アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&718ボクスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

VIOLENT DEMOLITION

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「相撲は、自分がいっぱい汗をかいて稽古したら強くなり、お金を稼げるという道筋がはっきりしていた。自分の力ひとつで何とかなる単純さがよかった」
By 曙太郎

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。

*時代に選ばれてナンボ
 ワタクシは常々「スーパースターは時代に選ばれて&人々に望まれて誕生するモン」と語っているが、長嶋茂雄が正にソレなのである。単純にやきう選手として優秀だった、底抜けに楽観的で努力を惜しまない人だったってのも勿論あるが、一番はやっぱり「戦後の丁度良いタイミングに現れた」なのである。長嶋茂雄が人気を博したのが50年代半ばからであり、その頃のニッポンは丁度底を抜けたばかりの時期だったのである:
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大ニッポン帝国を解体して、敗戦後の後片付けをして、新たに主権を取り戻して「ニッポン国」として再出発することになって、ニッポン国民が「ようっし、ドン底は終わったッ!コレからは上を目指すだけだぞ~(* ̄0 ̄*)ノ」ってアゲアゲになってた最中、戦後ニッポンの象徴としてコレ以上ないぐらい相応しい長嶋茂雄というやきう選手が現れたんだから、そりゃ当時のニッポン人は熱狂する筈である。

 丁度その頃はニッポンテレビ放送も始まって間もない頃で、テレビの普及と長嶋茂雄の加入で人気コンテンツの道を驀進していたプロやきう(現NPB)が最高のケミストリーを発揮していたのである。そう、各々がバラバラだったシロモノが、長嶋茂雄という最高の触媒を介する事で重厚で壮大な化学反応を巻き起こしたのである。コレは「長嶋茂雄があの時代に活躍したからこそ」起こったのである:
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だらもしも長嶋茂雄があと60年遅く生まれてたら、実力はあるからスター選手にはなってただろうけど、ニッポンやきうの象徴にはなってなかったと思うのである。多分、今の鈴木誠也みたいな感じになってたんじゃないかと思うのである。何故ならば、今のニッポンが望んでいるのは長嶋茂雄ではなく、大谷翔平だからである。大谷もまた、今の時代と人々に選ばれたと言えるのである。

*大相撲×SUMO
 話は変わって、白鵬がニッポン相撲協会を辞めたんだそうである。そんでもって【新たに相撲のプロリーグ(以後SUMO)を作る】んだそうである。コレに関して「神事ガー、伝統ガー」って声もあるが、ワタクシとしては「いいぞもっとやれ」と言いたいのである(笑)むしろワタクシは逆に「何故やっちゃいけないの?」と問いたいのである。ワタクシは自由主義者なので、違法性と主権侵害が無い限り好きにすればいいと考えているからである:
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ぶっちゃけた事を言ってしまうと「SUMOの登場で大相撲が廃れるんだったら、ソレは自然淘汰」なのである。客が大相撲よりもSUMOが選ぶなら、資本主義社会においてはソレが正解なのである。大相撲の灯を消したくないなら相撲協会側が努力すべきであり、ファンや新弟子候補に角界を守る義務なんて存在しないのである。

 てゆーかワタクシは「相撲には世界的スポーツになるポテンシャルを秘めている」と考えてるので、相撲の国際化スポーツ化プロ化はむしろ歓迎だったりするのである。スポーツが流行る理由は様々であるが、ワタクシは次の5つの要素が大きく絡んでくると思うのである:

  1. そのスポーツに掛かる費用
  2. プレイに必要な道具やインフラ
  3. 時間と季節と場所による制約の大小
  4. 見た目のインパクトと華
  5. 分かり易さと奥の深さ

この5つの要素から考えると、相撲は実に優れたコンテンツなのである。何故かと言えば:

  1. 実質タダ。精々廻しとちゃんこぐらい
  2. 身体1つ&最低2名&5m平方のスペースがあればプレイ可能
  3. 地球上何処に居ようともプレイ可能
  4. スモウ&スモウレスラーの知名度は世界的
  5. 勝敗が分かり易く取り組みもスピーディーで、その反面駆け引きが非常に複雑

という具合に、何時でも何処でも手軽に相撲はできるからである。廻しはベルトで代用できるし、土俵は地面に円を描けば代用できるし、昼休みの僅かな時間でも取り組みを複数行えるのである。高価な道具も電子機器も要らないから、電気も水道も通ってないアフリカの片田舎であっても相撲はできてしまうのである。だからSUMOが大ブレイクすれば、世界中から優秀な力士が集まってくる可能性があるのである。

 途上国に行った事のあるロンマニアの方ならご存知かもであるが、何故途上国の多くでサッカーが覇権スポーツになってるかって「サッカーはボールさえあればどこでもできるから」である。サッカーボールでなくても他のボールで代用できるし、何だったら新聞紙を丸くテープで固めたヤツでも代用できるのである。逆に言えば「何故モタスポは大いに広まらないか」の答えもココにあるのである(笑)
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  1. フェラーリチャレンジやカレラカップだと一回の練習で100栄一ぐらい余裕で飛ぶ
  2. レースするには多数のクルーが必要で、整備修理メンテの為のインフラが必要
  3. サーキットでしか走れないし、FIAグレード1&2に限定すると更に少なくなる
  4. レースカーのカッコ良さは別格
  5. ルールは複雑で分かり難いし、駆け引きの巧妙さも理解し難い

という具合に、モタスポは(4)以外は悉く悪条件しか揃わないのである( ̄~ ̄)だからルイス・ハミルトンが言ってたようにカネ持ちのボンボンしかやらない、競技人口が増えることも殆ど無いのである。ワタクシが「ゲーム出身のレーサーも大いにアリ」って常々言ってる理由もコレなのである。

*スーパースター誕生
 だからワタクシとしてはSUMOが何処まで世界的に流行るのか、上記のワタクシの理論が実際に当て嵌まるのか、その行く末を見てみたいのである。大口スポンサーを見つけて資金をゲットして、優秀な選手を確保して、大相撲と差別化するための取り組みが色々と必要になってくるのである。ワタクシの提案としては:

  • 刺青おk、廻しの下のスパッツ着用許可
  • クラスをライト級(80kg以下)、ミドル級(120kg以下)、ヘビー級(体重無差別)
  • 女子部門の設立

取り敢えずこんなトコである。宗教的心情的な部分のある程度の妥協は必要だし、人種や国籍によって体の大きさに差異はどうしても出るし、新たな可能性を模索するためにも女子部門は欠かせないのである。大相撲は神事だけど、SUMOはスポーツだと割り切ってしまうのである。.

 あとは何が欠かせないって、やっぱ「SUMOの長嶋茂雄」である。多くの人に希望と笑顔を与え、そして「俺もこの人みたいになりたいッ!」って思わせる存在。そういうのが1人居るだけで、そのジャンルは大いに盛り上がるのである:
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スーパースターが居ることの何が重要かって「スーパースターは次のスーパースターを呼び寄せるから」である。スーパースターの卵に「俺もこの人みたいになりたいッ!」って思わせられるのは、同じようなスーパースターにしか出来ないのである。やきうだと長嶋茂雄から今は大谷翔平にバトンが渡され、大谷に憧れた次のスーパースターがソレを継いでいくのである。人は量ではなく、質。世知辛いが事実な今日この頃であった。.