アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

A EULOGY FOR THE DAMNED

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「悪人は、善人のずる賢さに気づいて、いつも驚く」
By マルク・ド・ヴォーヴナルグ

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

マリーシアのススメ?
 確かジーコがニッポン代表の監督に就任した前後の頃だったと思うが、インタビューアーが「ニッポンのサッカーに足りないモンは何ですか?」と質問してきたのに対し、ジーコは「マリーシア」と答えたのである。よーするに「反則ギリギリか、見えないトコでシレっと反則するか、或いはルールの盲点を突いたいやらしさ」といったトコである。ジーコは「ニッポン人は余りにもクソ真面目にルールや作法を守るため、海外の選手が繰り出すマリーシアに対応できなくて、ソコで思い切った勝負ができてない」って事を言いたかったのである。

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 別にジーコは「ニッポン人選手も積極的にマリーシアやれ」って言ってるワケではないのである。コレはよーするに「マリーシアに警戒して対策しろ」って事なのである。サッカーに限らず、外国人ってのは「総論が上手く行ってれば各論が少しアレでも大目に見る」「結果が全て」って考え方が多く、各論の一字一句にまで拘るニッポン人の方が逆に珍しいのである。コレは「どっちが良くてどっちがダメか」の話ではなく「海外はそういうモン」であり「でもサッカーの中心地は欧州」であるってだけの話であり、勝敗が全ての世界に「ニッポンの国民性ガー」って主張しても意味が無いのである。

マリーシアvs残心
 最近オリンピックにおける柔道の誤審云々が話題になってるが、ワタクシはアレもマリーシアの一種だと思ってるのである。審判の見えないトコで嫌らしい攻撃を仕掛けて少しでもダメージを与える、無礼なマネをして相手をイラつかせて集中力を削ぐなど、そういったズルを多少なり仕掛ける輩はどのスポーツにも居るモンであり、柔道も然りである。だからあの誤審に関してのワタクシの見解は「スペイン選手:審判:永山=2:3:5ぐらいで悪い」である。ニッポン人的には納得行かないだろうが、ココで「待て」と言われて素直に脱力したのは悪手だったのである。

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 ココで頭の片隅に「相手が聴こえなかったフリをして攻めを続行してくるかも」って考えがあったら、その後の展開も変わってたかも知れないのである。たとえズルかろうとも審判が試合を成立させてしまえば終わりだし、スポーツでは審判は絶対なのである。じゃあ如何すれば良いかって、答えは「残心」である。ソレを分かり易く身を以って示してくれたのが、他ならぬIOC会長のトーマス・バッハだったりするのである( ̄▽ ̄;)コレは3年前の東京オリンピックの時の動画であるが、正に「The残心」のお手本みたいなソレなのである。

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 通常再生だと分かり難いが、バッハが少年に一本決めた時、遅れて放たれた少年の一撃をバッハは剣で弾き返した上に、その後もバッハの顔と剣先は少年の方をずっと向いてるのである。どういう事かって、バッハは「万が一誤審で決めた一本を取ってもらえなかったとしても、相手に一本を取られないようにして、且つ試合を継続させるため」にそうしてるのである。多分バッハは現役時代ずっとそうやってきてて、ソレが習性として身体に浸み込んでるのであろう。こうやって「残心を取る事で誤審やマリーシアに対処する」のが理想であり、マリーシアマリーシアで返しては同じ穴の狢なのである。

*柔道vsJUDO
 ワタクシは元々外国人なんでマリーシア云々は簡単に受け入れられたが、多分純ニッポン人のロンマニアの方の中には納得行かない方が少なくないんじゃないかと思うのである。ただコレに関してもワタクシの見解は「国際化を目指した時点でこうなる事は分かってた筈」である。世界で柔道人口が増えれば何時かは数的に「JUDO家>柔道家」になるワケであり、そうすると自ずとJUDOが主流になってくるのである。明太子スパゲッティやナポリタンに対し本家イタリア人が「邪道だッ!あんなモンはパスタじゃないッ!」って言われても、ニッポン人は決して食うのを止めないのと同じである(笑)

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 だから「柔道の起源はニッポンなんだから、ニッポンのやり方や精神性に全部合わせろッ!」ってのは、ワタクシは傲慢な言い分だと思うのである。ニッポン人がマリーシアを理解し難いのと同様、外国人もニッポン的なクソ真面目さを理解し難いのである。明太子スパゲッティを許容して欲しいなら、こちらもカリフォルニアロールを許容しなけりゃならないのである(笑)ニッポンという少子化が進む国の閉じコンになって先細っていくよっかは、形は多少変わっても世界中に広がって繁栄した方が良い。他人はどう考えてるか知らんが、少なくともワタクシはそう思う今日この頃であった。