アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

ETERNAL

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「男女平等はともかく、男と女が同じことをできると思うこと自体が間違っていると思うの。男女平等というのは、別々に前進しながら並行していくことだと思うの」

By シャロン・ストーン


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*人間は平等に非ず

 人間が平等なのは法的な立場においてのみであり、ソレ以外は基本的に不平等なのである。人種や性別だけでなく、個人レベルで人間というナマモノは基本的に違うモノなのである。例えばバスケや陸上競技のトップ選手は大多数が黒人であり、チェスや将棋のトップ選手は大多数が男性である。だがこの事に関して文句を言うヤツは殆ど居ない。何故ならば、スタートラインに並ぶ権利が皆平等にあるからである。コレがゴールになるとTPOによっては人種や性別や才能や環境の差が出てきたりするが、ソレならば自分にマッチしたジャンルを選んで挑戦すれば良いだけの話である。チビなら新体操かモタスポやれば良いし、デブなら相撲か柔道といった具合にである。選ぶ自由とスタートラインに平等に立つ権利さえ保証されてれば、結果については差が出ても無問題なのである。


 コレが最近世間を騒がせている【東京医科大が女子受験者の入試点数を一律減点してた事】に対するワタクシの見解である。つまり現場での「男の医師が欲しいッ!」ってニーズがどうであれ、平等にチャンスを与えていない時点でダメなのである。例えばやきうでは身体が大きい事が非常に重要なのであるが、でも「180cm以下はやきうするな」って感じに背の低い選手が挑戦する事を否定したら、ホセ・アルトゥーベやムーキー・ベッツみたいな優れた才能を逃してしまう事にもなるのである:


確かに可能性としては180cm以上と比べると少ないのであるが、でも決してゼロではないのである。だから女性医師の可能性を否定しないためにも、この選別のやり方は受け入れられないのである。必要悪?その悪の為にソレ以上の正が消えているんだから、結果としてマイナスなのである。


*グローバルスタンダードがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!

 あともう一つは何が問題かって、上記の「性別や人種や出生や障害の有無に左右されず人が何かを選ぶ自由、及びスタートラインに平等に立つ権利」ってのが、既に先進諸国のグローバルスタンダードと化している事である。ワタクシも大学病院で研修を受けた&今も勤務医として勤めているから、病院の「出来れば男の医師が欲しいッ!」っていう現場のニーズは分からんでもないのである。が、残念な事に「人権と平等主義をメインとした欧米先進国的価値観>現場のニーズ」なのである。正しいか正しくないか、理に適ってるか適ってないかは、この際関係無いのである。向こうの方が立場的に強くて、反対しても勝ち目がないどころか更に立場が悪くなるのである。



 だから病院側として正しい対応は、女性医師でも問題無く業務が回るように勤務システムを再構成する事なのである。ただ言うのは簡単なのであるが、コレを実際にやるのはひじょ〜〜に難しいのである(^_^;)ちゅーのも医師の世界ってのはフツーのサラリーマンのソレと大して変わりなく、上意下達の縦社会なのである。でもって部活やってる人も結構居るから、体育会系な気質も少なからずあるのである。でもってフツーの会社のソレと同様、上に座ってる爺さん達はムダに保守的な人が少なくないのである。特に今時の上層部を占める60代〜80代の成功者ってのは「ニッポン的なやり方」に誇りを持ってる人が少なくなく、ヘタに「欧米では云々」って言うと更に意固地になってしまうのである。


 ちゅーのもこの世代のニッポンの成功者ってのは、ニッポンが戦争に負けて世界最貧国まで没落→ソコから世界第二位の経済大国の先進国になるまでをリアルタイムで支え続けた世代だからである。そういう自負があるからこそ「我々は我々のやり方で国を復興できたんだッ!欧米に盲目的に倣う必要はもうないッ!我々のやり方に自信を持って良いんだッ!」っていう強い自負を抱いてしまうのである:

やきうなんかが正にソレである。何ちゅーか「我々は我々のやり方でココまで来たッ!」って自負と「ソレでもまだ世界の頂点じゃないッ!」っていうコンプレックスが重なって、アンビバレントな感情に陥って思考停止してしまうのである。


*The農耕民族

 でもまぁソレ以下の世代は基本的に高度成長したニッポンしか知らない→その上の世代が抱えるアンビバレントな感情は殆ど無いんで、この世代が実権を握ったらまた変わるかもなのである。でも何故「必要悪だッ!」って言ってまで可能性を無くそうとするかって考えたのであるが、ワタクシの答えは「ニッポンという社会がイノベーションや改革をあまり必要としておらず、安定が何よりの財産だから」と言ったトコである。まぁ所謂、農耕民族的な考え方である。ハズレを大量に生み出すリスクを背負ってでも僅かな可能性に賭けたり新しいモンを生み出そうとするよりかは、古臭くて殆ど何も変わらなくても安定してコツコツと成果を出し続ける方が有意義だと判断したからである。



 ニッポンという国は、開国した時からその方法を取って、コツコツ積み重ねてきて今に至ってるのである。資源が無いからマンパワーと時間を使って補って、突き抜けたアイディアや技術は外国から買って、そうやってコツコツコツコツやってきて今があるのである。確かに後進国からのし上がっていくためには、この方法がベストとも言えるのである。でも残念な事に、今のニッポンは既に先進国であり経済大国なのである。昔ながらの模倣と応用とコツコツだけじゃ、今後コレ以上成長する事は殆ど望めないのである。ワタクシは以前から何度も言っているのだが、今はニッポンの過渡期なのである。脱皮して真の先進国になるか、このままガラパゴスと化していくか、今後も見守りたいと思う今日この頃であった。