ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「すべての自由な選択の背後には世界観がある」
By ジョージ・ウェインバーグ
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*38年目の盲点
最近のRPGに関して思う事は「もう街の周りをグルグル回ってカネや経験値を稼ぐ必要が無くなった」って事である。テキトーにソン所ソコ等を歩き回って、ダンジョン入ったりサブクエストで寄り道したりして、そうしてる内に経験値もカネも勝手に貯まるのである。昔のファミコン版のドラクエもそうで、街の周りを只管グルグル回ったり、MPが尽きるまでダンジョンをグルグル回ったりしたモンである(~_~;)そうそう、ドラクエと言えば、もうすぐ1&2のリメイクが出るらしいのである:
youtu.be
何が一番驚いたって「サマルトリアの王女が仲間になる」ってトコがである。前回のDQ3のようなリメイクだったら「あっそう( ´_ゝ`)フーン」で終わりだったのであるが、このサマルトリア王女のソレで「ちょっとやってみたいかも( ̄▽ ̄;)」に変わったからである。
何がアレって「リアルタイムでファミコン版DQ2をプレイしてから38年間、この盲点に全く気付かなかったこと」である(^_^;)よくよく考えてみればサマルトリア王女も他の3人同様にロトの血を引いてるんだから、一緒に戦っても良かったはずなのである。当初は「女の子だからか?」って思ってたけど、ムーンブルク王女も女の子だから無問題なのである( ̄▽ ̄;)何故ワタクシが38年間もその事に関して疑問を抱かなかったのか、実に不思議で仕方がなかったのである(笑)何ちゅーか、ガキ心に「そういうモンだ」って刷り込まれて、そのままオッサンになってしまったって感じである(爆)
*選択肢が無いということ
ワタクシがプレイした事があるのは後にも先にもオリジナルのファミコン版だけであり、その後何回かあったリメイクには全然手を出してないのである。そう、あの鬼畜難易度と悪名高いファミコン版DQ2であり、皆と同様にロンダルキア洞窟には泣かされたモンである (´;ω;`)因みにワタクシがどうやってロンダルキアを攻略したかというと:
無論メチャクチャ手間は掛かった&失敗も数多かったが、成功した時は感涙したモンである(笑)祠に辿り着いてしまえばソコを拠点にできるので、あとはレベルアップしまくってラストダンジョンを攻略するだけである。まぁラスダンでも「アトラス→バズズ→ベリアル→ハーゴン→シドー」の極悪5連戦があるのであるが、ソレ話すと限無いので省略である(爆)
今だったら「難し過ぎるッ!クソゲーだッ!」って速攻捨てられてるだろうが、でもワタクシ含むあの時代のガキンチョ共はコレを楽しみながら攻略してたし、ファミコン雑誌や攻略本はロンダルキアで特集組んでたし、DQ2の当時の評判は「神ゲー」だったのである。あの時代はまだネットが存在してなくて、当然だがスマホもまだ無かったのである。ゲーム機もファミコンぐらいしかなくて、一応他にもセガマークIIIやX68000もあったがマニア向けで、ゲームは実質ファミコンだけだったのである。選択肢が無いんだから、そりゃファミコンを楽しむしかないのである。
何故あの時代にファミコンがあんだけブームになったかって、答えは「ファミコン以外の娯楽が無かったor他が総じてショボかったから」なのである。人は選択肢が無くなれば、選べるモンを最大限活用するようになるのである。選択肢が無ければソレにのめり込むしかなくなるし、ソコから思いもしなかった極め方が色々出てくるのである。でもソレもファミコン(含むスーパーファミコン)しかなかった時代までであり、ソニーからPS1が、セガからSSが出て以来ゲームの多極化が進んで、ネットが進化してネトゲが出てきて、ガラケーが進化してソシャゲが出てきて、ソコから色々変わってったのである。
*ゲーム飽食の時代
でもってファミコン版以降、ロンダルキア攻略の難易度は下がったんだそうである(^_^;)まぁ流石に元ネタが難し過ぎたってのもあるんだろうけど、一番はやっぱ「親切にしないと客が他に行くから」なのである。スマホが進化して手軽にできる無料ゲームがアホほど増えて、ゲームは一気に「飽食の時代」へと突入したのである。この時代は何がアレって「ロクに味わわないまま次のモンを食っちゃう」って事である、ゲームに限った話ではないが、作り込んでも見向いてくれる人が少なくて売れないなら、ロクに作り込まないモンを取っ換え引っ換えしてくのが一番儲かるのである。.
結局選択肢があり過ぎると、人は苦労をしたくなくなってしまうのである。ソレしか選択肢が無いとソレを楽しむしかないから、すると自ずと「何か面白いモンを抽出してみよう」って考えるようになるのである。でも選択肢があれば面白さが分からなくても「他探せば良いや」ってなってしまうのである。だからゲームだけでなく、色んなコンテンツが「ただ分かり易いだけで底が浅く、使い捨てされることを前提としたモン」ばかりになってしまうのである。底が浅いから記憶に全然残らず、数を貪るようになるからカネも時間もムダにかかる。なぜ伝統的な娯楽が重宝されるのか、その理由が良く分かった今日この頃であった。
