アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

EXISTENTIA

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「顔色容貌の活溌愉快なるは人の徳義の一箇条にして、人間交際において最も大切なるものなり」
By 福沢諭吉

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*チューニングカーって何ですか?
 実を言うと、ワタクシもチューニングカーは結構好きである。何故好きかって、自分の所有するクルマとの親近感があるからである。99.9%以上の部品が市販車と無関係なレーシングカーとは違い、チューニングカーはワタクシ等一般人が乗ってるのと同じモンをベースにしていて、ソレ故に自分のクルマ弄りに対する参考になるからである。車種は違っても駆動系式や車体タイプが同じなら応用できちゃう事が少なくないから、自分でやる気は無くても参考にはするのである。何故ワタクシが近年のチューニングカーのタイムアタックに全く関心が無いかって、つまりそういう事である。今時のタイムアタックカーは実質的なレーシングカーであり、参考にできるトコなんて殆ど何も無いからである。


RP968 target outright SMSP lap record at WTAC 2019

 詳しくは【こっちの記事】に書いてあるから省略するが、もう完全にレーシングカーそのものである( ̄~ ̄)コレで「圧倒的なタイムが出ましたッ!」って言われても「そりゃレーシングカーなんだから出るだろ┐(´д`)┌」としか言いようがないのである。無制限ってのは最初の内は凄く感じるけど、最後はつまんなくなるのである。F1がソレだけど、結局最後は皆やる事が同じになるし、カネを多く使える方が勝つようになるからである。だから競技を面白くしようと思ったら、レギュレーションは必要不可欠なのである。ボクシングがソレであるが、ボクシングは制限がやたら多い格闘技だけど、制限が多いからこそ駆け引きが複雑になって戦略が深くなって、長い目で見ればコンテンツの息が長くなるのである。

*零細グラフィックは何の為に
 洋ゲー批判の中でも最も多いんじゃないかと思う謳い文句が「洋ゲーはグラばっか綺麗で、ソレに必要以上の労力とカネを注ぎ込んでる。任天堂のゲームがソレだけど、グラが単調でも面白いゲームは幾らでも作れる」である。確かにその通りだと思うし、実際【このまんまだと予算と手間がかかり過ぎてゲーム作れなくなる】って言われてるのである。ただソレでも尚ワタクシは「やっぱゲームのグラは良くなきゃダメ」って思っちゃうのである。何故そう思うのかを今の今まで上手く言葉で説明する事が出来なかったのだが、今やってるコレを進めていく内にその理由が分かってきたのである。

【PS4】The Last of Us Part II 【CEROレーティング「Z」】

【PS4】The Last of Us Part II 【CEROレーティング「Z」】

  • 発売日: 2020/06/19
  • メディア: Video Game

『The Last of Us Part II』 (日本語版)発売日アナウンストレーラー

 このゲーム何が凄いって、人間描写がである。言葉以上に、非言語的なメッセージが凄まじいのである。表情や仕草や身振り手振り、会話の間や口調や言葉選び、部屋のレイアウトや手紙とかの字の書き方、そういうのがアスペのワタクシですら分かるぐらい特濃なメッセージを送ってくるのである(笑)そう、グラの進化が何の為に必要なのかって、こういう非言語的なニュアンスを描写する為に必要なのであり、グラが良ければ良いほどにソレが良く伝わってくるのである。もしもこのゲームがファミコン的なドット絵で作られたモンだったら、間違いなく感動するどころかドン引きしてたであろう(爆)


『The Last of Us Part II』レビュー(クリア後感想)

 あと賛否両論あって大炎上してると言われてるストーリーだけど、ワタクシはどちらかと言うと賛に一票である。当たったかどうかは別として、何ちゅーか「人生とは何なのか」とか「正しいとはどういうことなのか」を深く考えた人にしか分からんような表現が度々みられるからである。言っちゃ悪いが、コレをダメだというヤツは、生温くて平凡で緊張感の無い人生しか送ってこなかったんだろうなともワタクシは思ってしまうのである。他人の顔色を随時窺ってて、テメェが悪者にならないように模範的で無難な決断しかしてなかったヤツ的には、このゲームのキャラが下した決断(特にアビー)はムカつく事この上ないであろうと思うのである。

*正義はグローバルに非ず
 まぁでも何ちゅーか、そう考えてしまう気持ちも分からんでは無いのである。ネット社会になって世の中のグローバル化が進むようになり、同じコンテンツを世界中の人々が楽しむようになり、世界中の同好の士とコミュニケーションを取り合う事も増えたであろう。そうすると起こる勘違いの一つに「善悪の価値観もコンセンサスが取れる」が現れるのである。自分がコレ見て不快に思うのなら、きっと他の皆も、世界中の皆も不快に思ってる筈。ネットやSNSで色んな人が賛同してくれると、そう勘違いしちゃうのである。でも実際はネットを使ってる人口よりも使ってない人口の方が未だ多く、そして賛成の声も一部がエコーチャンバーしてるだけに過ぎないのである。


【コンセンサス】とは、、、ビジネスに超重要な用語!!!

 そう、テメェが「世論のコンセンサスだッ!」って思ってるモンは、実はエコーチャンバーした一部集団の声でしかないのである。実際の社会はもっと複雑に色んな主義の人が居て、其々のグループを形成してて、各々が各々の正義や信念のコンセンサスを抱いているのである。そう、たとえネット時代になろうとも、世界的なコンセンサスなんて形成されないのである。寧ろ逆に同じ考えのヤツだけで固まり易くなった&異なる考えのヤツを排除し易くなった分、多様化や分断は益々進んでるのである。この意識と現実の乖離こそが、近代の人間関係における様々なトラブルの原因・・・って語り始めると限が無いので(笑)この辺にしておこうと思う今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20200704235555j:plain