アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SIMPLICITY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「権力は万能ではない。権力半分・信頼半分じゃなければ物事は進まない」

By 小泉純一郎


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*反権力はルサンチマンに非ず

 ワタクシが反権力を標榜するヤツが好きになれない理由は、主に2つあるのである。1つ目の理由は「反権力を標榜するヤツは、大概別の権力の手先だから」である。フツーに考えると「反権力≒アナーキズム」なのであるが、ニッポンに限らず何処のサヨクでも大概そうであるが、連中の掲げる”大義”が権力と化しているからである。通常は総論には反対してても各論には一部反対(例:憲法改正には賛成だけど集団的自衛権には反対など)ってのがあって、異論反論を持つ者同士が話し合ったり妥協し合ったりするのだが、サヨクにはソレが無いのである。共産党が良い例だけど”大義”に対する異論や反論は一切認められず、異論反論を唱えたら排除される。そんなヤツ等が主導権握ったらシャレにならない事は、ワタクシが言うまでも無く歴史が証明しているのである。



 2つ目の理由は「連中の主な動機の根底にあるのがルサンチマンだから」である。ガンジーキング牧師の時みたいなガチの弾圧や差別があって、命懸けでソレに立ち向かっているってなら説得力も生まれるし、当事者でなくとも支援したくなるってモンである。が、現代のソレ、特に先進国のソレには、確固たる動機が無いのである。掲げるのは「民主主義ガー、人権ガー」っていうリアリティーの無い大義ばかり。何故そうなるかって、ソレが本音じゃないからである。本音は「他のバカなヤツ等が上手くやれてるのに自分だけ上手く行かないのは世の中が悪い所為だ(メ゚皿゚)フンガー」っていうルサンチマンであり、民主主義云々や人権云々ってのはカバーストーリーに過ぎないのである。だらか連中は決して命懸けで行動しないし、ソレが分かるから大きなムーブメントにはならないのである。


*やっぱマニュアルは楽しくない

 まぁそんな堅い話はコレぐらいにしといて、と(笑)ワタクシのNDも今月半ばには車検、つまり納車されてから3年経ったという事である。7年振りにMT車に復帰して最初はどうなるかと思ってたのだが、ワタクシ自身がビックリするぐらい何とも無かったのである。やっぱGDB時代の記憶が身体に残ってたのと、あとはゲームとはいえMT操作の練習をし続けていたってのが大きいんじゃないかと思うのである:

お世辞にも上手いとは言えないが、この様にFSWの1コーナーで5速→4速→3速→2速って連続でヒール&トゥを決める事だって出来ちゃうのである。こう言っちゃ何だが、MTは7年ぐらい乗ってなかったにも関わらず、MT乗る技術は寧ろ上達してるって希ガスのである。まぁNDのMTがこの上なく乗り易いってってのもあるかも知れないが、やっぱ地道にゲームで練習してた→マッスルメモリーがある程度備わってたのが効いたと思うのである。


 とはいえ「マニュアル車は楽しいか?」と問われたら、答えは「やっぱノー」である(笑)GDBと比べると圧倒的に軽くなった&扱い易くなったとはいえ、やっぱ渋滞の様なストップ&ゴーが多いシチュエーションだとやっぱ煩わしいのである。あとサーキット走行してても、やっぱMTじゃない方が圧倒的に良いのである。変速が圧倒的に速い、変速ミスが無い、最近のソレは伝達効率もMTに肉薄してるのもだけど、一番はやはり「変速に費やす集中力を他に回せる」ってトコである。ヒール&トゥが無ければより正確にブレーキを調整できるし、ブレーキを上手く出来ればコーナリングも当然良くなる。今時のトップカテゴリーのレーシングカーに3ペダルMTのクルマが存在しない事が、MTが実は不要である何よりの証左である。



 じゃあ「MTガー」っていうヤツが語る様にAT(及び2ペダル車)が楽しくないのかと問われたら、その答えは「ノー」である。ちゅーのも昔のロックアップやマニュアル変速の無かった時代のトルコンATとは違い、今時のソレは洗礼されているからである。最近のトルコンATはロックアップ機構があるからちゃんとレスポンス良くアクセル操作に反応するし、そのお陰で伝達効率だって高い。DCTに至っては最早説明不要であろう。ディプトロニック(ポルシェ版トルコンAT)しか無かった頃のポルシェはMTとATの売り上げが半々ぐらいだったらしいのだが、PDK(ポルシェ版DCT)になってからPDKが8割になったのも、つまりそういう事である。だからトルコンATやDCTが楽しくないなんて事は無いのである・・・ただしCVT、テメーはダメだである(笑)


*過去に囚われてる人々

 だからワタクシが思うに「ATは楽しくない。やっぱクルマ(特にスポーツカー)はMTじゃなきゃ」って言うヤツの相場は決まってるのである。昔の鈍くておバカだったトルコンATの記憶しかないか、今時の2ペダル(CVT除く/笑)に乗った事が無いか、或いはその双方である。そういうショボい2ペダルしか乗った事が無いのであれば、そりゃ「クルマはMTじゃなきゃ」って思うのもムリはないのである。が、残念ながらワタクシは優れたトルコンATの載ったクルマにも乗った事があるし、DCTの載ったクルマに至っては所有もしているので、そういう固定概念は存在しないのである。てゆーか、もしもNDの方で軽量で賢いDCTが選べたのならば、ワタクシは間違いなくそっちを選んだであろう。ワタクシがMTのND乗ってるのは、そっちのが軽くて剛性があるからである。




 クルマを語るにあたって良く言われるクルマの要素は「走る・止まる・曲がる」の3つであり、その中に「変速する」は含まれていないのである(笑)つまりクルマの楽しさを語るにあたって、MTによる変速は必ずしも必要ではないって事である。ポルシェがもう8割方PDKに移行していて、フェラーリランボルギーニに至っては3ペダル設定そのものが無くなってしまってるのは、やはり走りの楽しさにMTが必須でない事の何よりの証明なのである。結局「走る」の部分に置いて旧来のトルコンATの伝達効率やレスポンスがジャマしてたからこそ「MTガー」なのであり、ソレが無くなればMTも必須ではないのである。だがPCやスマホタブレットが進化してもペンと紙が無くならないのと同様、MTも消える事はない。そんな希ガス今日この頃であった。