アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

AND THEIR NAME WAS TREASON

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「平和の宗教を持つ人間にとって、その最高の価値は愛である。戦争の宗教を持つ人間にとって、その最高の価値は闘争である」
By エミリー・ディキンソン

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*左右の一体化
 フツーの国(特に先進国)じゃ、政治ってのは左右に分けれた二大政党制が主流であり、選挙の度に最も多い中道派(及び無党派)を如何に自分達の陣営に投票させるかで勝負が決まると言っても過言ではなく、この前のアメリカ大統領選挙が正にソレである。じゃあ何故ニッポンでソレが起こらないかをワタクシなりに考えてみた結果「ニッポンじゃ自民党が右派~中道左派まで幅広く取り込んじゃってるから」という結論に辿り着いたのである。本来選挙で奪い合うはずの層の票を自民党が全部持ってるんだから、そりゃ負ける筈がないのである。

 でもって今の野党の何がアホかって、中道左派やソレより右の有権者を取り込む事を捨てて、左派~極左という狭くて増え様が無い層の支持を固める事に躍起になってる事がである。この前のエイプリルフールめいた【枝野幸男内閣】ってヤツもマジでそう思ってるのではなく、そういうコア層の支持を得る為のパフォーマンスと考えて差し支えないであろう:
youtu.be
ワタクシが前々から言ってる事だけど、今野党がすべき事は一発逆転サヨナラホームランを狙う事ではなく、細目にヒットを繋いで足で点を取る事である。市政県政レベルで地道に結果出して、衆院参院で徐々に議席を伸ばしていって、左派~極左のコア層依存を脱却するって感じにである。今のままだとコア層以上の支持は得られんし、百歩譲って政権交代してもすぐに元の木阿弥である。

*世界的な闘争ブーム
 別に政治に限った話ではなく、今は政治運動も社会運動も「運動」ではなく「闘争」と化してしまってるのである。グレタと愉快な仲間たち然り、ヴィーガン然り、BLM然り。最早大衆の支持を得る為ではなく、テメェ等に相反するヤツを倒す事が目的と化してしまってるのである:

社会運動 社会闘争
大衆を上手く説得して自分達の主張に賛同してもらうのが目的 テメェ等の”正義”を成す為に”悪”を打倒する事が目的
自分達に賛同しない相手に理解してもらいたいから、相手を尊重する テメェ等に賛同しないヤツは敵だから、尊重も情けも無用
理解してもらうためには議論が不可欠だから、話し合いは歓迎 話し合いとは、テメェの言い分を相手に押し付ける為の場
自分等の意見に問題があれば認めるし、改善のチャンスと捉える テメェ等の落ち度を認めると士気が下がるから、基本認めない
幅広い大衆の支持を得たいから、過激な言動は控える テメェ等に賛同しないヤツ等の意見はどうでもいいから、言動はドンドン過激になる
対立相手はやがて仲間になるかも知れないから、尊重し排除しない 対立相手はやがて害を成すと考えるから、積極的に排除する

簡単に言うとこんな感じである。だから連中はやる事なす事が過激だし、態度がやたら失礼だし、現実離れした主張を押し付けてくるのである。連中はテメェ等の意見を理解してもらうつもりは毛頭なく、政争に勝って支配者になって押し付ければ良いと思ってるのである。

 何故闘争路線に走るかって、弱虫だからである。弱虫だから言葉だけで動揺して傷つくから相手を黙らせようとするし、弱虫だから対立相手を放置して勢力増やされるのを恐れるから排除しようとするし、弱虫だから個々では戦えず徒党を組んで全体主義に陥るのである。本来「立場の弱い弱者である」と「ヘタレな弱虫である」事は別の話なのであるが、ソレを混同してしまってるのである。だから【Siriごときに被害妄想を膨らませてイチャモン付ける】ようになるのである。結局「自分は虐げられてる」って思い込んでるから、何をやったって炎上してしまうのである。

 実はワタクシもそういう事やってる知り合いが居たりするのであるが、ワタクシの見る限りでもソイツ等はガチで世の中を変えたいと思ってるように見えないのである。そういう言動をする事でテメェの生き方が間違ってない事を示したくて、SNSでソレを主張する事で同じような仲間と気持ちを分かち合えるのが楽しい。だからムリして世の中を変えようとは思ってないのである:
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そう、ガチじゃないのである。ガチで世の中を変えたいんだったら、効率の悪い闘争路線なんか取らないのである。だから闘争路線を歩むヤツってのはガチで世の中を変えたいと思っていないか、その事が全く分からないアホか、或いはその双方である。世の中を変えたいのであれば、時間はかかっても社会運動路線が正道にて王道なのである。

*やっぱ最後は議論
 理想とは、現実問題を一つずつ片付けていった先に、何時の間にか達成していたモン。他の人は知らんが、ワタクシはそう考えてる次第である。だから全ての揉め事は議論と法律により片付けるべきだと考えてはいるが、殺る気満々なヤツに丸腰で「ぼ、暴力はいけないから、は、話し合おう(震え声)」とか言うほど頭ハッピーセットではないのである。というのも議論と法律に基づかずに相手を排除したら相手の復讐が様々な形で来る可能性があるのもだけど、同時に自分が排除される事に怯える事になるからである。

youtu.be

 そう、茨の道過ぎてアレだとしても人々が議論と法治主義、及び言論の自由を保障しなきゃならんのは、相手を排除し続けたら最後にはテメェ以外誰も信用できなくなるからである。そしてその事はワタクシが言うまでもなく、古今東西の歴史が示している事である。だからクソむかつくヤツのクソ思想であっても(違法行為と主権侵害が無い限り)尊重して発言の機会を保障すべきだし、気に入らなきゃ目と耳を塞ぐだけである。弱者である事は罪ではないが、弱虫である事は大罪であると改めて思った今日この頃であった。

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