アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

HALLOW'S VICTIM

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「成功の秘訣を問うな。それはただ一つ、全力を尽くすことである」
By ジョン・ワナメーカー

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*100%の人生
 障害者支援において最も重要な事は何か?ワタクシの答えは「当事者が自身の100%のポテンシャルを出し切れる人生を送れるようにする事」である。で、今の時代にソレが上手く行ってるかと問われたら、残念ながらノーである。昔みたいに迫害されたり路頭に迷って野垂れ死んだりする事はなくなったけど、その代わり一律に最低限の施ししかしなくなったって感じになってるのである。分かり易く言うと「小遣いあげるから、別室で大人しく単純作業をやっててくれ」って感じである。確かに”可”な生活は出来るようになったけど、ソコから先へ行くのが困難なのである。その当事者のポテンシャルが”良”か”優”であったとしても、現状では”可”の人生しか用意されてない、そんな状況である。


精神障害者の就労支援

 そう、その当事者のポテンシャルが”優”か”良”であるならばソレをうまく引き出して、そのポテンシャルに応じた仕事や待遇や人生を送れるようにしてあげる事、コレがあるべき障害者支援の在り方だとワタクシは考えているのである。もしも障害が重くてポテンシャルをフルに引き出しても”不可”だったらソレはしゃーないし、その時は社会保障の出番である。そう、ポテンシャルを引き出せるようにしてあげるって事は、当事者にとっても良いだけではなく、社会的にも大きな意味を持つのである。国や社会が障害者を支援するメリットは何かと問われたら、ワタクシの答えは「社会保障が減り、その分健常者社会に還元される」と答える次第である。

*個人が背負える限界
 そういう事もあって&ワタクシ自身も発達障害の当事者という事もあって、ワタクシもこの手の支援活動をしてるのである。が、最近ソレとは距離を置くようになってしまってるのである(^_^;)何故かと言えば「障害なんだから仕方がない。自分は変われないし変わりたくないから、国や社会の方が変わるべし」って主張するヤツが余りにも多いのである( ̄~ ̄)当事者もそうであるが、支援者や家族までもである。でもってワタクシは真っ向からそういう考え方には反対していて、その旨を講演会とかで延々と言ってきたのである。まぁ考え過ぎだとは思うが、ソコんトコが疎んじられたんじゃないかとも思うのである。

 前々から言ってるように、ワタクシはしがない不良オタク医師である(笑)ビル・ゲイツのような大富豪でもないし、マザー・テレサみたいな聖人でもないから、自ずとワタクシの出来る事は限られてしまうのである。ワタクシが出来る事と言えば、前へ進もうとしてる人に対し肩を貸す事ぐらいである。ちょっとしたヒントや施しを与えれば、後は自分で何とかなる。そういう人ならば助けられるし、助けてあげたいと思うのである:

発達障害のある人の社会参加と就労 ~ 社会人へつなげていくためのライフスキル ~
が、前へ進む気が無いヤツは単に肩を貸すだけじゃどうにもならないんで、ワタクシにゃどうしようもないのである┐(´д`)┌そういうヤツを助けたいんだったら施設が必要になるし、施設を運営する為のノウハウや人材が必要になるし、ソレを維持していくためのカネが必要不可欠になるのである。でもって、ワタクシはその何れも持っていない、ただ単なる発達障害当事者なので、立ち上がる気も前に進む気も無いヤツはどうにもならんのである( ̄~ ̄)

 でも中には「でも俺は生き辛さを抱えてる彼等/彼女らを見捨てる事は出来ないんだッ!全員助けるんだッ!」って言うヤツも少なからず居るのである。特に当事者だとメサイアコンプレックスが発動する為、尚更その気持ちが出てくるのである。ソレに対しワタクシは「カネはあるの?コネとインフラは準備できる?」と問う次第である。こう言っちゃ大変アレなのであるが、ワタクシの知る限りだこういう甘っちょろい事を言う当事者活動やってる当事者ってのは、大体皆親のカネとコネでソレをやってるのである。親が生きてる内はソレで良いかも知れないが、親が居なくなったらって話である。薄情と言われるかも知れないが、ワタクシはバリバリの現実主義者なのである。

*我が生涯に一片の悔い無し
 自分自身を100%出し切らないで終わる人生ほど悔いの残るモンは無い。だから障害者であっても健常者であっても、ポテンシャルを100%出せるような社会を築く。コレが政治の役割だとワタクシは考えているのである。こう書けば察しの良いロンマニアの方ならば気付くだろうと思われるが、ワタクシは結果の平等の事なんぞ一言も書いていないのである。ポテンシャルが”不可”な当事者はナマポやむなしだけど、ポテンシャルが”優”な当事者は勝ち組人生を満喫できる。ソレが平等であり公平だとワタクシは考えてるのである。成功した当事者が居ると他の当事者も「私も成功したいッ!」って考え、ポジティブに上へ行こう前へ進もうと考えるようになる。ソレがワタクシの理想である。

 が、世の中そうは上手く行かんモンである(^_^;)こう言っちゃ大変アレであるが、ワタクシ含め発達障害の当事者ってのは色んな辛酸舐めてきた人が少なくなく、疎外感やら妬み嫉みやらコンプレックスやらルサンチマンやらを多少なりと拗らせてる人も少なくないのである(´ヘ`;)そういう人等にとって成功した当事者ってのは一番目にしたくないモンであり、自らの惨めさを相対的にハッキリさせてしまう存在であり、憎むべき対象にもなりうるのである:

2017年 日本格差社会本格化へ
こう言っちゃ大変アレなのであるが、ワタクシはこの手のやっかみから来る各種凸をネットでもリアルでも受けた事が幾度かあるのである( ̄~ ̄)ワタクシが最近、こういう発達障碍者支援から距離を置いてる理由は前に進みたくないヤツを抱えきらないのもであるが、こういう凸を受けてドン引きしてしまったってのもあるのである。ソレでも助けたいと思うのなら(カネやコネやインフラがあるのなら)助ければいいが、ワタクシはもう腹一杯だって話である。ネガティブな感情に雁字搦めになった人間ほど厄介なモンは無い、ソレを改めて実感した今日この頃であった。

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