アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更にはGT-R&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

CURSED AND CORONATED

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「人間と野獣の区別は、渇せずして飲み、季節なくして恋するところにある」
By カロン・ド・ボーマルシェ

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*努力は手段であり目的に非ず
 世の中「一生懸命頑張ったのにッ!」って言ってテメェを正当化するヤツが少なくないが、ソレに対するワタクシの答えが上記のサブタイである。肝心なのは結果であり、努力っちゅーシロモノは結果を出し易くする為の手段の一つに過ぎないのである。極端な事を言えば、勉強しないで満点取れるヤツが居たら、ソイツが一番偉いのである。あと努力は量だけでなく、質も重要なのである。バスケで身長が160cmしかないヤツがダンクシュート決める練習をどんなに長時間やったってムダなのと同様に、努力は適材適所で効果的に行わなくては意味が無いのである。結果ってのは、ソレ即ち「コイツは最も有意義な努力を行えるヤツです」っていう認定でもあるのである。

 だから学校が生徒をテストの点数で評価するってのは、確かにソレが全てだとは言わないが、でも最も客観的な生徒の評価法の一つである事は間違いないのである。地頭のスペックもだけど、効率良く努力できるか否かも試されているのである。そういう意味で【学力選抜での不合格は差別】は間違いだと言えるのである。受験させないor合格した後に「障害者だから云々」で不合格にするのであれば差別であるが、ちゃんと配慮して貰った上で受験してダメなのであれば差別ではなく区別である。もしも「努力したから」ってだけで合格させろというのならば、ソレはフツーに受験して落ちた人に対する逆差別である。繰り返し言うが、逆差別もまた差別の一種なのである。

*D.O.R.を使え!
 そう、健常者であろうとも障害者であろうとも、出した結果に比例した評価を等しく受けるのが平等なのである。そして配慮とは、障害者が結果を出すにあたってハードルとなる部分を取り除く事であり、結果を出す事はまた別問題なのである。たとえ障害者でも結果が出なけりゃ評価されないってのが平等な社会であり、結果まで配慮しろってのは逆差別なのである。さて話は変わって、と:

クルマに限った話ではないが、機械にとって熱は大敵なのである。熱が発生するって事はその分だけエネルギーをロスしてるって事もだけど、熱そのものによって各パーツの劣化も促進されるからである。排気熱が高いって事はつまりそういう事であり、ソレを減らすだけでなく、ソレをどう再利用するかってのが今回のテーマである。オイル交換が重要な理由ってのは、つまりそういう事なのである。


Hicapa D.O.R. GBB MARUI 東京マルイ ガスブローバック マック堺 マルイフェス
以前からハイキャパ系は1丁欲しいと思ってても中々手を出す気が起こらなかったのであるが、動画でもある様に中身が一新された今がその時だと感じたのである。ワタクシの手は基本的にガバ系と相性が良く、その上冬でもシッカリ動いてたグロック19と同じメカニズムなのだから、欲しくならない筈がないのである。発売は来週であるが、今から待ち遠しい次第である。

*レッツゴー格差社会
 格差社会ってのは不平等だから起こるのではなく、むしろ平等だからこそ起こるのだとワタクシは考えてるのである。プロやきうが良い例であるが、実力主義にして全選手を平等に競争させたら、70人居る支配下選手の内の僅か10名弱が、70人の総年俸の半分を占めるようになるのである。ラーメン屋が何十軒あろうと客が集まるのは数軒だけなのと同様、需要は有能な一部の人間に集中して、その一部の人間だけがガッポリ稼げるようになるのである。だから機会を平等にするって事は、ソレ即ち格差を生み出すという事なのである。そしてコレは、障害者にとっても同じなのである。

 そして障害者の場合、健常者以上に上と下の能力差が大きいから、機会の平等や適切な配慮が広まれば広まるほどに、成功した障害者とそうでない人の格差は凄い事になるだろうとワタクシは見てるのである。今ですら「成功した人の話は聞くな」だとか「努力したくても出来ない人の気持ちも考えろ」って声が大きいのだから、今後更に大きくなる事が予想されるのである( ̄~ ̄)が、ワタクシはソレには賛同できない次第である。何故ならソレ認めちゃったら、行き着く先は「皆で仲良く貧しくなりましょう」であり、ソコには夢も希望も何も無いからである。人間パンのみに生きるに非ず。改めてそう思う今日この頃であった。

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