アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

FIREDEMON

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「社会は、罪人を許すことはあるが、夢想家を許すことは決してない」
By オスカー・ワイルド

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*いざ行かん味噌汁の国へ
 ロンマニアの皆様は、もしもとあるアメリカ人が「私はニッポンへは行った事ありません。でもミソ・スープに対する想いは本物で、アメリカの有名ニッポン料理店で様々なミソ・スープを食してきましたし、ネットでミソやニッポン料理の事を学んできました。そんな私が書いたミソ・スープ考察本、1冊10ワシントンで買って下さい」って言ってきたら、貴方は素直にその本を買うであろうか?もしも「面白そうだッ!買おうッ!」って言い出すのであれば、貴方にロンマニアを名乗る資格は無いと言っても過言ではない(笑)何がダメかって、ソレじゃ味噌汁の事は何も分からんからである。


信州の名工が語る 手造り味噌 中村醸造場

味噌屋が教える手作り味噌の作り方(Miso professional direct transmission. How to make Miso)

 味噌がニッポンの地方毎に違うのは勿論だけど、中にはショップオリジナルの味噌だとか自家製手作りの味噌とかもあって、数えればソレこそ限が無いモンである。でもって味噌ってのは汁だけじゃなくて料理にも普通に使われるし、料理以外にも使われたりするのである。要するにニッポン人にとっての味噌ってのは、生活や文化に密着しているのである。だから味噌を知ろうと思ったらニッポンを津々浦々回って味噌を味わったり、味噌のあるニッポン人の生活ってのを実際に感じる必要があるのである。だからニッポンに行った事が無いヤツの味噌汁本には説得力が無いのである。正しいか否かではなく「説得力が無い」である。

発達障害とSNS
 ニッポンでもSNSが普及したのは良い事だと思うのである。ワタクシもSNS経由でリアル知り合いになった人が結構居るし、古い知り合いとSNSを介してまた再会できたりとかもあったから、SNSを否定するつもりは無いのである。が、SNSには1つ問題がある。ソレは「人や情報の取捨選択が簡単に出来てしまう」って事である。リアルでも同じ趣向のヤツだけで固まって異論反論をシャットアウトするなんてのは良くある話だけど、SNSだとソレが余計に顕著になるのである。ワタクシの様な発達障害当事者はリアルで爪弾きにされてしまう事が少なくなく、ネットに居場所を求める事が少なくないのである。でも発達障害SNSの相性って、実は悪いんじゃないかと最近思うのである(^_^;)

 ちゅーのもSNSってのは情報の取捨選択が簡単に出来てしまい、そして多くは安易に取捨選択してしまうのである。特に発達障害当事者みたいなリアルに居場所の無い人はネットが唯一の居場所である場合が少なくないんで、居場所を守る為に尚更取捨選択が増えるのである。そして自分(及び同調者)の殻の中に閉じこもって人間や社会に対する考察を社会に出ないまま巡らせて、時として変な方向に”悟り”を開いちゃうヤツが出てくるのである:

【字幕付き】映画『アスペですが、なにか?』/空のとびかたプロジェクト制作
何故そういう”悟り”に説得力が無いかって、上記のミソ・スープの例えが正にソレである。ちゃんと一般社会とコミットしてないと「どうしたら話を聞いてもらえるか」だとか「何故社会はこういうシステムになってるんだろうか」だとか、そういう発想に乏しくなってしまうのである。ただ単に”正しい”と思った事を一方的に押し付けるだけになってしまうのである。

 真っ当に社会人やってるロンマニアの方なら分かると思うが、数学や化学や物理なら兎も角、社会や人間や経済や政治にはエビデンスなんてあってないようなモンだからである。政治ひとつ取っても共産主義やら新自由主義やら絶対王国制やらあるし、経済だってアダム・スミスとかマルクスとかケインズとか色々あって、完全な正解なんて何処にも見当たらないのである。でもネットやSNSに引きこもって社会を見ずにテメェの脳内だけでグルグル回って思考すると、たった一つの答えだけが正解のように思えてしまうのである。味噌汁同様、社会や国家を語りたいのであれば、最低でも一人前の社会人であるべきなのである。

*大人になろう
 ワタクシは常々「発達障害当事者は可能な限り就労すべし」と言ってるのは、つまりそういう事である。確かにハードルは高いのであるが、ソレでも尚である。就労して仕事で直接、税金で間接的に社会に貢献する事で、初めて社会の一員として認められるのである。そして社会に意見をしたいのであれば、社会に貢献(より重要な役を担う、より多くの税金を納める等)すればするほど発言力は高まるからである。確かにデジュール上では全ての人間に平等に発言する権利が与えられてるが、説得力があるかは別の話なのである。デファクト上では、社会に対する影響が大きい人ほど、発言の説得力が増すのである。その第一歩として、先ずは就労なのである。


発達障害の就労の最新事情 2018 | 発達障害応援企業 株式会社Kaien 保護者会より

精神障害・発達障害の方に特化した就労移行支援事業所 平塚 横須賀 一般社団法人ペガサス

 古い人の言葉に「どんなに偉そうな事を言ってても、たとえソレが正しかったとしても、ソイツが親のカネでメシ食ってる内はガキの戯言でしかない」ってのがあるが、ある意味正論だとワタクシは思うのである。独り立ちした社会人の言葉が常に正しいとは限らないのは勿論であるが、でも社会人として社会を知ってなけりゃ言葉に説得力は生まれないのである。たとえサッカーに関する全ての知識を知ってたとしても、サッカー経験者でなけりゃ解説者やコーチや監督としてサッカーに直接携われないのと同じである。世の中は正しいというだけでは動かない。不条理ではあるが、ソレが人生だとも思う今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190308234322j:plain