ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「虹だって十五分続いたら、人はもう見向かない」
By ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*21世紀の社会運動
21世紀になって何故社会運動とやらが信用できなくなったかって、連中がホントの敵を相手にガチの社会問題を戦ってないからである。20世紀だと公民権運動や天安門事件が説得力を持ってたのは、ガチ差別やガチ独裁に抵抗していたからである。でも今は「無意識の差別意識」とか「文化の簒奪」とかいったクソ曖昧なモンを相手に、絶対に反撃してこない相手を選んで運動を繰り広げてるのだから、そりゃ賛同なんて得られる筈がないのである┐(´д`)┌賛同を得られなくなって、マトモなヤツがドンドン離れていって、マトモじゃないヤツを繋ぎ止める&新たに誘い込むために過激な方向に向かっていって、更に賛同を失って、その悪循環である。
差別や迫害に抵抗するのは人としての当然の権利、ワタクシもその考えには賛成である。ただしソレは「直接の被害者」が「直接の加害者」に対して行う場合にである。被害を受けてないヤツが共感共鳴を理由に相乗りして、加害者と同じ属性というだけで加害者扱いして攻撃する。ワタクシが前々から「差別を逆差別では相殺できない」って言ってる理由もソレである。直接の加害者でない人間を叩けば遺恨となり、ソレが回り回って新たな災いの種となるのである。確かに納得は出来ないだろうけど、やられた方だって納得は出来ないのである。ムカムカするけど我慢して平和に過ごすか、片方が完全に滅びるまで戦いを続けるか、結局この2つしか物事を解決する方法は無いのである。
*新しい紅白歌合戦の形?
ワタクシが紅白歌合戦(以後紅白)に興味を失ってから、もう結構経ってるのである。ちょっと前までは「紅白そのものは観なくても、どっちか優勝したかはネタになるから知っておこう」って思ってたけど、ソレすらしなくなってしまったのである(^_^;)あと関係無い話だけど、普段はトイレだとか一人称だとか議員の発言に噛み付くLGBTQの運動家達であるが、何故か知らんけど紅白には噛み付かんのである。何をどう考えても男と女だけに分けられるのは”性少数派に対する差別”なのであるが、やっぱ相手がNHK&NHKは紅白に命懸けてる→抗議したら猛反撃してくるからであろう。言っちゃ悪いが、社会運動なんてそんなモンである┐(´-`)┌でも最近の紅白はマンネリにも程があるので、案外面白いかも知れないのである(笑)
紅白歌合戦の出場歌手発表 NiziUや瑛人ら初出場(2020年11月16日)
そう「紅(女性)」と「白(男性)」以外にも、性少数派の為の枠を新たに用意するのである。取り敢えずコレを「虹(LGBT及びその他性少数派)」と名付けて、新たに「紅白虹歌合戦」とするのである(笑)大物歌手が続々とカムアウトして虹組入りを希望したり、大物虹系外国人ミュージシャンを特別に呼んだりしたら、間違いなく色んな意味で大盛り上がりする事であろう(爆)ただ実際そうなった場合、最後に勝敗を決める際に「虹組に入れないのは差別だッ!」って大騒ぎするようになって、毎年の様に虹組が優勝する展開になりそうではあるのである(^_^;)そう、言っちゃ悪いが、BLMとかLGBTとかフェミとかポリコレとかの連中が望んでるのは平等ではなく、逆差別による埋め合わせだからである。
1980年代のアメリカでは男性差別(当時の名は逆差別)で提訴が相次いでいた
そう、ワタクシがフィンランドとかの「若い女性が首相をやってる云々」「閣僚の半分が女性で少数派も多く居て多様性が云々」に対して感じる違和感がソレなのである。というのも多様性は手段の一つであって、決して目的ではないからである。でも今のその手の界隈の主流的意見は「強引にでも良いから我々の理想通りに世の中を変えれば、きっとバラ色の世界になる筈」っていう事になってて、異論を挟む余地が全く無いのである┐('~`;)┌そうやって理想郷を目指して作られた社会が後々どの様な悲劇的な最期を迎えたかは、ワタクシは説明せずとも歴史が証明しているのである。不完全な存在である人間が作った理想に、完璧など存在しないのである。
*多様性って何ですか?
サブタイの問いに対するワタクシの答えは「その地位に相応しいヤツが現れた時、ソイツの持つ属性を理由に拒絶しない事」である。ソイツが有能で明らかに利益をもたらす存在なのであれば、男であろうと女であろうとLGBTQであろうと、白人であろうと黒人であろうとアジア人であろうと、更に言えば人間でなくても良いのである(笑)何故差別がダメかって、そういう人達が才能を持ってた場合、ソレを活かせなくなるからである。だから内閣を作る場合、全員女性であろうが全員異教徒であろうが全員少数民族であろうが、国民にとって最も有益であるのならば全然おkである。反差別のキモってのは、一言で表すと「結果が全て」なのである。
わずか2人…女性閣僚少ない日本 海外は?(2020年9月16日16時ごろ放送 news every.「ナゼナニっ?」より)
ソコを「女性/少数派/異教徒が選ばれないのは根底に差別があるからだッ!」って決めつけて大騒ぎするから、この手の問題は一向に解決しないのである。握り拳と握手できないのと同様に、相手に不信感を持ってる状態では話し合いなんて出来る筈がないのである。そう、話し合いってのは互いにある程度の敬意と信頼があるからこそ成立するのであり、その存在を客観的に示せない差別を理由に責め立てる相手とは不可能なのである。そして社会の分断を狙う狡賢いヤツがコレを上手く利用して煽り立てて、目立たずにガッポリと儲けるのである。勉強して頭良くならないと、狡賢いヤツに食いモンにされる。その事は古今東西変わらないと思う今日この頃であった。