ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「私は、怖いという理由で挑戦から逃げることはない。むしろ挑戦に向かって突き進む。なぜなら恐怖を逃れる唯一の方法は、自分の足で恐怖を踏みつけることだからだ」
By ナディア・コマネチ
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*アンチの反対は賛成なのだ
ワタクシは東京五輪には賛成であるが、積極的な賛成というワケではないのである。正確に言うとワタクシは「アンチ五輪反対」なのである(笑)ぶっちゃけワタクシも「無観客にしてまでもやるぐらいなら、多少のリスクはあっても制限付きで観客入れるか、或いはもう一年延期しても良くね( ̄▽ ̄;)」って思うのだが、東京五輪に反対するヤツ等の言い分ややり方を見てる内に「こんなヤツ等の言い分を飲んで変に助長させるよりも、東京五輪を開催した方が遥かに有意義だッo(*`ω´*)o」って思うようになってしまったのである(爆)
無論、今の東京五輪にゃ問題点が山ほどあるし、五輪やIOCの在り方にも疑問が無いワケではない。が、ソレでもやはり反対派のやり方や言い分は受け入れ難いのである。中止した場合のデメリットを過小評価してる&海外から人がやってきた時の新コロ云々を過大評価してる&五輪後のニッポンを考慮してないのもだけど、一番はやっぱ「五輪に賛成してる人や、五輪を目指してるアスリートや、五輪を開催するために必死こいてる人。そういう人等に対する敬意が全く感じられない」って事である。テメェ等の安全と安心ばかり主張して、テメェ等以外の意見に対しミジンコたりとも配慮してないからである。
*数日の為の4年
中止されたら主催者やスタッフ達の今までの苦労もそうであるが、ワタクシ的に一番かわいそうだと思うのがアスリートである。本格的にスポーツやった事あるロンマニアの方なら分かると思うが、スポーツの試合で勝つってのは大変な事なのである(^_^;)ワタクシは大坊時代に漕艇部に所属していたのであるが、県の小さな大会や西医体レベルでも必死こいて練習してもロクに勝てなかったのである(´・ω・`)だからオリンピックに出る漕艇選手がどんだけヤバいのかがイヤと言うほど分かるし、漕艇に限らずどの競技の選手も才能を持ってて死ぬほど努力しただろうから、尊敬するに値するのである。
動画じゃ簡単そうに見えるけど、あんな細長い船でバランス崩さないように8人でピッタリ息を合わせて寸分の狂いも無く漕げるようになるには、気が遠くなるほどの練習が必要なのである。五輪反対派はアスリートを「脳筋」とかバカにするが、頭良くないと効率的に体を鍛えられない&試合を有利に運べないし、強靭な精神力が無けりゃアホほど厳しい練習にゃ耐えられんのである。そんだけの頭脳と精神力があれば、少なくとも何も分らず脳筋とバカにするヤツよりも社会では有能で有益な人間になり得るのである。職活で何故企業が体育会系を好んで採用するかって、つまりそういう事なのである。
でもって五輪選手は誰しもがそうであろうが、自身の競技を行う数日間で最高の結果を出す為に、4年間の間ハードなトレーニングを積んできたのである。ワタクシはその途方も無い苦労が分かるからこそ「自分が少しぐらい我慢しても良いから、何とか選手達に試合をさせてあげられないかねぇ(´ヘ`;)」って思ってしまうのである。この新コロ禍の世界、苦労はお互い様である。もしも「脳筋共の苦労なんか興味無いし下らないッ!」とか言うヤツが居たら、ワタクシはソイツに「そういうお前の人生は、五輪選手を下らないって見下せるだけの大層なモンなの?」と問い返す次第である。
*理解は不要でも敬意は必要
ワタクシはスポーツ選手の生き様に対する理解を強要はしないし、理解できないならできないで全然構わんのである。が、理解できなくても、敬意を示す必要はあるのである。たとえどんなに正しい事を言ってたとしても、意見を違える相手に対して敬意を示せないヤツの意見なんか聞けないのである。同じ土地で生きていく以上、敬意は重要である。経緯が無くなったら最後、ルワンダやユーゴスラビアみたいに同胞で殺し合うようになるのである。五輪には何対してるヤツ等は仲間内での共感と結束を高める事ばかり考えてて、肝心な「如何に自分達の五輪反対の意見を支持して貰えるか」が抜け落ちているように思えるのである。
でもまぁワタクシの知る限り、五輪に猛反対するようなヤツの相場が何となく分かるのである。テメェの事しか考えられない視野の狭いヤツか、昔体育会系にいじめられててソレを克服できない陰キャか、或いはその双方である(笑)やっぱ反対してるヤツのSNSとか見てると、皆見事に色んなモンを拗らせちゃっていて、正論かざして連帯して”脳筋共の世界的大会”を潰せればテメェの人生が好転するんじゃないかと信じてるようなヤツばっかである(爆)正義というシロモノが出身や家族や宗教や教育や環境によって区々である以上、正しさだけでは人や社会は変わらないと思う今日この頃であった。