アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SILENCING MACHINE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「恐怖におののきながら救われることばかりを渇望するのではなく、ただ自由を勝ち取るための忍耐を望むような人間になれますように」
By ラビンドラナート・タゴール

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*戦う人vs戦う自分が好きなヤツ
 戦ってる人間ってのは、世の中に2通りあるのである。ガチで勝ちたくて戦ってる人と、戦ってるテメェに自己陶酔してるヤツである。じゃあ、その2つを見極めるにはどうすればいいのか?答えは「負けを受け入れられるか否か」である。前者のガチで勝ちたがってる人は、勝つためには手段を選ばんのである。自分のイヤなトコを直視できるし、自分が間違ってた事も認められるし、必要があれば方向転換もするし妥協だってするのである。だからガチで勝ちたがってる人は人の話を素直に聞けるし、必要以上にムリはしないし、自分や仲間を大事にするのである。世の中は理不尽がデフォなんだから、柔軟性は必要なのである。

 だから結果が出なくてもやり方を一切変えないヤツってのは、戦ってるテメェに自己陶酔してるヤツなのである。そういうヤツにとって、勝った負けたは大した問題じゃないのである。ただ単に「自分は戦ってるんだッ!他の凡俗共とは違うんだッ!」っていう選民思想に憑りつかれていて、ソレを他人に評価される事に喜びを感じてるのである。そういうヤツにとって主義主張や美学を貫く事は、テメェの気高さをアピールするのに欠かせないため、決して妥協できないシロモノなのである:

「廃案!廃案!」 採決迫る安保法案、国会前で反対デモ
何故ニッポンのサヨクが何をどうやっても勝てないかって、つまりそういう事である。何回選挙に負けようとも連中がやり方を変えないのは、連中にとって選挙は勝つ事が目的なのではなく、権力と戦うテメェをアピールするための手段にしか過ぎないのである。そうやって”カッコ良い私”アピールをして、仲間内で褒め合って満足して、ソコで目的は達成されてるのである。だから「ガチで選挙に勝つにはどうしたらいいか?」を全く考えず、同じ事を繰り返してるのである。

*自由の責任と代償
 そのサヨク連中が何だか【愛知で表現の自由が云々】で憤慨してるようであるが、ワタクシはソレも全く信用していないのである。ワタクシは断言して良いが、憤慨してる連中は誰一人として表現の自由の為に戦おうとしないであろう。連中は「表現の自由が脅かされてるにも関わらず声を上げない羊のような凡俗共とは違い、堂々と声を上げる私カッコいいッ!」ってアピールするだけで満足してるのであり、やる事と言えば精々SNSで拡散するとか、役所や警察にクレームの電話入れるとかいった安全地帯からの安全な行動だけであり、リスクを伴う活動は絶対しない筈である。


アート巡り市長と“バトル” 発端は「少女像」(19/08/02)

 この件に関するワタクシの見解はサブタイにある通りで、表現の自由を行使するって事は、ソレ即ち行使した結果についても責任を負うという事なのである。いくら表現の自由だからってコーランを燃やすパフォーマンスをしたら、そりゃ身体に爆弾巻き付けたイスラム過激派テロリストがやって来るに決まってるのである。え”?ソレを保証して国民を守るのが国の義務だって?確かにそうかも知れないが、問題が一つある。ソレは「国にできる事には限界がある」って事である。国が義務を果たせなかったからって国を責めれば、テロリストのIEDで木っ端微塵になった人達が生き返るのかって話である。そういうのも含めて、表現の自由の行使には責任を負わなければならないのである。


津田大介氏「変更含め検討」 表現の不自由展、抗議殺到

 あともう一つ何が問題って、公共施設で公的スポンサーから公金を貰ってコレやってるって事である。コカ・コーラが広告出してる番組で「炭酸飲料は身体に毒だから飲むな」なんて言おうモンなら、言う分には自由だけど、その代償としてスポンサーを降りられるに決まってるって話である。芸術監督は「コレでまた表現の自由は後退した」とか言ってるらしいのだが、後退してるのは表現の自由ではなく、芸術監督の方なのである。ガチのマジで表現の自由が欲しけりゃ、戦うっきゃないのである。たとえ誰にも保証されなくても、目の前に山ほど危険が立ちはだかってても、あの手この手(無論、合法的&他人の主権を侵害せずに)でやりのける。その気概がなきゃやれんのである。

*正しい≠説得力
 そう、この件で主催者側を擁護してるヤツ等の何がダサいって、結局は「自分達は安全が保障されなきゃ表現の自由を行使できません」「俺達は権力をボロクソ扱き下ろすが、お前等権力は俺達を守れ」って主張してるトコにあるのである┐(´-`)┌他所の国で、権力に都合の悪い事を言ったら政治犯として収容されるようなトコで、ガチのマジで表現の自由の為に戦ってる人等からすれば「何言ってんだお前等、こんなに自由があるのにまだ不満なのか┐(´д`)┌」って言われてもしゃーないレベルの甘ったれである。だから人々の心にインパクトを与えられないし、同じ穴の狢以外は誰も同調しないのである。

 そう、正しい事は大事であるが、人を動かせるかどうかは別の話なのである。その悪い例がヒトラーであり、何故あんなメチャクチャな事言ってるのにドイツ人が熱狂したかって、説得力が半端無かったからである。ソレを「ヒトラーは邪悪だから何も学んではいけない」というのは正しいかも知れないが、ソレじゃ何も得られないのである:

Eine Rede von Adolf Hitler (アドルフ・ヒトラー氏の演説)
そう、もしもサヨクがガチのマジで政権を取りたいのであれば、ガチのマジで表現の自由を守りたいのであれば、手段を選んだりイデオロギーに拘ってはダメなのである。非合法的な事や他人の主権侵害はダメだという前提の上で、カッコ悪くても良いから確実な事をコツコツ積み重ねるっきゃないのである。その行為が、何時かは説得力を生み出すのである・・・という事を説得力皆無なワタクシが言うのもアレなんで(笑)さっさと寝るに限る今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20190803235130j:plain