アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE HOLOGRAPHIC PRINCIPLE

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「偉人は鷲のごとし。その巣を高き孤独に造る」
By ウィリアム・シェイクスピア

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


個人主義的なゲーム
 ワタクシがサバゲーを好む理由が、今になって更に分かってきたのである。サバゲーの何が良いって、サバゲーが非常に個人主義的な遊びだからである。もしも「”個人主義とは何か?”の答えが見出せません」と問われたら、ワタクシは「一緒にサバゲーやろうぜρ(^-^*)ノ」と答える次第である(笑)ちゅーのも、サバゲーフィールドにはこういう空気があるからである:

  • サバゲーに参加してるサバゲーマーの用いてる鉄砲や身に付けてる装備は皆バラバラ、何処に拘りや美学を見出しているのかもバラバラ
  • 同じ拘りや美学を持つ人間は全く居なくても互いを尊重し合えるし、互いをバカにし合う事が無い
  • 自慢話はしても相手を見下す意図はなく、自虐話をしても同情を買いたい意図はない。ただ単に「お前もお前のが好きだから分かるだろ」って共感し合うためだけ
  • 相手を自分のソレに引き込めるとは思ってないし、相手も然り
  • バラバラな連中でも、ゲームが始まれば同じ目的の為に協力し合える
  • サバゲーが終わったら各々の世界へ帰る
  • 趣味を通じて自分を高め合う事が一番の目的であり、徒党を組む事は手段でしかない

そう、サバゲーには「個人主義とは何か」と答えが詰まっているのである。同じサバゲー属性のロンマニアの方々の中にはドイツ軍装備や自衛隊装備に拘る方も居るのだが、ワタクシはソレに対し全く興味が無いのである(笑)相手もワタクシの拘りや美学には興味無いだろうけど、でも互いの拘りや美学の話は面白いし、取り入れる気は無くても延々と聞いてたくなるのである。

 興味無いし影響も受けないけど、インスパイアはされるって感じである。その熱量を自分も持ってみたいと思うし、自分のやり方で楽しむにはどうすれば良いかを考えてしまうのである。手法や拘りや美学なんてのは、所詮表層的なモンでしかないのである。大事なのは根底の部分での共感であり、ソレがあれば繋がりは保てるのである。よーするにサッカーのニッポン代表と同じである。ニッポン代表に集まる選手達は所属はバラバラで全員集まるのが試合の3日前とかだけど、試合でシッカリやれるのはそういう事である:

ジャンクSPORTS 内容小野・稲本・高原…歴代サッカー日本代表が夢の大集結!今だから話せるW杯の秘裏側! 6月10日 180610
高い技能を持った個々が同じ目的を共有してるからこそ、高いチームワークが成り立つのである。そう、個人主義とは各々が他人の迷惑を顧みずに好き放題やる事ではないのである。真の個人主義は共存共栄が自身が最大公約数の高みを目指すために必要だと分かるから、ホントの意味でのチームワークが出来るのである。

集団主義者の巣窟
 ワタクシがブログを書き続けてる理由もソレである。ワタクシは別にロンマニアに皆様についてきて欲しいだとか、ワタクシと同じような思想や哲学を持って欲しいとは思ってないのである。ただロンマニアの皆様方にインスパイアを与えられて、各々が各々の道を追求するための足しになってくれればソレで良いのである。自民党に入党しようが共産党に入党しようが自由だし、FPSにハマろうがソシャゲにハマろうが自由だし、何だったらCVT搭載車に乗ったって構わんのである(笑)ただその過程で他人とルールとマナーを尊重できさえすれば、ロンマニアの皆様が何を選ぼうが自由である。根本の部分で共感さえできれば、表層が何であれ楽しくやってけるからである。


夏目漱石 - 私の個人主義 1/6 [12:14]

 でもって、ワタクシが最近のインターネットが退屈だと思う理由もコレである。先日のネタでも言ったと思うが、今のネット(特にSNS)が集団主義者の巣窟と化してしまったからである。アメリカのBLM云々で、ワタクシはソレを強く再認識してしまったのである。趣旨の異なる相手に対する罵倒や否定、仲間内の異論反論を許さない空気、表層的な大義の為にルールやマナーや尊厳を無視する姿勢等々。集団主義者達がネットに居場所を見出すようになり、強さを得る為に集団を形成し、個人の高みの追求ではなく、安全と安心と安定、所謂「3安」をネット世界に求め、その3安を”乱す敵”と戦い続けてるって感じである。


個人主義と集団主義 Individualism and Collectivism

 上記にもあるように個人主義は決して孤独なのではないのであるが、ソレが分かる人間って実に少ないのである( ̄~ ̄)多くはソレに気付くまでの間に一時的に訪れる孤独に耐えられず、表層的な要素で一緒に歩める仲間を探して、その人間関係からハブられないようにムダな我慢や妥協をして「ホントの意味での個性」ってヤツを見失ってしまうのである。数十年前の学生運動がソレであるが、こういう連中が作るコミュニティーやグループがなぜいとも簡単に内ゲバや分裂を繰り返すのかって、つまりそういう事である。根本の部分で共鳴していない上に他者とルールとマナーを尊重できないから、ココぞというトコで真のチームワークを発揮できないからである。

集団主義者は集団を作れない
 そう、集団主義者の何がダメって、つまりそういう事である。集団形成ってのは目的達成のための手段の一つでしかないのであるが、集団主義者にとって集団形成こそが目的だからである。一人じゃ寂しくて不安で何もできない云々、テメェのアイデンティティーが無いからソレを集団の大義に重ねてる云々、皆で一緒に行動する一体感の中にテメェの居場所と存在意義が見出せる云々。集団に所属し続ける事が主目的だから、集団がどういう方向へ向かおうが、集団の活動に意義があろうが無かろうが、そんな事はどうでもいいのである。だからワタクシは「集団主義者こそ真の意味での利己主義者」と言う次第である。集団主義者は究極ではテメェの事しか考えてないのである。

個人主義 集団主義
自己を確立していて、メンタルが強く、どっちかというと賢い 自己を確立してなくて、メンタルが弱く、どっちかというと賢くない
人間を独立した個人として、一人ずつ違う見方をする 人間は「テメェの側の人間」か「余所者」の二択
同じ所属の人間でも意見の相違はあって当然 所属が同じなら意見も同じでなければいけない
意見を違える他人とも妥協できるし尊重も出来る 他の意見はテメェ達の団結を乱すから聞きたくない
去る者は追わず来る者は拒まず 去られると勢力が落ちるから徹底的に反対する
何らかの基準を絶対視しない 団結の為に絶対的な大義は必要
自分等のイデオロギーに対する不断の訂正と改良を良しとする 団結力を高めるためにもテメェ等のイデオロギーは不変で普遍でなければいけない
イデオロギーよりも個人の幸せ イデオロギー通りの世の中の為ならば個人の犠牲は仕方がない
たとえ大義の為でもルールは曲げてはならない 大義の為ならばルールを破るのも致し方が無い
自分の界隈以外にも世界は広い 基本的にテメェ等の界隈以外はどうでもいい
絶対的な正義は無く、法律とマナーを守れば後は自由 たとえ公的な記載が無くとも、テメェ達のコンセンサスが常識であり正義であり全ての基準
孤立してしまっても何とかなる 孤立は死に等しいので、何が何でも集団にしがみつく

 だから今のネットの集団主義者的傾向や、社会のBLM的な傾向が最終的に何をもたらすのかと問われたら、ワタクシの答えは「内ゲバと内部分裂による弱体化」である。数十年前の学生運動と同様の結末を、今我が物顔で暴れまくってる連中は迎える事になるだろうとワタクシは見てるのである。この「根本的にはテメェの事しか考えてない」って内心は思った以上に見破られ易いモンであり、そういうヤツ等が信用し合える筈なんて到底無く、信用し合えないのなら内紛や分裂は避けられないからである。根本にあるモンが同じでさえあれば、他が全部違っても尊重し合えるし信用し合える。改めてそう思った今日この頃であった。

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