アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

HELL CHOSE ME

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「何か信じた瞬間、それを肯定する議論がすべて見えるようになり、それを否定する議論は見えなくなる」
By ジョージ・バーナード・ショー

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*自己肯定感って何ですか?
 ワタクシは今でこそ結構ご無沙汰になってしまってはいるが、発達障害関係の仕事を幾つかこなしたりしているのである。今まで色んな発達当事者を見てきたけど、上手く行く人と行かない人との境目は何処にあるか、ソレが何となく分かった希ガスのである。障害の度合?育った環境?ソレもあるが、一番はやはり「自己肯定感が高いか低いか」だと思うのである。まぁコレは別に発達障害に限った事ではないのであるが、自己肯定感の低いヤツの何が面倒かって「自己肯定感が無いのではなく、少ないけどある」ってトコにあるとワタクシは考えるのである。少ないけどあるから、ソレを守り通すために、ソレなりに自己肯定感がある人からすれば不可解な行動を取るのである。

 自己肯定感の低いヤツは「自分はダメで魅力が無いから、余計な事したら嫌われるッ!」って考えていて、故に他人の顔色を常に伺っていて、自分の考えを押し殺してまでも周りに合わせるのである。でもって「笑顔であれば取り敢えず何とかなる」って事を学習して、ソコから「面倒事があったら笑って誤魔化す」って処世術を身に着けるのである。いじめっ子はその空気を上手く嗅ぎ取って、ターゲットにする相手を見つけるのである:

不登校やいじめ、パワハラがなぜ起こるのか?
いじめやパワハラのターゲットになった事のない人は「何故いじめられっ子はソコまでしても耐えてるの?」って疑問を持つだろうけど、その答えは「反抗したら嫌われて、全てを失うかも知れないから」である。自己肯定感がソレなりにあるヤツは「ソイツに嫌われても他が居るし~(  ̄3 ̄)~♪ 」でお終いであるが、自己肯定感がゼロに近いヤツは「嫌われたらもう取り戻せないッ!だから兎に角耐えなきゃッ!」って考えになるのである。こう言われると一言二言反論したくなるが、言ってもムダである。何故なら、自尊心がソレをジャマするからである。

*求ム普遍的正義
 そう、自己肯定感の高い人よりも、低いヤツの方が寧ろ自尊心が高いのである。だから議論するまでもない些細な事柄でも、そういうヤツは持論を絶対に曲げないのである。他人から肯定されない(と思い込んでる)から自分で自分を肯定するしかなく、故に持論は必死こいて守ってくるのである。ソレが行き過ぎると「自分に賛同しないヤツは皆敵だッ!」って考え方に辿り着いてしまうのである。特にニッポンみたいな縦社会の国だと、年を取ればソレなりに地位が得られる&下の人間が忖度してくれるから、ソレで更に増長しちゃうのである。よく上級生のいじめっ子やパワハラ上司が昔はいじめられっ子だったってエピソードが多いのは、つまりそういう事である。


【漫画】自己肯定感が低いとどうなるのか?【マンガ動画】

 でもって自己肯定感の低いヤツに良くあるのが「普遍的正義を求めてソレに依存する」という事である。学問や理論やデータだったり、人権や憲法だったり、自然保護や動物愛護だったり、そういった世間的では”普遍的な価値観”とされてる思想に傾倒して忠誠を誓って、ソレに従わない自分の気に入らない人間(大概テメェよりも立場的に上の人間)を叩く事で「この”正義”に従う自分は、偉いけど従わないコイツよりも偉い」っていうルサンチマン的な自己肯定感を得るのである。聡いロンマニアの方ならば、その風景を何処かで見た事がある筈である。そう、サヨクである。ニッポンに限らず先進国のサヨク運動が不毛なのは、本来の闘争ネタ(貧困、戦争、差別など)がほぼ解消されちゃって、ソレしか残ってないからである。


左翼をパヨクと名付けた千葉麗子氏講演 愛国とパヨクと 展転社主催【平成の大演説会 vol.24】2017年12月11日

 コレもまた、自己肯定感が低いからこその現象である。同じ理由で”普遍的正義”を求めてきたヤツ等が渇望していた他人との肯定的な繋がりを得て、皆で同じモンを好き合って、皆で意見の異なる人等を嫌い合って、世間から疎外された(と勝手に思い込んでる)ヤツ等が一体感を育み自己肯定感を互いに高め合う(傷を舐め合う、とも言う)のである。サヨクが何度選挙に負けても同じ事を繰り返すのも、異論反論を一切聞かないのも、裏切り者に対して非常に厳しいのも、つまりそういう事である。一体感の中で自己肯定感を得る事が目的なんだから結果はどうでも良く、自分等に反対するヤツは自己肯定感の敵として切り捨てるだけの話だからである。

*レッツ住み分け
 この様に根本にある価値観からして違うんだから、自己肯定感の高い人と低いヤツの間には議論なんて成り立たないし、相互理解なんて以ての外である。でもってニッポンの法律や憲法ってのは、違法な事をしない限りはそういった言動を取る事の自由を保障してるし、賢いヤツはソコをギリギリのラインで超えないようにしてくるのである。だからそういうヤツとは距離を置いて、互いに関わり合いにならないのが互いにとって吉なのである。行動する時は、降りかかった火の粉を払いのける時だけで十分である。人間というナマモノは地獄を見ない限りテメェの考えを根本から変える事なんて無いんだから、余計なエネルギーは使わないの限るのである。


独立する富裕層(超格差社会への道)

 じゃあもしも自分の身内に自己肯定感の低いヤツが出てしまったら、果たしてどうすればいいのか。ワタクシの答えは「どんな形でも良いから成功体験を増やす」である。成功体験を増やす事で「自分は決してダメな人間ではない」という事を自分で気付かせる事で自分自身を大事にする事を学び、成功を讃えてくれる人を直に見る事で「世の中は自分に冷たくない」という事を直に知り、ソコから他人や社会との良い付き合い方を身に着けるのである。自分を大事にしないヤツは、ソレ以上に他人を大事にせず、故に自己肯定感の低いヤツは社会に受け入れられない。簡単な事だけど実に難しいなと改めて思う今日この頃であった。

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