アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

SUPERNATURAL ADDICTION

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「目標も計画もなしに成功はありえない」
By ナポレオン・ヒル

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*人生の目標
 何だかワタクシらしくないサブタイでアレだが、ワタクシは至ってマジである(笑)人間は何の為に生きるかって、ワタクシは単純に「種族の繁栄の為」と答える次第である。コレは人間だけでなく全てのナマモノに言える事であるが、テリトリーを広げてテメェの種族の安定した繁栄を目指すってのは、ある意味DNAに刻まれた生存本能なのである。人間の場合ソレが科学や経済学により高次元化してるから分かり難いだけの事である。より長く確実に生きるために医学があり、より効率良く生きられるように科学や工学があり、多数の人間がより秩序的に生きてけるように政治学や経済学があるのである。人間は働くという手段を以って、ソレ等の発展に直接的間接的に携わるのである。


【ゆっくり解説】学問の歴史 哲学から現代科学まで2500年の歩み

 だから「人間にとっての幸福とは何か?」と問われたら、ワタクシは「人類の繁栄に大きく貢献する事」と答える次第である。学者になって新しい発見をする、生活をより良くする画期的な商品を開発する、法や正義の番人となってより良い秩序を生み出す、スポーツで勝って人間の限界を伸ばす等々、其々は小さいが何れも人類の繁栄に結び付くモンである。逆に「人間にとっての不幸は何か?」と問われたら、ワタクシは「人類の繁栄に貢献できない事」と答える次第である。何故ニートがダメなのかって、つまりそういう事である(笑)たとえソレがバイトであったとしても、、何もしないよりかは断然マシなのである。

*愛は循環してナンボ
 だからフツーに生きてフツーに生活してれば、健常者って思った以上に幸福を得る事が出来てるのである。ちゃんと仕事が出来れば順当に出世して大きなプロジェクトに携われるようになるし、フツーの人間関係を育む事が出来れば結婚も出来て子供も持てて、狭義の意味での種族繁栄にも携われるのである。そう、余程のアホか悪人でもない限り、健常者はフツーに生きてるだけでも十分に自身の持つ人間としての使命を果たしてると言えるのである。ワタクシが思うに【自閉症の人の自殺未遂率は3倍以上】や【自閉症の人の平均年齢は36歳】という結果が出るのは、つまりそういう事なんじゃないかと思うのである。


健康ぷらざ:発達障害② 自閉症スペクトラム障害(ASD)(2014.3.16)

 どういう事かって、何も出来ずに「ただ世間のお情けによって生かされてるだけ」ってのを実感させられるからである。今は発達障害当事者向けの就労サービスで就労出来た当事者も少なくないけど、出来たら出来たでまた新たな問題が生まれるのである。何ちゅーか「腫れ物に触るようなヤツ」的な扱いになり、同僚と仲良くなるのも困難であれば、上司に気に入られる事も殆ど無く、故にビッグプロジェクトに直接携わる機会も非常に少ないのである。故に給料も安く、その上障害云々で結婚も困難だから、子孫繁栄も期待が薄くなってしまうのである。そんな環境の中でモチベーションを持って人生を全うしろなんて、ソレ何て無理ゲーである( ̄~ ̄)就労しててコレだから、してなきゃ一体どうなるんだって話である。


【視聴注意!】希死念慮の解説【発達障害・自己肯定感が低い・HSP・うつ・デュルケーム】【自殺願望や具体的理由がある死にたい気持ちとの違い】

 で、ソレに対し支援者サイドや医療従事者サイドは何ができるのか?答えは残念ながら「何も出来ない」である。何の根拠もエビデンスも無い励まし言葉をかけるか、或いは抗鬱剤などの向精神薬希死念慮を抑えるのが精々で、何れも問題の根本的解決にはならないのである。だから健常者の「生きてれば何とかなる」「人生は素晴らしい」ってのは、ソレは健常者だからこその言葉なのである。健常者ならばシッカリしてれば仕事も人間関係も余裕で回復できるが、自閉症者はどんなにシッカリしててもソレ等を得る事が非常に困難なのである。カネと同様、愛情は循環してこそ価値があるのである。誰かに与えられたら、同じぐらい自分も誰かに与え返さなければ、満足は決して得られないのである。

*就労後の課題
 そしてソレこそが、自閉症者の就労支援の今後の課題となりうるのではとワタクシは考えてるのである。だがココで重要なのは「ソレを慈悲を乞う形で求めたり、或いは合法的に脅す形で得てはならず、あくまで自発的な好意によって得るのが望ましい」って事である。政略結婚やお見合い結婚同様、そういうのは愛情や友情ではなく、単なる慣れやビジネスだからである。人間関係を深めるのも、より質の高い仕事にコミットするのも、あくまで自発的に求め求められてでなければならないのである。巷では「発達障害に理解を云々」って言うけど、理解と受容は全くの別モンであり、重要なのは理解ではなく受容なのである。そして受容するか否かを決めるのは健常者側であり、ソレを強要する事は不可能だし、可能だとしてもしてはいけないのである。

 理解と受容は別モンであり、受容は決して強制してはいけない。最近世界中で猛威を振るってるポリコレ云々の何がダメって、つまりそういう事である。連中は圧力をかけて形だけでもムリヤリ受容させようとするから、真っ当な人間からソッポ向かれるのである。政治家や企業とかならビジネスライクに&余計な厄介事を生み出さない為にそうするだろうけど、一般市民はそうはいかないのである:

字幕【テキサス親父】「ポリコレ」が日本を滅ぼす日も近いぜ
こういうのがエスカレートするとどうなるって、形式とマニュアルが出来上がるのである。法に触れないギリギリの範囲の対応方法が編み出されて、万が一訴えられた時の対処法も用意されて、形だけは平等が生まれても、実際は理解も受容も一切進まないまま膠着が続くのである。諺でいうトコの「仏作って魂入れず」ってヤツである。幸い発達障害の世界はソコまで行ってないが、そうならないよう何とかしていきたいなと思う今日この頃であった。

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