ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「正しさは伝染らないけど、楽しさは伝染る」
By 森毅
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*納税は社会活動の一環
私は発達障害の当事者で、同じ発達障害の当事者を助けたい、同じ障害で苦しんでる人の役に立ちたいのですが、どうすれば良いでしょうか?昔講演した時、こういう質問をされた事があるのである。その問いに対するワタクシの答えは「仕事して自立できるようになりましょう。そして、稼いだ給料でタップリ遊んで下さい」である(笑)ちゅーのも、ワタクシは納税を非常に有効な社会活動の一環だ思ってるからである。実際に直接的な活動してるNGOやNPOの助成金や、自立できなかった場合に支給されるナマポの財源は何処から来るのかと問われたら、答えは「ワタクシ含む納税者の税金から」である。つまりカネを稼いだりカネを使ったりして税金を納める事で、間接的にだけど他の発達当事者、及びその他の生き辛い人々を助ける事に繋がるのである。
だから(違法行為はせずに)働いてカネをガッツリ稼いで、貯めたカネを(ムダ遣いしない程度に)シッカリ使うってのは、実に尊い事なのである。あと社会進出して成功する当事者が増えれば増えるほどハードルは低くなるし、他の当事者にも「私もひょっとしたら何とかなるかもッ!」って希望を与える事も出来るから、正に一石二鳥なのである。だからワタクシは「皆で連携して社会を変えていきましょう」よりも「発達障害でも強みを活かして上手くやればフェラーリに乗れる」の方が断然夢があって素敵だと思うのである(笑)
古今東西、世の中を動かし変えてきたのは、常にエキサイティングなモチベーションなのである。ココで重要なのは「正しい」のではなく「エキサイティングな」という事である。エキサイティングだからこそ人々は熱中し、集い、力となるのである。ワタクシは前々から言ってるのであるが、人助けってのは自分を養って余りある人が、その余りを不足してる人に分け与えるからこそ成り立つのである。テメェを養えないヤツが他人に施したって、結局共倒れになるだけである。他人を助けたいのであれば、先ず自分を十二分に助けてからである。
*楽しさ>速さ
ワタクシも日々「ブログタイトルで分かるように、ワタクシはアスペルガー症候群の当事者です。流石にフェラーリはまだムリだけど、GT-Rなら何とかなりました」ってアピールしてるのであるが、ソレでも世の中が変わらないって事は、やっぱ国産車じゃブランド力が不足してるようである(笑)そのGT-Rであるが【車検を無事終えてきた】次第である。R35に纏わる都市伝説の中に「車検費用が100諭吉かかる」ってのがあるのであるが、強ちウソじゃ無かったって話である(爆)600馬力もあるクルマだからしゃーないと言われればソコまでだけど、やっぱR35で走りを楽しもうとするとカネがかかってしょうがないのである(´ヘ`;)もう基礎が出来上がってて2〜3周するだけでアタック終了って上級者ならソレで良いんだけど、生憎ワタクシは上級者じゃないのである。
でもって今のスーパースポーツの世界ってのは、もう完全に止め処無いパワー競争、スピード競争の時代に突入してるのである。下位グレードの車種でも当たり前に600馬力前後あるし、上位グレードに至っては800馬力に到達する勢いであり、ニュル北のタイムは7分切りが珍しくなくなってしまってるのである。当然だけどタイヤは更に太くなる&グリップ最優先でライフも短くなる&更にウェットに弱くなって、ブレーキローターもブレーキパッドも更に大型化&効き重視でライフも短くなり、車体剛性も上げなきゃならなくなるのである。するとどうなるかって、ただでさえ高いランニングコストが更に高くなり、気軽にサーキットで遊ぶ事が更に厳しくなってきてるのである。
今のR35も次の車検を受ける予定は無いから、多分来年の半ばには次のクルマを何にするか悩んでるトコであろう。でもってワタクシが考えてるのは「速さはもう十分だから、ランニングコストが安いor高くてもコストパフォーマンスの良いクルマにしたい」って事である。確かにアホみたいに速い超ハイパワーマシンは機械好きとしてはツボるのであるが、ソレをサーキットで存分に楽しめなければ意味が無いのである。一回走る度にン十諭吉かかったんじゃカネがいくらあっても足らないし、かと言って街乗りオンリーだと間違いなくストレスで憤死する(爆)FSWの30分×2本を安心して走り続けられて、かつメンテナンスに必要以上の時間とカネを費やさないで済む。そんなクルマが理想的なのである。
*当事者よ社会人であれ
ワタクシの事を「口先だけで実際何も行動していないヤツ」と言ってるヤツが居るらしいのであるが、ワタクシはソレに対し「ガッツリ稼いでクルマにガッツリ注ぎ込む事で、納税という形で間接的に生き辛い人々を助けている&音速の発達当事者として夢を与えてる」と反論する次第である(笑)ンなモン誰でもやってるって?そう、社会人としての義務を果たしてる人は、たったソレだけで生き辛い人々を間接的に助けているのである。だからワタクシは今も昔も、そしてコレからも「発達当事者は可能な限り働いて自立すべし。出来ないのであれば、出来るように日々精進すべし」と主張する次第である。その為のサポートならば、ワタクシは手間や暇を惜しまないつもりである。
もう何回も言ってる事であるが、ワタクシはビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような大富豪でもないし、マザー・テレサやフローレンス・ナイチンゲールのような聖人でもない。つまり無差別に全ての人を助ける各種余裕も無けりゃ、モチベーションや使命感も無いし、弱者の味方でもなけりゃ正義の味方でもないのである。だから人助けは余裕がある時にしか出来ないし、その余裕も限られているのである。だから人を助けるんだったら、当然見込みのある人、気合の入ってる人、勇気のある人を優先するに決まってるし、ソレを薄情だと言われても別に何とも思わん次第である。社会を変えたいのであれば、まず自分を変えるべし。改めてそう思う今日この頃であった。