アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更にはGT-R&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

DISTANT IN SOLITARY NIGHT

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「人を不安にするものは、事柄そのものではなく、むしろそれに関する人の考えである」
By カール・ヒルティ

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*蓼食いの矜持
 ニッポンには「蓼食う虫も好き好き」という諺があるのである。蓼みたいなクソ不味い木でも、ソレ好んで食う虫も居るんだから、好みについて人にとやかく言うなという意味である。蓼が大好きな虫が少数ながらも居るのと同時に、蓼を食えない大多数の虫も居る。大事なのは何かって、互いに「蓼とかいうクソ不味い木なんか食うな」とか「蓼の美味さは食えば分かるから食え」って好みを押し付けない事である。たとえ根本的なトコで認識が真逆でも、ソコさえ気にしなけりゃ一緒に平和に暮らしていけるのである。一緒に暮らす事にどうしても耐えられないのであれば、耐えられない方が遠くへ離れるべきである。何故なら相手にも、好きなトコに住む権利があるからである。


動く野草図鑑95・ヤナギタデ

 でも残念な事に、世の中にはソレが分からんヤツが21世紀の今尚居るのである( ̄~ ̄)何故居るのかをワタクシなりに考えたのであるが、ソレはソイツが弱虫だからだと思うのである。弱虫だからテメェと相反する勢力が居るだけで「コイツ等が勢力拡大したら、俺達やられちゃうかも(;゚Д゚)」って怯えを抱く事になり、ソコから「ならば勢力がデカくなる前に、やられる前にやっちまえッヽ(`д´)ノ」って発想に至るのである。何故サヨクだとかヴィーガンだとかフェミニストだとかいった連中に過激なヤツが多いかって、つまりそういう事である。弱虫だから勢力拡大に余念が無いし、テメェ等の勢力を削りかねない存在に対し敵意を露にするのである。

*弱虫の逆襲
 何だか最近騒がれてる【袋麺のマンガがどうのこうの】とか【配信ドラマがどうのこうの】も、正に弱虫の発想そのものである。弱虫だから昔の家父長制や男尊女卑を匂わせる作風があると「コレで変な勘違いをした男が増えて、そういう男が私を襲ってくるかも知れない」って不安に駆られてしまい、こういう行動に出てしまうのである。特に今はSNS時代だから、町に一人居るか居ないかレベルの弱虫でも全国レベルで繋がれば結構なフォロワー数になるのであり、そしてその「結構なフォロワー数」さえ居ればソレだけで勇気が湧き、バカげた行動に移ってしまうのである。古今東西、弱虫ほど群れた時に酷い暴れ方をするモンである。


【公式】「快感インストール」予告編

 この手の弱虫に「イヤなら観なけりゃいい」が通じないのは、つまりそういう事である。目を逸らしても不安や恐怖は消えないんだから、不安や恐怖の芽を摘むしかないのである。そして当然だけど話し合いをしても不安や恐怖が無くなる事は無いので、議論や話し合いを求めてもダメなのである。こういうのにクレームつけられたら凛として「そういう意図はない」と突っぱねる事なんだけど、ニッポンにゃ昔ながらの「お客様は神様です」と考え方が根強いのと、ソレをキッカケにマスコミやら文化人やらが絡んできて余計にややこしくなるから、事を穏便に済ませるための方法を大概のトコは選んでしまうのである┐(´д`)┌


早稲田文学増刊 女性号 刊行記念シンポジウム

 弱虫のままでいる事の何が悪いって、そういう事である。そういう事しても不安の根源は絶てないってのもだけど、狡賢いヤツに喰いモンにされるからである。この手の活動家の講演会やシンポジウムに参加料払って参加したり、新刊などが出る度に買ったり、デモや集会があったら参加を促されたり、更には野党連中が便乗して清き一票をお願いされたり等々。そういう中枢で運動を担ってる連中の養分にされてしまうのである。ソレで世の中が変わるのかと言われたら、答えは「同じトコをグルグル回ってるだけ」である。でもそうしないと不安と恐怖に襲われるから、グルグル回ってるだけと分かってても養わなきゃならない。そんな悪循環にハマってしまうのである。

*自由と不安はセット
 ワタクシが思うに、人間は実は自由をあんま望んでないんじゃないかと思うのである。ちゅーのも上記にあるように、自由ってのは自身の主義主張と相反するソレの存在をも認めてしまうからであり、ソレは相手と戦える一部の強い人間以外には恐怖であり不安でもあるのである。多くの人間が望んでるのは安全と安心と安定であり、そしてその3つを得られるのであれば、多少の不自由や不平等は受け入れられてしまうのである。サヨクとかBLMとかフェミ連中とかが異様に逆差別的なのは、つまりそういう事である。連中にとって正義だとか平等だとかいうのは、安全と安心と安定を得る為の大義名分でしかないのであり、ソレが手に入るのであれば逆差別は問題にならないのである。


1980年代のアメリカでは男性差別(当時の名は逆差別)で提訴が相次いでいた

 そう、自由ってのは、常に不安や混沌とセットなのであり、その不安と混沌を御せる人間のみが自由を味わい尽くせるのである。だから自由という名の大海は賢い人間や強い人間を水を得た魚にするが、そうでない人間は自由という大海で溺れてしまうのである。そして世界は自由化が益々進み、賢い人間や強い人間が益々富を集め易くなってして、そうでない人間は益々富を失ってしまうのである。サヨクとかフェミだとかBLMとかヴィーガンだとかLGBTってのは、ある意味自由に対するアンチテーゼなんじゃないかなとも思えてしまうのである。さて今日はロクなネタが無いので、コレぐらいにしようと思う今日この頃であった。

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