仲間入りをするな。たとえいかなる些細な言葉の中にも、怒りや激情を吹き込む事を警戒せよ」

By ニコライ・ゴーゴリ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*非議論のススメ

 議論を円滑に進める最も効果的な方法は、議論をしない事。デール・カーネギーの言葉であるが、ホントそうだとワタクシは思うのである。議論はどうしても意見がかみ合わない時だけにして、相手が頑なに意見を変えない時は素直に議論を止める。コレが議論に関するワタクシのジャスティスである。ちゅーのも自分から議論を吹っかけてくるヤツってのは、高い確率で「私の意見が一番正しいッ!」って考えていて、そういうヤツにとっての議論とはは「私の正しさを分かってもらうための儀式」に過ぎないのである。だから何をどう反論しても納得しないし、同じ事を繰り返し言うし、こっちの揚げ足を取ろうとしてくるし、仮に論破できたとしても「でも私の信念は変わらないッ!」て話を一方的に切られてお終いである。



 ワタクシもブログやったりSNSやったりしてるから、この手の議論に巻き込まれる事が偶にあるのである(^_^;)議論が面倒臭い上に実りが少ない事をワタクシは知ってるから、故にワタクシは自ら他人に議論を吹っかける事は基本しないのである。相手から議論を吹っかけられたら礼儀上反論のレスはするが、二言三言レスしてソレでも相手が自論に固執するようだったら、その時点で議論はお終いである。アメリカの諺に「馬をムリヤリ水飲み場に連れていく事は出来ても、ムリヤリ水を飲ます事までは出来ない」って言葉があるように、相手の考え方を議論で変える事なんかできないのである。お互いに考え方を変えられる柔軟な心が無い限り、議論なんてやるだけムダなのである。


*知識=アイデンティティ

 でもってワタクシの知る限り、他人に議論を吹っかける事を好むヤツの相場は決まってるのである。ソレは「知識だけが肥大してしまったヤツ」である。ルックスも勉強もスポーツもコミュ力もダメで、ソレゆえにコンプレックスに苛まれるヤツってのは、少なからず知識に救いを求めるのである。何故知識に救いを求めるかって、見た目や運動神経や学力や話術がヘタでも簡単に手に入るからである。そうやって知識を山ほど貯め込む事で「私は何でも知っているッ!何も知ろうとせずに漫然と生きてる他のヤツ等とは違うんだッ!」って優越感を得れるのである。で、中にはソレが強過ぎるヤツが居て、そういうヤツがネットや、場合によってはリアルで議論を吹っかけてくるのである。


 よーするにワタクシが度々使ってる”ルサンチマン”ってヤツである。特に最近はネット社会とグローバル化によって格差が更に深くなってきた&知識を得易くなった事で、この流れが益々加速した様に感じられるのである。でもって政治関係や社会関係の知識を溜め込むようになると、そういうヤツは概してサヨクになるのであり、こういう風に【金メダリストと総理大臣を結びつけるようになる】のである(笑)

ワタクシはこの記事読んだ時、即座に「あぁ、コンプレックス拗らせて社会政治に走ったヤツが、ルサンチマン爆発させたんだなぁ〜( ̄▽ ̄)」って思ってしまったのである。前にも言った事があると思うが、安倍ちゃんってのは典型的ないじめっ子キャラなのである。安倍ちゃんがいじめっ子キャラだからこそ、典型的ないじめられっ子キャラだったであろうサヨク連中の逆鱗にモロに触れるのであり、事ある毎に因縁付けて叩くようになってるのである。


 そう、ルサンチマンから知識を溜め込むヤツの何が問題かって、客観的になれない事にあるのである。知識を溜め込む同期の根底に「周りを見返してやりたいッ!チヤホヤされたいッ!世の中を正して自分を認めさせたいッ!」ってのがあるから、自浄作用が全く働かないのである。何せ知識の蓄積しか取り柄の無いヤツにとっては「知識を否定される≒自分自身を否定される」だから、テメェの知識の間違いは死んでも認められないのである。だから賢い人はこういう輩とは決して議論せず、何言われても自分のすべき事を淡々とやるだけなのである。賢い人達が黙っているのは知識が無いからでも真剣に考えた事が無いからでもなく、ソレをひけらかす事に意味が無い事を知ってるからなのである。古人言うトコの「雄弁は銀、沈黙は金」ってヤツである。


*インフォメーションとインテリジェンス

 ワタクシが何故ココまでハッキリ書けるかって、サブタイにある通りワタクシ自らソレが無益だと実体験したからである(笑)ワタクシに限らず、発達障害の界隈ってそういう当事者が少なくないのである(^_^;)障害ゆえに周りと上手くやって行けず社会的にも孤立してしまって、知識の蓄積に救いを求めて、その結果サヨクに目覚めたり宗教に走っちゃったりする。そういう光景を何度も見てきたし、現在進行形でソコに陥って「俺が社会を変えるんだッ!」って変な活動してる人を何人も知ってるのである。直接言ってもムダって分かってるからワタクシは敢えて何も言わないが、でも何ちゅーか歯痒い気持ちにはなるのである( ̄〜 ̄)言っちゃ何だが、こういうのって目が覚める事よりも、そのままズルズルとハマっちゃう事の方が多いからである。


 ワタクシが何故”目が覚めた”かって、蓄積した知識が実際には何の役にも立たない事を知ったのと、ワタクシが知識だと思ってたモンは実は知識じゃなかったからである。本やネットで搔き集めたモンってのは、実は単なる情報(インフォメーション)なのであり、料理で言うと食材みたいなモンである。でもって食材ってのは大概そのままでは食べられないから、調理する必要があるのである。料理、つまり実践と経験を経て精製された情報こそが知識(インテリジェンス)なのである。価値があるのはインテリジェンスの溜め込みの方であり、インフォメーションはどんなに溜め込んでも「ググればおk」でお終いなのである(笑)インテリジェンスの宝庫になりたい、改めてそう思う今日この頃であった。