ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「過去の出来事の記憶は、必ずしもあったままの形で留まっているとは限らない」
By マルセル・プルースト
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*復讐か割り切りか
暗い過去があったり辛い経験をしたヤツが何らかの形で成功を収めた場合、ワタクシの知る限り大きく分けて2つのパターンに分かれるのである。1つは「世の中や世間に対する反抗精神をエネルギーにして、修羅として激しい争いを勝ち上がってのし上がるパターン」であり、そしてもう一つは「ソレ等を諦観し反面教師として昇華して、人格者として成功するパターン」である。でもって、どちらが大衆にウケるかと言えば、断然前者である。本屋行ったりテレビを観たりすれば、大概前者の苦労話からのサクセスストーリーで賑わっているのである。
イーロン・マスクもそうであるが、トランプもヴァンスも典型的な前者なのである。前者だからこそ「カネを稼ぎまくって力を得てやるッ!のし上がって世の中を変えてやるんだッ!」っていう狂気的で強烈なモチベーションが生まれるし、挫折や敗北感を抱えた人達に熱烈に支持されるのである。後者はそんなモチベーションが無いから目立たない&実績が地味なのもだけど、挫折や敗北感を抱えた人等から「俺達の声を代弁してくれないッ!」って疎んじられてしまうのである。やっぱ何だかんだ、カネや地位はソレを強烈に欲するヤツのトコに集まり易いのである。
*グレートリセットのススメ?
何だか最近、アメリカが役人をクビにしまくったりとか、今までの西側諸国協調路線から「力こそパワー」路線に唐突に切り替えたりとか、世界の多くは戸惑うだろうけど、上記の前者パターンに当てはめると何となく分かってくると思うのである。前者は基本的にガキの頃に酷い目に会った経験から「嫌われたら嫌い返す」「テメェと賛同者以外は全て敵」の精神でのし上がってきたから、その理論で国を動かそうとしてるのである。でもって、その類のヤツが頂点に立った場合、最も叶えたい事が一つあるのである。ソレは「世界のグレートリセット」である。
このグレートリセットこそが、言うなれば「自分をコケにした世界や人々に対する最大の復讐」であり「もう二度と自分みたいな可哀想な人間を生まない様に世界を変える」って事なのである。当然だけどマスクやトランプやヴァンスの支持者は失敗や挫折を抱えていて、その事で大きなルサンチマンを抱えているのである。ソコから「世の中のダメなヤツ等やダメなシステムやダメな既得権益構造を破壊すれば、俺達にもワンチャンあるかもッ!」「今は一時的に苦しくなるけど、全てが上手く行けばきっと良い世の中になるッ!」って歓迎してしまうのである。
ニッポンの財務省解体デモも似たようなモンである。テメェの生活が苦しいのは狡賢いヤツ等が権力を握ってる所為であり、ソイツ等を排除すれば俺にもワンチャン訪れる筈。左右問わずそう考えるヤツは結構な数居るのであり、狡賢いヤツはソコに便乗してカネや票を稼いでるのである┐(´-`)┌ワタクシは再分配は余り好きではないが、今の欧米の現状を見ると「やっぱ再分配は必要かも( ̄▽ ̄;)」ってなってしまうのである(笑)格差を何とかしないと左右に大きく分裂したルサンチマン票により、選挙の度に左右交互にグレートリセットをかまされる羽目になるのである(^_^;)
*レッツ諦観
でもってワタクシはどちらかというと後者側の人間なんで、こういうのは基本的にご免被ってるのである。ちゅーのもこういう人生って、常に信者とアンチとの板挟みになるからである。信者を得るため信者を喜ばせるためには常にアンチと戦わなければいけなくなって、必要あらばそうでないヤツをもアンチに仕立て上げる必要があるからである。でもって熱心な信者ってのは、些細な事で強烈なアンチに変わってしまう事が間々あるのである。そういうので踊りながらカネや名声を得る人生をワタクシは否定しないが、ワタクシはそういう面倒臭いことは真っ平御免なのである┐( -"-)┌
じゃあ暗い過去や辛い経験はどうするかって、ワタクシは「諦観を持て」と言う次第である。諦観って別に全てを諦めることではなくて、要は「全体を長いスパンで見て、得られるモンは最大限得て、どうしようもないモンは潔く諦める」って事なのである。ちゅーのも前者側が求めてる復讐やら埋め合わせやらってのは、完全に満たされることは決してないからである:
youtu.be
何故ならば加害者側はいわば「勝者」であり、勝者は決して反省なんかしないからである。百歩譲って謝ったとしても「面倒臭いから事を丸く収めるため」に謝るのであり、千歩譲って損害賠償を取れたとしても「裁判所が命じたから仕方なく払う」のであり、被害者が求める「真心からの謝罪」は決して得られないのである。でもって満たされない欲求は他の方向で爆発するから、トラブルは終わらないのである。たかが諦観、されど諦観な今日この頃であった。
