アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

RED, HOT AND HEAVY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「説明などするな。味方であればあなたを理解するし、敵であればあなたを信用しない」
By エルバート・ハバード

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*迷う理由が値段ならば買え、選んだ理由が値段なら買うな
 サブタイは某SNSで見たモンだけど、真理を実に良く表している言葉だと思うのである(笑)値段で迷うって事は、ソレ即ち「ソレには少なくとも値段と同じぐらいの価値がある」って事を理解してるからである。でもって逆に安いから買うって事は、ソレ即ち「ソレにはその程度の価値しかない」って暗に認めてるのと同じだからである。でもってモノを選ぶ時に重要なのは、価値なのである。だから「価値のあるモンならばソレを選ぶべし」って意味でその言葉が生まれたのだと思うのである。実際、高くても良いモンを長く使った方が、最終的には安モンをとっかえひっかえするよりも得をするってのをワタクシも実体験として知ってるのである。


【名言】迷う理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめとけ

 だから【韓国の自動車が危ない?】って言われても「そりゃそーだ」としか言い様が無いのである。ぶっちゃけた話、ワタクシは「高くても良いからコレに乗りたいッ!」って思った韓国車を1台も見た事が無いのである。いくら「10年10万キロ保証」って言われても、コストパフォーマンスはワタクシにとってクルマを選ぶ上での基準にはならんのである。無論、クルマに興味が無くて、クルマを単なる輸送手段としてしか考えてないのなら話は別だけど、そういうメーカーにブランド価値は生まれないし、ブランド価値が無ければやがてはより安くてより良いモンを作るトコに駆逐される運命にあるのである。コレは韓国メーカーだけではなく、ニッポンのメーカーにも言える事なのである。

*支援できない理由
 例えば色覚が正常なロンマニアの方が、色覚異常を持ってる人に「コレが赤か赤でないかを、どうやって判別してるんですか?」「もし赤だと分かるのであれば、その根拠は何ですか?」って聞かれたら、果たしてロンマニアの皆様はその質問に答えられるであろうか?多分99.9%の方が「見りゃ一発で分かるとしか言い様がない」と答える事であろう。最近【息子を殺した元事務次官のソレ】だとか【新幹線で人殺した当事者のソレ】といったアスペ絡みの事件が多く報道されてて、巷で「何故周囲は支援してあげなかったのか?」と言われてるが、その答えがコレである。支援してないのではなく、支援できないのである。


【報ステ】長男殺害の元農水次官 懲役6年の判決(19/12/16)

 特に元事務次官のソレなんかが分かり易い例である。元事務次官って事は、ソレ即ち「超絶要領の良い処世術の達人」って事である。一般人でも判断が難しいような空気の読み方やソレに対する対処法も、恐らくこの元事務次官ならば反射的に理解できちゃうのであろう。だからこの元事務次官的には「そんなの現場に顔出して慣れれば分かる」「一度ぐらい失敗しても次に成功すればおk」「分からない理由が分からない」って事なのである。色覚異常のある人に「見慣れれば分かる」なんて事はないのは言うまでもない事だけど、でも百歩譲って生まれながらにして理解できないと分かったとしても、じゃあどうやって色の見分け方を教えれば良いんだって話になっちゃうのである。


【報ステ】無期懲役で“万歳三唱”東海道新幹線殺傷(19/12/18)

 だからアスペルガーの当事者に社会性やコミュニケーションの方法を教えるって事は、ソレ即ち色覚異常の人に色の見分け方を教えるのと同様の事なのである。簡単にできる事じゃないし、出来たとしても非常に苦労すること請け合いナシなのである。更に面倒臭いのは、当事者一人一人の長所と短所の種類とレベルが全然違う事なのである(^_^;)そうなると唯一有効な支援が出来るのは家族だけとなってしまうのである。障害をシッカリと理解し学ぼうとする家族であれば当事者も上手くやってけるようになるんだけど、上記事件の様に親や家族が理解できないorしたくない状況だと、最悪この様な事になってしまったりもするのである。

*NIMBYなテリトリー
 ワタクシんトコもそうだったけど、残念な事に協力的な家族って思った以上に少ないのである。全く以て認めないか、形式上は認めても本心では認めないかの2種類が最も多く、ワタクシの場合は後者の方である。どういう事かというと「確かに診断されたけど、ソレが間違いであってほしい」と秘かに思ってるって事である。ワタクシが思うにこの元事務次官もソレで、だから延々とフツーの人向けのアドバイスを繰り返してたんじゃないかと思うのである。フツーに人向けのアドバイスで改善したら、ソレ即ち息子はフツーだという事になるワケであり、そうすれば息子がフツーに人になれるワンチャンが生まれるって話である。

 アスペルガー側の人間であるワタクシにゃ分からん事であるが、どうやら健常者側の人間にとって、健常者と障害者の間に隔たる壁って思った以上に高くてブ厚いっぽいのである。世間でどんだけ法整備や理解が進もうとも、自分等のテリトリーには異質な存在を可能な限り受け入れたくないって心情である。分かり易く言うとNIMBY(Not In My Back Yard)の一種である。ソレが必要なのは認めるけど、テメェのテリトリーでは受け入れたくないってヤツである:

Not In My Back Yard: A Short Documentary Film
分かり易い例が【障害者と関わるのは面倒?】である。確かにひどい話だけど、コレは紛れもなく社会の本音である。その本音を糾弾するのは簡単であるが、糾弾したからと言って無くなる事は無いのである、叩かれても形を変えて、また見つかって叩かれて、再度姿を変えての繰り返しになるだけである。だからある程度社会性とコミュ力が当事者にも必要となってくるのである。さて明日も早いので、コレぐらいにしておこうと思う今日この頃であった。

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