アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE ARROW OF SATAN IS DRAWN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m


「男女の関係に平和はない。人間関係には平和は少ない。平和を求めるなら、孤独を求めるに限る」

By 坂口安吾


 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*差異は差別に非ず

 今気が付いたのであるが、来年は女子サッカーのワールドカップが開催されるんだそうである。女子サッカーといえば7年前、ニッポンが優勝して大盛り上がりだったのを今でも思い出すのである。何せ今まで「ニッポンがワールドカップに優勝するなんてキャプテン翼の中だけの話だろm9(^Д^)」って思っていたのが、女子とはいえマジで優勝しちゃったんで、そりゃ驚かない方が難しいってモンである(笑)

この頃ワタクシは「こりゃ来年以降、女子サッカーが盛り上がるな( ̄∇ ̄)」と予言していたのであるが、流石のワタクシも予言を外す事があるんだって事を身を以って知った次第である(笑)まぁただ今年の男子ワールドカップを見た限り、ニッポンにサッカー文化は確実に根付いたと見て差し支えないので、今後も期待は出来ると思うのである。


 じゃあ世界一にもなったなでしこジャパンであるが、男子サッカーと比べるとどうなのかって話である。流石にJ1はムリでも、J2なら?J3なら?その問いに対する答えは「高校サッカー部にも負ける」である。国見とか市立船橋とか東福岡みたいなサッカー強豪校ではなく、香川西高に2-0で負けたのである(^_^;)あと蛇足だけど、U-14ニッポン代表にも7-0で負けているのである。残念な話だけど、コレが男子と女子の身体能力の違いなのである。あとテニス属性のあるロンマニアの方に「全盛期のセリーナ・ウィリアムズが男子の世界で勝負したら、ランキング何位まで行けそう?」って聞いたら、答えは「多分60〜70位ぐらい、上手く行って50位台」との事である。だからこそスポーツは男女に分かれているし、分かれているべきなのである。


*同情はするが賛同はしない

 上記の前置きこそが、ワタクシの【性転換の元男子代表が女子で2度目世界選手権切符】に対するワタクシの答えである。コレの何が問題って、性転換したヤツの体格が、明らかに女性じゃ逆立ちしても届かないような体格のソレで、著しく公平さを欠いてるってトコにあるのである。確かに性同一性障害の苦しみには同情するし、性転換後の競技出場ガイドラインも満たしているから、試合に出る分には何ら問題は無いのであろう。が、コレを認めてしまったら、スポーツが男女に分かれている意義がなくなってしまう事になるのである。男女に分かれている意義がなくなるのもだけど、ワタクシが一番懸念してるのは「この方法を悪用されないか」という事である。スポーツでの勝利ってのは、思った以上に価値が高いからである。



 今回幸運(?)だったのは、コレがハンドボールというマイナー競技での話である事と、ハンドボールがチーム競技だという事と、ハンドボールがアマチュア競技であるという事である。ハンドボール関係者には大変失礼な話であるが、ハンドボール界でコイツが無双したとしても、スポーツ界に及ぼす影響は少ない事が考えられるからである。コレがもしメジャーな個人競技だったら、マジでシャレにならない事になる可能性があるからである。コレがメジャーなプロ化された個人競技なら、この制度を悪用して、男子界じゃパッとしないヤツが性転換して女子界で無双して稼ぎまくる。猫ひろしカンボジア帰化してオリンピックに出たのと同じやり方で、男が性転換して女子スポーツに入ってくるかもしれないのである。


 ハンドボールじゃ大して(てゆーか全然)稼げんから「まぁ、コイツが引退するまで待つか( ̄▽ ̄;)」で済むが、コレが女子でも大金を稼げるテニスだとかゴルフとかだったらどうするんだって話である。上記にも書いたように、全盛期のセリーナ・ウィリアムズでも60〜70位ぐらいなんだから、ソレ以上のランクの男子選手が性転換して女子テニス界に入ってきたら、そりゃシャレにならない事になるのである:

勝つ為だけにそんな簡単に性転換するのかって?そう思うのであれば、貴方は男を分かっていないと言えるのである(笑)男ってのは人生懸けられるデカい目標ができたならば、いとも簡単に悪魔に魂を売れちゃうモンなのである。特にプロスポーツってのは一部のトップとその他の格差が激しいのだから、トップになれないヤツが「女になればトップになれるかも(`∀´;)」なんて野心を抱いたとしても不思議ではないのである。某ロンマニアの方が「やっぱ選手はDNAで男子か女子かを決めた方が良くね?」と言ってたのであるが、ワタクシもそう思う次第である。


*必要なのは脱ルサンチマン

 結局ジェンダー云々、LGBTが云々の難しいトコは何かって、ソコにルサンチマンが介在する事である。こういう類の運動を始める人って、その多くが過去にその手の差別や迫害などを受けていて、ソレに対する怨嗟や嫉妬が多かれ少なかれあるのである。田嶋陽子みたいにその怨嗟や嫉妬をそのまま吐き出すヤツも居れば、ルサンチマンという形で吐き出してくるヤツも居て、厄介なのは後者の方である。たとえ女性の社会進出や性少数派の権利向上に興味が全く無くても、その運動が持つ「強者を正論で思いっきりブッ叩く」という趣旨に賛同して便乗したり、影響力のある狡賢いヤツが便乗して更に問題をややこしくしてくる。この問題に限らず、様々な社会問題で見てきた光景である。


 でもってコレはワタクシが以前から繰り返し述べてきてる事であるが、差別に逆差別をぶつけたって相殺されないのである。逆差別された事により差別した側にも遺恨が残り、相殺されるどころか相乗効果が生まれてしまい、ただでさえ大きい溝が更に大きく深くなるだけだからである。ソレで上手く行く事があるにしても、ソレは形だけ上手く行ってるに過ぎず、決して本質的な解決は望めないのである:

だから昔に色々あったとしても、ソレを全て一旦チャラにして、ソコから未来だけを見てジックリ話し合う必要があるのである。過去はもう何をどうやっても元に戻らないし、百歩譲って復讐したとしてもプラスマイナスゼロには決してならないのである。どんな形であれ一度抗争を始めたら、どっちかが滅ぶまで遺恨は決して消えないのである。和平はできても、平和には決してならない。だからこそ全てを一旦チャラにする必要があるのである。さてもう遅いので、コレぐらいにしておこうと思う今日この頃であった。