ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m
「ジャーナリズムは、人の命を守り、権利を守るためにこそ存在していると思うのです。ただ人を驚かせようとするだけのショッキングな報道は、ジャーナリズムと言えるのでしょうか」
By 小谷真生子
といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。
*The敗者
マスコミが何故サヨクの巣窟と化すかって、古人曰く「昔のマスコミはブラック企業の代名詞だから」だそうである。学生運動時代に学生運動にハマり過ぎたせいでマトモなトコに就職できなかったヤツが、誰も入りたがらないブラックなマスコミ産業に就職したからというワケである、その他弁護士は「誰でも受験できるから」って理由で選ばれて、塾講師は「教員免許が不要だから」って理由で学生運動崩れに選ばれたのである。で、そういうヤツ等が心の奥底に秘めているのが「テメェは敗者である」という挫折感であり、この敗北感こそが現代のサヨク運動の根幹にあるモンなのである。
あとはまぁ有名な話だけど、当時のニッポンで大坊やってたヤツなんてのは、ほぼほぼ実家の太い坊ちゃん嬢ちゃんだったりするのである。途上国にあるようなガチ貧困やガチ差別やガチ民族紛争を全く知らないで、国内のクソ些細な事で闘争をブチ上げて、実行力の無い知識を振りかざすことで満足してしまう。ぶっちゃけガキの遊びでしかなかったのであるが、でも劣等感だとか虚無感を抱えてたヤツにとっては「何者でもないテメェが何者かになれる一世一代の大チャンス」だからソコに人生全ベットしてしまい、気が付いたら戻れなくなった→もうそのまま突き進むしかなくなってしまうワケである┐(´-`)┌
*ジャーナリズムは何処
急にそんな事をふと思ったのは、最近イランの方でドタバタし始めたのを見てからである。正月のベネズエラからそんなに間が開いてないのにイランだったから、何つーか「2026年は『地獄の窯の蓋が開いた年』と言われるのか( ̄Д ̄;)」と思ってしまったからである。世の中はスゲェ勢いで変わってるのであるが、同時に疑問に思ったことがあったのである。ソレは「ジャーナリスト連中は何処行った?」ってことである。本来なら真っ先にカラカスやらテヘランやらに行かなきゃならないのに、入ってくるのはネット情報ばかりだからである。
まぁコレはジャーナリストに限った話じゃないけど、普段はアメリカ政府及び西側諸国にだけ勇敢にモノ申す著名人ってのは、基本的に「敗者の論理」で動いてる負け犬エリート連中なのである。陰キャだったり、勉強できなかったり、モテなかったり、要領が悪かったり等々。そうして主流になれなかったり、権力闘争に負けたり、落ちこぼれたりとかしたヤツが、ニッポンのソレと同様に「実績やコネが無くても出来る仕事」に付き、挫折感や復讐心を心の奥底に抱えながら反撃のチャンスを伺っているのである。でもってベネズエラやイランは味方ではないが「敵の敵」であるが故にダンマリを続けてるのである。
そう、ココ数年は社会正義の在り方が従来の「提議をして、各々が考えて、各々が決断を出す」という個人主義的なソレではなくて、識者や著名人のコンセンサスが作り上げた「社会正義とはコレだ」ってヤツに集団で賛同して連帯して、ソコから「正しさではなく数で圧倒する」っていう集団主義的なソレにチェンジしてるのである。コレはサヨクだけでなくウヨクも同じなのであるが、とにかく今の時代はSNSのお陰で賛同と連帯を募り易くなったので、集団主義の方が力を持ち易くなってるのである。個人主義者を説得するのは困難であるが、集団主義者は「皆もそうだから、そうなろうよ」と言うだけで十分だからである。
*脱集団主義のススメ
だからイランの件もベネズエラの件も、果てはウクライナの件も「起こった事を、ありにままに伝える」ではなく「起こってほしくない事があるから、伝えるべき事を敢えて伝えない」って結論になってしまうのである┐(´д`)┌もう今時のオールドメディアって何処もそんな感じだから、だからフェイクが多く混じってたとしてもネットSNSで情報拾ってテメェで取捨選択した方が全然マシなのである。もうぶっちゃけオールドメディアは天気予報とスポーツ生中継と災害速報だけやってれば十分であり、報道に余計な私情は挟むなと言いたいのである。
結局世界中で社会の分断が進んでしまってるのも、ワタクシが思うに「人類は未だに集団主義を克服できてないから」なのである。テメェの人生を自己責任で生きられないから、肝心な決断を周囲の空気やら社会正義やらインフルエンサーやら宗教指導者やらカリスマ党首とかやらに委ねてしまい、挙句の果てには「統治する側の集団主義者」によって使い捨ての走狗になってしまうのである。どんな思想を持ってようと、どんなトコに所属してようと、肝心なのは個人主義者であること。集団主義者のままでは狡賢いヤツに喰いモンにされる、そう思って止まない今日この頃であった。
