ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「学校は、伝統という財産を次世代に伝える最も重要な手段です。そしてそれは、昔より今のほうがはるかに大切になっています」
By アルベルト・アインシュタイン
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*学校って何ですか?
サブタイの問いに対するワタクシの答えは「良くも悪くも社会の縮図であり、子供が成人する前に社会をシミュレート訓練する場所」である。つまり学校で学ぶのは知識だけでなく、人間関係の作り方や各種諸問題に対する対処法、そして理不尽や不条理から身を守る方法を身に着けるのも学校の役割である。そう、学校で学べる事は、何も良い事ばかりではないのである。悪い事や矛盾した事も間々あるし、そしてソレは程度の差こそあれ大人の社会でも見られるモンなのである。ソレに対する様々なトライアル&エラーを、少なからぬ責任を負わされる前にシミュレートしておく。だから学校へ行く事は重要なのである。
ソレが最近話題になってる10歳の不登校ユーチューバーに関するワタクシの見解である。病気や障害、或いはソレに相当する就学上の困難があるのなら兎も角、そうでないのなら学校へ行かないのは愚かだとしか言い様が無いのである。そう、彼の言う通り、不登校は不幸ではないのである。ただ単に、この上なく愚かなだけである:
不登校は不幸じゃない!
彼は「学校行かなくても人間関係は作れる」と言うが、学校行かないヤツにどんな人間関係が作れるんだって話である。学校行ってないガキが出会える人間なんて、同じ様に学校行ってないガキか、或いは学校行かない事を擁護するような性根の捻くれた大人共だけである。そんなヤツ等と出会いを重ねたトコで、得られるモンなど何もないのである。ジャンクフードを100種類味わったって高級フレンチを作る事が出来んのと同じである。
こう書くと「そんなモンあの子の勝手じゃないか。他人がとやかく言う事じゃない」って反論が来ると思うが、コレはとやかく言う事なのである。このまんま行けば彼はロクな教育を受けられずロクな人間関係も築けず、高確率で社会不適応者になるからである:
社会不適応になってロクに仕事も出来ない
↓
でも彼がニッポン人である以上、生存権は保証されてる
↓
最終的にはナマポが支給される
↓
ナマポの財源は我々の税金
↓
( ゚Д゚)マズー
という理由だからである。確かに彼の人生をどう生きようが彼に勝手だし、生存権もナマポを受け取る権利も彼にはあるのである。が、ワタクシも納税者としてその一部を払う事になる可能性が高い以上、言いたい事は予め言わせてもらう次第である。
*義務教育って何ですか?
そしてもう一つ大事なのが、この不登校は義務教育に反してるからである。義務教育とは彼が学校へ行く義務では当然なく、親が子供に教育を与える義務と、行政が彼に無償で教育を提供する義務である。ソレがこの子のトーチャンの言い分に対するワタクシの反論である:
ameblo.jp
テメェの子供を信じるのは自由であるが、でも子供に学校へ行かせるorソレ相当の教育を与える義務がこのトーチャンにはあるんだって話である。常識だとか研究結果だとか正しいか否か以前に、義務なのである。
こう書くと「そんなに義務が大事なのか」って反論されるけど、ワタクシは「法治国家に住む人間ならば当然の事」と答える次第である。確かに法を守ってるからと言って善人とは限らないが、でも法を守らないヤツは間違いなく善人じゃないのである。コレがサウジアラビアみたいな絶対君主制の国か、或いは北朝鮮みたいな独裁国家だったら、法が必ずしも正しいとは言えないのである。が、ニッポンは真っ当な民主主義国家であり、そして民主主義国家においての法とは、選挙によって選ばれた議員によって制定された、いわば国民のコンセンサスなのである。つまり法を守らないって事は、その国の国民に敬意を表してないという意味でもあるのである。
でもって、こういうモノの考え方をするヤツの相場は決まってるのである。多分、てゆーか間違いなくサヨクである。連中なら「国家権力=悪」って考えのもと義務や常識を否定するし、何より「より良いモンの為ならば常識や法律は破っちゃっても構わない」って考え方がサヨクのソレだからである。でもって「ピースボートで世界一周」とか「世界に平和を」とか発言してたり、果てはコイツに応援されてる時点で、ソレは確信に至ったのである:
ゆたぼんさんに会いました
今さっき、茂木健一郎先生と会った‼️めっちゃ優しくてめっちゃ嬉しかった😆😆😆😆😆‼️また、動画アップするから見てな‼️
— 少年革命家ゆたぼん@5.25親子講演会 (@yutabon_lucky) 2019年5月6日
人生は冒険だ👍#不登校は不幸じゃない pic.twitter.com/oMoIHDlIyE
コレが上記でワタクシの言ってた「学校行ってないガキが出会える人間なんて、同じ様に学校行ってないガキか、或いは学校行かない事を擁護するような性根の捻くれた大人共だけ」ってヤツである。正しい人間関係や人脈ってのは真っ当な人々と作り上げてこそ価値があるモンであり、こういう風に世の中を斜めに見てるヤツ等と築いてはならないのである。きっと上手く行かないし、百歩譲って上手く行っても悲惨な最期が待っているのである。コレはワタクシの感想ではなく、歴史が示してる事である。
*先ずは実績、自由はその後
ただワタクシも「全てのルールは死守すべし」みたいな頭の固い事は言わない次第である。何故なら世の中には、ルールを破って良い瞬間が1つだけあるからである。ソレは「ルールを破った方がより大きいモンが得られる場合」である。その分かり易い例が、やきうで言うと大谷翔平である。彼が高坊時代に「NPBなんか行きたくねぇ、MLBへ直で行く」って”掟破り”な事を言ってソレが支持されたのは、大谷にそんだけの才能があったからである。結局大谷は日ハム経由で行く事となったが、昨年の成績でソレが正しかった事が証明されたのである:
【大谷翔平】ドラフト2012★単独強行指名&交渉権獲得の瞬間【日本ハムファイターズ】
祝・おめでとう!大谷翔平 メジャー新人王
もしも不登校の彼に大谷翔平やリオネル・メッシ級のスポーツの才能があるだとか、アインシュタインやノイマンみたいな超天才児だったとか、或いはジミ・ヘンドリクスの生まれ変わりとかで、その道を追求するために「学校行くなんて時間のムダ」って言うんだったら、ワタクシも「良いじゃん良いじゃん(^▽^)天才に既存の枠は当て嵌まらないんだから、学校外で思いっきり才能を伸ばしてこいッ!」って喜んで応援してたと思うのである。
そしてコレが、ワタクシが彼の不登校を批判する最大の理由である。そう、言っちゃ大変悪いのだが、彼にはその才能が全くと言って良いほど感じられないのである。あのトーチャンや支持者は「可能性ガー」って言うが、登校してた時に出なかったモンが不登校になって出てくるなんて事は無いのである。でもってその手の天才達ってのは概して学校行きながらでも才能が芽生えていたし、そしてちゃんと学校を卒業してるのである。才能が無いのならば、たとえロボット的であろうとも学校行っとくのが無難なのである。まずは皆を納得させるだけのモンを生み出すのが先で、自由はその後でも十分間に合う。改めてそう思った今日この頃であった。