アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

BREAK THE RULES

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「年がいくほど、ますます青春を感じて夢が広がるんです。でも、次に必ず壁はある。それを乗り越えた時、パッとまた新しい世界があります」
By 植村直己

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

*敗因は昭和チューニング文化?
 初代NSXが最初の数年は話題性でバカ売れしたけど、その後急激に萎んだ原因って、結構色々あると思うのである。1つはSオーナーが以前「初代NSXはリア剛性が足りな過ぎて安心して踏めない」って言ってたように、初代モデルが故の熟成不足である。最初の内はソレが分からないから「取り敢えず買っちゃえッ!」ってなるけど、出回れば出回るほどその欠点が口コミで伝わってくって感じである:
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この動画でドリキンが「上手く乗れる人が乗れば速い」って言ってるけど、ソレってよーするに「熟成が足らなくてスイートスポットが狭い」って事でもあるからである。S2000もソレだけど、本来こういうのってフルモデルチェンジを繰り返してスイートスポットを広げていかなきゃガチ名車にはなれないんだけど、バブルの終了がソレを不可能にしてしまったのである(´・ω・`)

 あともう1つは「昭和のチューニング文化の影響」である。あの時代の国産車ってブランド力が低くて欧州車と比べても完成度がイマイチで、安く売らなきゃ売れなかったのである。だから足りない部分をチューニングで補うのが常となっていて、スポーツカーは「買ったら速攻でチューニング」が当たり前になっており、NSXが生まれた時代にはBNR32というチューニング文化の大正義が猛威を振るっていたのである:
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でもってその点NSXはチューニングに対する許容量が低く、絶対的な速さでBNR32FD3SやA80に追い付けなかったのである。NSXが欧州車的なモンを目指してたのは分かるのであるが、当時の国産車界隈にはそういう考え方は無かったのである。欧州車には完成度で負けていて、チューニング許容度でも他の国産勢に負けている。そりゃ尻すぼみになってくはずである(´・ω・`)

*踊りますか?踊りませんか?
 ワタクシが数年前ネタにした「25歳の壁」であるが、今後ワタクシは「バブルの壁」と改名しようと思うのである。バブル崩壊が本格化した90年代前半、その前に生まれたか、その後に生まれたかで、価値観が全然変わってくるからである。ワタクシが思うに、バブル崩壊前に生まれた世代は、バブル時代の価値観を幼少期に叩き込まれてるのである:
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バブルが崩壊したと言っても実際に生活が苦しくなるまでは数年の猶予があったし、崩壊した後もバブル的な価値観(良いトコに勤めて終身雇用&退職金でウハウハ、クルマ&家&腕時計はステータスシンボル、どうせ買うなら一番良いモンを、努力は報われる等々)は結構残ったから、バブル前に生まれた世代はその価値観をずっと引きずってて、今でもワンチャン狙おうとするのである。

 こう書けば、バブル崩壊後に生まれた世代の考え方の土台が分かると思うのである。そう、バブル崩壊後に生まれた世代は、ニッポンがアホほど豊かだった時代を知らないのである。物心付いた頃にはもう就職氷河期で、社会には昔のような楽観性も余裕も乏しく、内需だけで社会がほぼ回ってた時代を知らないのである。ワタクシが知る限り、バブル後生まれの世代はこんな感じである:

  • ネット端末がPCではなくスマホがメイン
  • デジタルネイティブだから何事もネットが中心になる
  • ステータスシンボルに興味が無く、出世欲にも乏しい
  • リアルとバーチャルの境界線が曖昧で、曖昧な人間関係が苦手
  • 能力のあるヤツと無いヤツの二極化が顕著

といった感じである。大谷翔平藤井聡太みたいに凄いヤツはネット時代の恩恵をフル活用してバブル前よりも凄くなってるんだけど、ネット時代が便利過ぎて時代に流されてるがまま狡賢いヤツ等に弄ばれてるヤツも大勢居るって感じである。

 分かり易く言うと「(相対的に)貧しくなったニッポンに適応して生きてる」のである。モノを選ぶ時も「取り敢えず安いモン」を選び、給料も安い&出世しても大した事無いからガツガツしないし、何かにつけて効率(タイパ、コスパ等)を追い求める。よーするに色んな意味で余裕が無いから、余裕が無いなりにベストな選択をしているのである:
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だからワタクシは「今の若いヤツ等は気概が無いッ!」とは言わない次第である。だってバブル後世代から見れば寧ろバブル前世代の方が”異常”と言えるワケだし、抑々バブル時代そのものがニッポン経済の突然変異みたいなモンだからである。どっちが良いか悪いかではなく「単に時代が違うだけ」なのである。

*勉強を制する者は世界を制す
 ただまぁ、ワタクシとしてはZ世代、つまり今の若い子には結構同情してしまうのである。何故かと言えば、90年代後半にネットが普及して以来、必要な知識の量も質も格段に増えていったからである。以前読んだ何かの本で「今時のネットを使いこなすのに必要なIQを持ってる人間は1/6しか居ない」ってあって、ソレって簡単に言うと「IQ115以下は今の社会についてけない」って事だからである:
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何故今の若い子がタイパ云々言い出すかって、答えは「IQが相対的に足らなくて取捨選択や臨機応変や創意工夫が出来ないから」なのである、そういうのが出来ないと、表面的なモンを短時間で可能な限り詰め込むしか方法が無いのである。コレは誰が悪いとかではなく、ネット時代になって知識や情報が膨大になったからである。

 その反面IQが115以上ある賢いヤツは情報をシッカリ見分けて、足りない分を様々な手段で補って、ネットの海で溺れてるヤツ等の分まで荒稼ぎするようになるのである。だから情報化社会になって社会格差が広がるのは政治の責任とかではなく、情報化社会になれば自ずとそうなってしまうのである。ネットリテラシー格差は広がり続け、その反面廉価スマホはドンドン普及してネットの敷居は下がり続ける。結果、ネットに流されるヤツが増えまくるのである:
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でもって以前からワタクシが言ってるように、狡賢いヤツ等がこういうネットに流されるヤツ等の怒りや嫉妬やルサンチマンを上手く煽って、ただでさえ薄い負け組達の財布を更に薄くしていくのである。今も昔も、より良く生きるのに必要なのは、勉強。改めてそう思う今日この頃であった。