ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「立法者にしろ革命家にしろ、平等と自由を同時に約束する者は空想家か、さもなくば詐欺師だ」
By ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*推しの革命家
革命を望むほどに世の中や社会を憎むヤツは昔から大勢居たし、その中から革命家が生まれてくるのも古今東西変わらんのである。じゃあ今は何が変わったって「革命家を推す方法が多様化した」って事である。昔は革命したくてもその能力も人望もなく、度胸も無かったからリアルで運動員になれなかったヤツでも、今はネットSNSを通して推しを推しまくれるのである。推しの言葉を拡散しても良し、ネット経由で推しに寄付しても良し、そして推しのアンチを炎上させても良しである(笑)テメェで革命を起こせなくても、革命家を推す事で間接的に革命に参加してるのである。
トランプ然り、山本太郎然り、イーロン・マスク然り、ホリエモン然り、ひろゆき然り、暇空茜然り。こうした「革命家」達はいい加減な事を言ってるように聞こえて、実際いい加減だったりするのであるが、支持者からすれば「ソレでも良い」のである。革命家に集って大きな勢力を築けば、その勢いで世の中を変えられるかも知れない。世の中が変われば、クソみたいな世の中を支えてるヤツ等が倒れるかも知れない、そうなれば自分にもワンチャン回ってくるかも知れない、そう考えてるのである。要するに「世の中を壊してくれそうなヤツなら誰でもいい」のである。
*革命はエンターテインメント
そう、この手の「革命家推し」の特徴は「世の中を良くしたいのではなく、壊したい」なのである。革命家の取り組んでる事に興味無いし、何なら革命家そのものにも興味は無いのである。興味あるのは「革命家が如何にクソな世の中を壊してくれるか」だけなのである。だから話し合いが全然通じないし、色々と非建設的で非生産的なのである。何だか最近モタスポ界隈で【野田JUJUが青旗で云々】ってのを見た時、ワタクシは「彼女も”革命家”なんだなぁ~( ̄▽ ̄;)」って思ってしまったのである。実力はアレでも異様にファンが多く、そのファンが熱狂的なのが革命家のソレだからである。
その話聞いてワタクシは「なんか既視感あるんだよねぇ~( ̄▽ ̄;)」ってずっと考えてたのだが、つい最近その答えが「(゚∀゚)そうだッ!佐々木朗希だッ!」って気付いたのである(笑)共に「凄い才能があって」「容姿端麗で」「既存社会に抗っていて」「何処か簡単に崩れそうな脆さがあって」「ソレでも健気に頑張ってる」って共通点があって、だからこそ支持者が「彼女/彼が倒れないように俺達がシッカリ守ってあげて、共に革命を成就するんだッ!」って庇護欲を猛烈に掻き立てられるのである。だから二人共モタスポ/やきうを良く知るファンからは嫌われまくってるけど、熱心なファンがやたら多いのである。
ぶっちゃけ彼女/彼を推すファンはモタスポ/やきうに大した興味は無いのである。ただ彼女/彼が栄光を掴むトコが見たい、彼女/彼を見下してた既存のファンや既得権益が吠え面かくトコが見たい、ソレを見たら自分も最高にスッキリするし、クソ退屈な人生も多少は彩が出るってトコであろう。無論、落ち目になったらファン達は速攻で彼女/彼を捨てて、また別の勝てそうな革命家を推し出すであろう。アイドルやvTuberとかと同じで、革命家もまた「使い捨て」なのである。ソレを理解して以来、ワタクシは革命家になりたいと思わなくなったのである(笑)
*推すより推されろ
無論ソレが悪いとは思わないし、違法行為と主権侵害がない限り誰をどう推そうが自由である。だが1つ確実に言えるのは「ソレで得た”勝利”は長続きしねーぞ」ってことである。何せ名前も顔も所属も出さずに安全地帯からやってるんだから、満足感は非常に薄くなってしまうのである。何故スポーツとかゲームとかは自分でやった方が楽しいかって、ソレはズバリ「リスクを乗り越えるから」である。困難とリスクを乗り越えたからこそ満足感がヤバくて、その余韻が長く残るのである。地元の小さな大会で賞を取っただけにしても、自分の力で得た勝利は別格なのである。
ゲームを自分で苦労してクリアせずに、YouTubeのクリア動画だけをどんだけ観ようとも、自力でクリアした時のような満足感は得られないのである。うまい棒を1000本齧ったトコで、銀座の回らない寿司を自分のカネで食った時と同じ満足感が得られんのと一緒である(笑)ワタクシは大谷翔平のファンであるが、大谷翔平を推さない理由がコレである。大谷の超人的な才能と卓越したやきうビジョンには感銘を受けるが、でも自己肯定感や達成感はワタクシ自身のソレで得なければ決して満足できないからである。満足感はカネと時間ではなく、血と汗を流した量に比例すると改めて思う今日この頃であった。
