アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

CHILLS AND THRILLS IN A DRAMA OF MAD SINS AND MYSTERY

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「追憶に耽ることによってのみ、慰安をむさぼるのは愚痴である。しかし近代人は見知らぬ未来を逐うことにのみ心惹かれて、自らの辿ってきた懐かしき過去に何らの感激を見出そうともしない」
By 九条武子

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

*夏だ!茨城だ!BBQだ!
 世間は夏休みで、先週はお盆ウィークだったらしいのであるが、医療従事者であるワタクシには何の感慨も無いのである(笑)ちゅーのも基本的に1年365.2422日23時間56分4.1秒常に営業してなきゃならない職場なんで、ソコんトコの季節感があんま無いのである(^_^;)ただまぁ病院に住み着いていたような研修医時代とは違って、ある程度歳を取ってくるとイベントも楽しめるようになってくるのである:


つい先日はこんな風に、茨城県某所に新居を構えた某ロンマニア宅にてBBQなんぞ楽しんでたりしたのである。ただまぁ時期が時期なんで、当然ながら超絶クソ暑かったのである ι(´Д`υ)


「WBGT値」でググって温度と湿度を当て嵌めてみれば、当日の状況が如何にヤバかったかが分かるってモンである(笑)ココまで来ると日陰に行っても空気そのものが暑いので、マジで色々アレになってくるのである( ̄▽ ̄;)


一応ドリンクだとかアイスだとかも多数用意しておいたのであるが、やっぱ大自然には敵わなかったのである(笑)この時期は曇り空でも紫外線が雲をガンガン突き抜けてくる&気温と湿度の高さが身体から水分をガンガン奪っていくので、マジでソコんトコ要注意である。


結局参加者全員暑さに耐えられなかったんで、室内にてパスタ食いながら二次会してたのである(笑)やっぱこの時期、野外で彼是するのは色々とアレなのである( ̄▽ ̄;)昔読んだ本で「熱帯域の国々に先進国が無いのは、暑い日は何をどーやっても働けないから」って書いてあって、今日改めてその真意を理解できたのである(爆)

*祝!?30周年
 10周年の時は当ブログを開設してなく、20周年の時は諸事情で公表できなかったが、30周年となった今、漸くその事を公開できるようになったので公開する次第である。実は今月14日で、ワタクシが来日して30年になったのである ∩(゚∀゚∩)そう、20周年時に公表できなかった理由は、当時はワタクシの国籍はトップシークレットだったからである(笑)


コレが当時のパスポートである。30年前の8/13夜にジャカルタを発って、翌日8/14に成田に到着したのである。当時は東京のニッポン語学校に通うためのビザであり、ジャカルタのニッポン大使館で取ってきたのである。何だか手続きが色々面倒臭かった記憶があるのであるが、今となってはど~でも良い事なのである(笑)なぜニッポン語学校なのかって、答えは「ビザを取るため」である。本命は大学受験なのであるが、観光ビザじゃ受験できないため、編入という形で入学するしか方法が無かったのである。


ある意味お宝画像と言えるかもしれないが、15歳の頃のワタクシの写真である(笑)今のワタクシを知るロンマニアの方々はコレ見て大変驚くであろうが、ソレが30年という時間なのである(爆)因みにパスポートに切り込みがあるのは、インドネシア大使館による「このパスポートは無効である」という印なのである。


ニッポン語学校に通いながら並行で大学受験して、無事医学部に合格したんでそのまま留学ビザを卒業まで更新し続けて、卒業後は在留資格を「留学」から「医療」に変更してソレを更新し続けて、ビザやパスポートを更新し続けるのも面倒臭くなったので国籍を変更して今に至るってワケである。


左上から右下まで、ワタクシが使ってたパスポート全部である。右下の一番新しいヤツは今年10月には失効するので、ソレを以ってインドネシアとの縁は完全に終了である。まぁニッポン国籍取った時点で法務省の中の人が各国大使館に通告してるから縁はとっくに切れているのであるが、まぁ気分的なモンである(笑)ついこの前、評議会選挙の投票用紙が大使館から送られてきたので、今度また送ってきたらマジでソコんトコどうなってるか問い合わせた方が良さそうである( ̄~ ̄)

*懸け橋になり損ねた男
 通常、この手の留学生って「卒業して一人前になったら、今後はニッポンと祖国を繋ぐ架け橋になります」って言うのであるが、ワタクシは言わなかったのである。何故かと問われたら「本ブログのタイトルにある通り」が答えである。アスペルガー野郎に懸け橋になれなんてのは、ニワトリに太平洋横断させるぐらいムチャな話だったって話である(笑)ニッポンどころか祖国にすら居場所が無かったんで、そりゃ懸け橋もへったくれもないに決まってるのである(爆)そっから先はロンマニアの皆様もご存知の様に、ニッポンに残って好き勝手生きてきたのである。

youtu.be

 流石にあの当時は今ほどアスペルガーが周知されてなかったんで、そりゃワタクシもワタクシの家族も、大学も職場も、あと周囲の人々も分かる筈が無いって話である(^_^;)もし30年前にアスペルガー及び発達障害に関する知識と理解がニッポン及びインドネシアでも深く浸透していたら、多分だけど医学部入学を考えなかったかもだし、ニッポンへ留学しようとも思わなかった可能性もあるのである。結局人生なんてのは、その時になってみないと分からない事が多々あるモンである。改めてそう思う今日この頃であった。.