アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE THIRD ANTICHRIST

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「あらゆる男は、命をもらった死である。もらった命に名誉を与えること。それだけが、男にとって宿命と名づけられる」

By ウィリアム・サローヤン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*伝統はコッソリと

 ワタクシは中高と男子校に通っていて、男オンリーの体育会系部活も経験してるのである。だからプロスポーツの根底にあるメンタリティーは何となく分かるし、大相撲の「女は土俵に上がっちゃダメ」ってのも理解は示せるのである。が、そういったメンタリティーや伝統も「法律やルールを守っている」「他人の主権を侵害していない」の2つの前提があってこその事で、今回の【心臓マッサージする女性に土俵から降りるようにアナウンスした】件は「市長の生存権が脅かされてるから」って理由でソレに該当しないというのがワタクシの見解である:

コレと【その後の土俵に大量の塩が撒かれた】件に関して言えば「もっと上手くやる方法が幾らでもあるのに(  ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ」ってトコである。言い方やり方一つ変えるだけで伝統を守りつつ周囲を納得させられるのに、ニッポン相撲協会の連中がソレが分からんほどのバカだった事をワタクシは批判してるのである┐(´д`)┌


 簡単な事である。男性医師が到着した際に態々あんなアナウンスをする必要は無く、傍に近づいて「ご尽力のほど、感謝いたします。男性医師が到着したんで、申し訳ありませんが土俵を降りて貰えないでしょうか。大きな声じゃ言えない事ですが、この業界は伝統にうるさい人達が少なくないんで(^▽^;)」って耳打ちして降りて貰えば良いだけの話である。そうすれば不必要な誤解を与える事無くコッソリ済ませる事が出来たのである。あと塩撒きも、お客さんが全員帰った後にやれば良いだけの話である。たったコレだけで、今回みたいな余計な騒ぎにならずに済むのである。

まぁ今回の騒ぎといい、昨年末のドルジがドルジをフルボッコにした件といい(笑)大相撲の世界には体育会系メンタリティーが根深く根付いているのである。だからこそ社会常識よりも伝統を優先しちゃうし、どんなに叩かれても何一つ変えようとしないのである。フツーの人には理解し難い考え方であるが、コレが体育会系ってヤツなのである。


*体育会系の本質

 体育会系の部活やった事のあるロンマニアの方ならば何となく分かると思うが、体育会系の根底にあるのは「強烈な一体感」である。厳しい練習を乗り越えて、理不尽な上下関係を耐え抜いて、意味不明な伝統や仕来りを守り切って、そうした事の先にあるのが「自分が大きな”意思”の一部になる」という達成感と満足感である。何ちゅーかその”意志”と一体化する事によって、自分が自分一人よりも更に大きくなった気分になるのである。ブラック企業やカルト宗教なんかが正にソレで、何故そういうのが害悪だと分かってても廃れないかって、その”強烈な一体感”が欲しいヤツが少なくないからである。特にテメェの意見を持たない八方美人なヤツほど、この手の一体感を渇望するのである。


 ワタクシの通ってた学校や所属してた部活では流石にソコまで世間から乖離はしてなかったが、根本にあるモンは基本的に一緒である。そう、真っ当な人や真っ当なトコだったら「強烈な一体感が凄く気持ち良いのは分かるけど、ソレでも順法精神や個人の尊厳や権利の方がずっと大事」って分かってるから一線は超えないし、昔はともかく今時は大概のトコはそうであろう。が、偶に体育会系体質が行き過ぎちゃって、ソレが分かんなくなってしまうトコが出てきてしまうのである:

桜宮高校バスケ部然り、PL学園やきう部然り、そして恐らくこのニッポン相撲協会もその”行き過ぎてソレが分かんなくなっちゃったトコ”だと思われるのである。行き過ぎちゃうとどうなるかというと、組織の”意思”が最優先になってしまうのである。だからこそ当たり前のように「女性は土俵から降りろ」とか言えちゃうワケである。


 でもって体育会系の利点の一つに「いざという時には組織が守ってくれて面倒見てくれる」ってのがあるのである。部活の先輩のコネで就職を斡旋してもらったり顧問が推薦状書いもらったり、或いはピンチ時に頼りになる人を紹介してもらったりとかが正にソレである。でもって行き過ぎちゃったトコってのは社会に白い目で見られてる事を知ってるから、後戻りが出来なくなってしまってるのである。だから相撲協会の連中は叩かれれば叩かれるほどに結束を強めて、全員で力を合わせてバッシングが終わるまで耐え抜こうとしてるのである。連中が大相撲を守り抜こうと考えてるのは伝統が云々じゃなくて、相撲以外の世界じゃ生きていけないからである。相撲が廃れたり滅んだりする事は、連中にとっては死に等しいのである。


イエス・キリストvs天照大御神

 サブタイではこう書いたものの、決して【Fight of Gods】ネタではないので悪しからず(笑)上記にもあるように、伝統を守ろうとする事は決して悪い事ではないが、守りたいんだったら意固地になるのは得策じゃないのである。守りたいんだったら少し下手になってもいいから、柔軟に守っていく必要があるのである、何故そうする必要があるかって、勝てないからである。今の人権云々や法治云々の基になってるのはキリスト教的価値観から生まれた欧米思想であり、その思想はニッポン含む先進国全てを支配してて、そしてその他の国々も徐々に支配されつつあるのである。確かに全ての価値観は平等であるべきだし、平等に尊重されるべしとも思うが、実際は一番力を持ったトコの価値観が主体になっているのである。



 そう、ぶっちゃけた事を言ってしまえば、天照じゃキリストには勝てないのである(笑)この地球の経済力と政治力と軍事力と技術力の9割以上が「神の下で人類皆平等。人権ガー、民主主義ガー、法治ガー」なキリスト教圏にある以上、その他の価値観に勝ち目は無いのである。出来る事は「目立たないようにコッソリ陰でやるから、存在だけは認めて貰えないでしょうか(;´Д`)」ってお願いするだけであり、決して「我々には我々のやり方があるッ( ー`дー´)」ではないのである。ソレやったら直接的間接的ありとあらゆる方法で骨抜きにされて終わりである。中国や北朝鮮が核を持ってるのは自国の防衛だけでなく、自分達の文化をキリスト教から守る為なんじゃないか。ふとそんな事を考えてしまう今日この頃であった。