アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

RETURN TO FANTASY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「人間は年をとるものだと始終考えていることほど、人間を老けさせるものはない」
By ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*ノーモア社外マフラー
 当初はNDに社外マフラー入れたいと思ってたのだが、気が付いたらズルズルと先延ばしにされていて、今となっては「あ"?どーせあと2年ぐらいで買い換えるだろうクルマに、なぜ社外マフラーなんぞ入れなきゃならないんだ( ̄Д ̄)」である(笑)ワタクシが社外マフラー入れたのはGDB時代の【ガナドール レーシングチタン 】が最初であり、現在最後でもあるのである。入れて思った事は「社外マフラー ('A`)マンドクセ」って事である(爆)つーのも最初の車検を迎えるにあたって、まだ2年ぐらいしか使ってない筈のマフラーが音量オーバーしてたからである。

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 そう、社外マフラーが面倒臭い理由がコレである。特に今はサイレンサー装着がダメって事なので、尚更面倒臭いのである( ̄~ ̄)でもってマフラーに期待される出力アップも今時のクルマはECUで補正掛けちゃうから、触媒も変えてECUを現車合わせで調整しない限り大したパワーアップも得られないのである。つまり社外マフラーに交換する意義なんてのは、音と軽量化以外は大して期待できないって事である。タイムアタックガチ勢で1gでもクルマを軽くしたいのなら兎も角、そうでなければマフラー交換する意義は然程無いってのがワタクシの見解である。

*オッサンの、オッサンによる、オッサンのためのチューニングカー
 だからNDも未だに交換してないし、GT3は元々ノーマルで十分だから替える気は無い次第である。でも巷じゃ未だにマフラー交換はチューニングの定番メニューだし、未だ色んなメーカーから新作が出てるのである。ソコに気付いた時、ワタクシは一つの結論を見出したのである。何故ワタクシが今時のチューニングカーにそそられないか、今までその理由が分からなかったのであるが、今回のその理由が「見た目だけは若者だけど中身はオッサンだから」って事に気付いてしまったのである(笑)肉体的なオッサンか精神的なオッサンか、或いはその双方かは知らないが、兎に角オッサンなのである(爆)

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 若い子ってのは、基本的にその時代の最高のモンや最先端のモン、そういうモンを多く取り入れる傾向にあるのである。単純にその方がスペックが高いのもだけど、年寄りが理解できない最新のモンを多用する事で上の世代に対する反抗心を示すという意味合いもあるのである。あの時代だと第二世代GT-Rやインプやランエボのハイテク4WDシステムがソレであり、2WDの軽さと自然なフィーリングを重んじる上の世代に対する反抗心として”邪道”なハイテクを歓迎したのである。新技術がもたらす圧倒的な力でオッサン共を捻じ伏せる、ソレこそが若者の最高のモチベーションなのである(笑)

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 ンで、今時の国産スポーツカーやチューニングカーに、そういうオッサン共が「邪道だッ!」って眉を顰めるようなモンがあるだろうかって話であり、ソレに対するワタクシの答えは「殆ど無い」である。何ちゅーか「昔の諸々を最新技術でリメイクしました」ってクルマばっかで、オッサンの心には刺さるだろうけど、若者の反抗心をそそるようなモンは見当たらないのである。ぶっちゃけた話、国産スポーツカーよりも911やケイマンやM4とかの外車の方が、オッサン共が眉を顰めるような最新技術を多数盛り込んでるのである。昔をやり直したいってなら話は別だが、ワタクシにゃそういう趣味は無いのである。

*慣れ&ノスタルジア
 そう、若い子が「MTの方が”自分で運転してる”って楽しさがある、自分とクルマが繋がったような感じがする」なんて言うはずが無いのである。若い子ならば「オッサンやジジイ共のノスタルジアなんか知った事かo(*`ω´*)oクルマは速けりゃ正義なんだヨ!」とか言いながらATやDCT等を好んで選ぶモンであり、ソレこそが古代エジプトの時代から現代に至るまで続いてる「若者らしさ」ってヤツである。反抗心の無い若者文化なんてのは、言わばハカを踊らないオールブラックスみたいなモンである。だからワタクシは今時のチューニングカーを「若者のふりをしたオッサンの乗りモン」と称するのである。

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 じゃあ何故そういう風になってしまったかって、ワタクシは「チューニングカー文化が今やオタクのモンになってしまったから」じゃないかと思うのである。オタク文化って、基本的に社会や上の世代への反抗心って要素は薄く、基本的に内向きの閉じられた世界なのである。そんな中で頭文字D湾岸ミッドナイトみたいなマンガ作品やグランツーリスモみたいなゲームが成功し、ソレに対する憧れの延長線って形で独特の文化が形成されてしまったのだと思うのである。DQNが始め、利口が流行らせ、オタクが終わらせる。そう考えるとチューニング文化は終わりが近いんじゃないかなとも思う今日この頃であった。