アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

GOMORRAH’S SEASON ENDS

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「人間はなんといっても不合理だ。人間は自分の持っている自由は決して行使しないで、自分の持っていない自由を要求する。彼らは思索の自由を持っているが、表現の自由を要求する」

By セーレン・キルケゴール


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*スナイパーライフルが欲しい?

 サブタイの意味であるが、書いて字の如くである(笑)ワタクシのサバゲー界隈ではポストトレポンとして今ショットガンが流行っているのは以前にもネタにした次第である。じゃあポストショットガンは何になるかと色々予想したのであるが、次は恐らくスナイパーライフルになるんじゃないかと思うのである。他にも”CO2マガジンのハンドガン”ってのも考えたのであるが、いかんぜんハードやインフラが足らな過ぎるのである。何故スナイパーライフルかって、ワタクシのサバゲー界隈において何よりも重要視されるのが「初弾を確実に当てるための命中精度」と「可能な限り初弾を早く当てるための発射レスポンス」の2点だからである何故トレポンとショットガンが流行ったかって、この2つを兼ね備えているからである。


 でもってその2つを得るためには何が重要かって、答えは「安定したエアソース」であり、このエアソースの安定性において圧縮空気に勝るモンは今んトコ存在しないからである。でもって圧縮空気をエアソースとしてる長物鉄砲は電動ガン各種と、エアコッキングショットガンと、あとスナイパーライフルの3種類だけであり、ソコから自ずと「次に流行るのはライフルかな」って憶測を立てたのである:


この2つのどっちかにしようと思うのであるが、今んトコどっちも購入を決断させるような決定打が無いのである(^_^;)てゆーか抑々ワタクシは隠れるのがヘタ&ADHDが少し入ってるせいか同じトコでじっとしてられんので、スナイパーめいた事は大の苦手だったりするのである(笑)まぁ実際買うにしても、その時が来てからで良いと思うのである。



*改めて、表現の自由とは

 表現の自由とは「表現したい事を表現する」という事ではなく「表現しちゃダメな事を表現しない」という事。コレが表現及びその他諸々の自由に関するワタクシのジャスティスであり、コレは今後も変わらないだろうと思うのである。そして今回【元朝青龍がコロコロのマンガにマジギレした事件】が、正にその事を如実に示しているのである。こういうのってワタクシも昔よくやってたから分かるのであるが(笑)こういうのって自分の教科書のでやる&クラスの少数の友人のみで共有するという閉鎖的な空間で完結するからこそ許される行為なのであり、公式に公に出したらアウトなのである。特にニッポンのマンガがニッポン国内だけで収まってた昔とは違い、今はネットやSNSで容易に世界中を駆け巡るんだから、今まで以上に注意して責任を取らなきゃならんのである。



 そう、コレこそ正に”表現しちゃダメな事”である。法律で禁じられてないから無問題?ソレでも表現の自由は尊重すべし?ワタクシはそう思わんのである。何故ならこの表現をする事によって、朝青龍をはじめとする多くのモンゴル国民、及びその他のこの表現に嫌悪感を持つ人が敵に回るからである。でもってやられた側は、同じ様なやり方で返してくるであろう。でもってその反撃が法律や各種自由に背いていない限り、こちらは何も出来んのである。そう、なぜ表現しちゃダメなのかって、答えは「メリットよりもデメリットの方が大きいから」である。正しいとか正しくないかとかではなく、単純に損得勘定の問題である。表現の自由ってのは手段であって、決して目的ではないのである。


 表現の自由ってのは、何かを得るための手段であって、目的ではない。巷で「表現の自由ガー」って騒いでるヤツが忘れがちな事である。つまり自由の行使により得られるよりも失うモンの方が多いのなら、ソレは賢い行使とは言えんのである。でもって最も賢くない行使の結果は、敵を作ってしまう事である。昔の友人曰く「戦争ってのは究極の偏見を以って行われるモンであり、どちらかが完全に滅ぶまで決して終わらない」と言っていたが、ホントその通りだと思うのである。もし自分側が圧倒的な”戦力”を持っていて、戦争になっても余裕で勝てるのであれば(ある意味)アリかも知れないが、そうでないのなら余計な事は言わないべきであり、ワタクシの知る限り世の中の圧倒的多数は”そうでない”人々である。


*日陰モンの矜持

 エログロナンセンスを売ったりやったりするなとは言わないが、日の当たるトコでするべきではなく、どうしてもやりたいのであれば陰で理解者だけでコッソリやるべし。ワタクシがコミケ云々オタク云々を語る時に常々使う言葉であるが、コレもつまりそういう事である。そうやって陰に隠した方が、長い目で見れば有益だからである。ソレにもし自由の行使に拘って戦争になったとしても、オタク側に勝ち目は無いからである。人数も権力もカネも無いオタク側が、何をどうやれば勝てるんだって話である。オタク産業の大きさを侮るな?言っちゃ何だがオタク産業の大きさなんてのは、クルマや外食やギャンブルと比べたら微々たるモンである。だからこそ「生き残る為には表現しちゃ拙い事は表現するな」って事が重要なのである。



 じゃあ何故こういうのに大々的にファンや作家や一部文化人が反対するかって、二次元に生きてるヤツってのはソコにテメェのアイデンティティーを突っ込んでしまってるからである。フツーの社会に居場所が無くて、二次元に自分の居場所を求めて、ソコで「我々には我々の世界があるッ!」ってルサンチマンを得ちゃったからである。だから規制が実際に成されるか成されないかは関係無く、兎に角「我々を追放したヤツ等が、また我々の世界に踏み込んでくる」って事自体が受け入れられないのである。だたそうは言っても、世の中ってのは常に強いヤツが有利になるようになっていて、コレは古今東西変わらんのである。言っちゃダメな事は言わないようにして、少しずつでもいいから味方を増やしていく。後にも先にもソレしかないと思う今日この頃であった。