アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

MARK OF THE NECROGRAM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「戦闘においては、精神力の損失が勝敗決定の主な原因であり、秩序と統一の喪失は、しばしば個々の部隊の抵抗を駄目にする」

By カール・フォン・クラウゼヴィッツ


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*戦争ができる国≠戦争をする国

 サブタイのソレは、ワタクシが何故PKOだとか集団的自衛権だとかに反対しないかの大きな理由である。サヨクは「ニッポンが戦争できる国になったら云々」って言うが、ソレの何が悪いんだって話である。ソレ言ったら世界中の殆どの国がその”戦争できる国”に該当するのであるが、実際に戦争しまくっているであろうか?答えは当然「ノー」である。中には少数であるが「ニッポン人は未熟だから戦力を持ったら間違いなく戦争する」とか言ってるヤツも居るが、そんな未熟な民族が先進国の仲間入りができるのかって話である。ワタクシにも現役や予備役含め多くの自衛官の知り合いがいて、皆素晴らしい人達ばかりである。ワタクシはベルリンの壁の瓦礫に埋もれてた古臭いプロパガンダなんぞよりも、その直接会った人達の方を信じる次第である。


 軍備を整えるという事は、言い換えるなら格闘技を習うようなモンである。柔道だとか空手だとかボクシングとかを習う人は大勢居るが、そういう人達を「ケンカできる人」と呼ぶであろうか(笑)格闘技を身に付けて逞しい身体になるだけで、分かる人が見れば「アイツにケンカ売ったら返り討ちにされるから止めよう(;゚Д゚)」ってなるし、万が一巻き込まれても鍛えてないよりかは遥かにダメージは少なくなるのである。そうそう、軍隊と言えば、面白い動画を見つけたのである:

今時のアメリ海兵隊の新兵訓練であるが、最初観た時に思った事は「何かが足りない」だったのである(´ヘ`)でもって暫く何が足りないかを考えてみたトコ「そうかッ!放送禁止用語差別用語と暴力が足りないんだッ!」って分かっちゃったのである(笑)多分多くのロンマニアの方々が想像してる海兵隊の新兵訓練って、こういうのじゃないであろうか:

まぁポリコレ全盛期な今、ハートマン軍曹的な言動を少しでもしたらリベラルなメディアや知識人が一気に飛びついて袋叩きにするだろうから、使いたくても使えないのであろう。ただ聞いた話、単に侮蔑語や差別語や肉体的暴力がNGなだけで、教官達による”政治的に正しい”罵倒によるしごきは相変わらずきついとか(^_^;)ニッポンでも最近の体育会系は理不尽さが無くなりつつあるというから、やっぱコレも時代なのであろう。


*紛争地帯へ行くという事

 ワタクシはそういう考えだから、ニッポンの自衛隊が海外に派遣される事は良い事だと考えているし、万が一ソコで戦闘に巻き込まれて反撃したとしても、正当な理由ならば問題無いと考えてるのである。だから【防衛省が日報を隠していた云々】に関しても「そりゃ紛争地域へ行くんだから、いくら非戦闘地域とはいえ、戦闘の1つや2つぐらい起こっても仕方ねーべ( ̄Д ̄)」としか思わなかったのである。てゆーか、防衛相が隠したがる気持ち、メチャクチャ分かるのである。至極当たり前な事なんだけど、この「戦闘があった」って事だけで鬼の首を取ったように大喜びして与党叩きキャンペーンを始める、バカな野党とアホなマスコミがニッポンでは幅を利かせてるんだから、そりゃ隠せるんだったら隠すに決まってるのである。



 確かに隠蔽は良くないのである。が、マトモに議論できないヤツ等を相手に開示するぐらいだったら、そりゃ隠蔽した方が遥かにマシに決まってるのである。こちらからケンカを吹っ掛けなくても、相手から一方的に吹っ掛けてくる事だってある。全ての軍備を一国で賄う事が出来るのはアメリカ、中国、ロシアの3ヶ国だけであり、集団的自衛権は参加国で賄い合うための機構であり、賄えないニッポンが参加するのは至ってフツーな事。与野党ともこういう当たり前の認識を持った上で議論ができるんだったら、ワタクシは日報は開示しちゃって構わないと思うのである。が、実際の野党は「憲法九条ガー、護憲ガー、平和主義ガー」って理想論を叫ぶばかりでマトモに話が出来ないのである┐(´д`)┌


 まぁただ幸運だと思うのは、今がネット全盛期だという事である。マスコミとかがスクラム組んで一方的に「与党=悪」「野党=善」って図式に持って行きたくても、国民が簡単に流されなくなってるのである。例えばコレである:

「(主催者発表で)3万人集まった」って言って、こうやって如何にも大勢集まってるように見せたくても【こんな風に簡単にバレちゃう】んだから、やっぱネット時代になって良かったと思うのである。こうやって人やモノや情報が簡単に世界中を飛び交う今、ニッポン限定の価値観を推し出して何とかなるワケがないのである。グローバリズムは正しいか否かが問題じゃなく、既にソレが主流になってる事が問題なのである。ソレがイヤならニッポンを再鎖国するしかないのであるが、そんな事は不可能である。だから現実を見て議論する必要があるのである。


鎖国待望論

 そう、鎖国である。ワタクシが見るに、やっぱ心の奥底では鎖国を願ってるニッポン人って、実は少なくないんじゃないかと思うのである。右とか左とか関係なく、ニッポン人は「正直な話、外国や外国人と関わり合いになりたくない。ニッポンでニッポン人だけとやっていきたい」って考えてる人は思いの外多く、ソレは生活や文化にも表れてるのである。ボロクソ文句を言いながらも、ニッポン人はニッポン製品を買い続けるし、ニッポンのコンテンツを使い続けるし、ニッポン式のやり方に固執する。外国のソレがどんなに良くても主流になる事は稀だし、外国のソレを愛用する人間は「外国かぶれ」「気取ってる」って言われる。そういうのが何処から来るかって、心の奥底にある鎖国願望から来てるのだとワタクシは思うのである。



 その鎖国願望を鑑みれば、ニッポン人の国際安全保障観に関する違和感の正体が分かってくるのである。よーするにニッポンは歴史的に「他国と上手く関わり合って云々」って歴史が乏しいから集団的自衛権って発想にピンと来ず、ソレ故に野党連中が良く言う「ニッポンが海外で戦争して云々」の部分が強調されてしまうのである。ムリな理想論と言われても憲法九条がソレなりにウケてしまうのは、その憲法を用いる事で「私達は他国ともっと色々やるべきだと思うけど、憲法がダメって言ってるんだから仕方ないよネ☆(ゝω・)vキャピ」って感じに鎖国願望を正当化できるからじゃないかとワタクシは思うのである(笑)その願望が良いか悪いかは関係なく、世界はドンドン小さくなっていく。ソコだけは肝に銘じなきゃならない今日この頃であった。