アスペルガー医師ロンの日常

医師でもあり、アスペルガー症候群当事者でもあり、更には911GT3&ロードスター乗りでもあるワタクシのささやか(?)な日常

THE SACRAMENT OF SIN

 ロンマニアの皆様、こんにちはm(_ _)m

「子どもにとって親が何かしてくれるというのは、お金を稼ぐことじゃなくて、一緒にいてくれたとか、大事なときに“うん”と言ってくれたとか、そういうことなんです」
By 河合隼雄

 といった今日この頃、皆様はどうお過ごしでしょうか。


*作品と消耗品
 最近のエンタメは何が退屈って、その殆どが使い捨ての消耗品だからである。中身スカスカでもインパクトの強いモンを選んで、ソレをネットやSNSを使って手早く拡散して、運良くバズったら怒涛のグッズ展開やマルチメディア戦略を行い、バズらなかったor飽きられ始めたら早々に全面撤退して、また別の中身スカスカでインパクトの強いモンを押し出し、後はこの繰り返しである。何故昔あんだけ流行ったモンの中身を誰も覚えていないかって、中身がスカスカだからである。心に刻まれるモンは何も無く、ただ時間ばかりがムダに流れていくのである。

 何時までも心に残り続ける昔ながらの”作品”って、宮崎駿作品を除けば、多分エヴァンゲリオン(以後エヴァ)シリーズが今んトコ最後なんじゃないかと思うのである。ワタクシは大坊時代にリアルタイムでエヴァ全盛期を見てきたから分かるけど、エヴァの前後でエンタメシーンがガラリと変わってしまうぐらい、凄まじい衝撃を世の中に与えてたのである:

【公式】新世紀エヴァンゲリオン 第壱話「使徒、襲来」
スターウォーズガンダム北斗の拳同様、エヴァもこの先ずっと語り継がれていくだろうし、未来のオタク達が観て感動してファンになる事も多いであろう。そう、作品というモンは、この様に時代を超えていくモンなのである。今時の作品に、今後20年30年と語り継がれていきそうなモン、あるだろうかって話である。

*オタクと肯定
 で、そんな凄いエヴァであるが、実を言うとワタクシ、全然観た事が無いのである(笑)無印地上波版も、旧劇場版も、コミック版も、あとつい最近完結した新劇場版シリーズも、どれもまだ全然観てないのである。観たくないのかと問われたら「ノー」だけど、要するにこういう事なのである:

エヴァシリーズは余りにも有名で、DVDも簡単に手に入るし、今となっては動画配信サービスで何時でも何処でも観れる

「今観なくても何時でも観れるから、後でいいや( ̄▽ ̄)」ってなって観ない

そのままズルズルと、気が付いたら20年経ってた

今回の劇場版を以って、何時の間にかシリーズが完全終了してた

/(^o^)\ナンテコッタイ

というワケである(笑)その20年の間、様々な形でネタバレだとかパロディ作品だとか二次創作だとかが入ってきて、全然観てないにも関わらず話のあらすじが大体分かっちゃったから、更に拍車をかけて観なくなってしまったのである(^_^;)ニートになってヒマでヒマでしょうがなくなったらひょっとするかも知らんが、そうなったらそうなったでエヴァどころじゃなくなるであろう(爆)

 無論、旧劇場版の時の「オタクは現実に帰れ」騒動は知ってるし、今やってる新劇場版のソレも耳にしてるのである。抑々エヴァってのは典型的なオタク向けコンテンツであり、且つワタクシ自身もオタクなので、何故コレがココまで議論を巻き起こすかがよ~~~く分かるのである(笑)ガチのオタクが作品(及びその背後に居る監督や原作者やその他スタッフ一同)に一番望んでるのは何かって「自分達オタクの生き方に対する全面的な肯定」である。作品を通じて「お前達は正しいッ!だからお前達はそのままで良いんだッ!」って語りかけてもらう事で、オタクは生きる気力を得られるのである。

 オタクってのは多少なりと「自分達は世間に疎んじられ、嘲笑され、そして虐げられているッ!」って被害者意識を抱いてるモンなのである。ソレがオタク同士の連帯と結束を生み出し、互いに身を守り合うのである。そして宮崎駿富野由悠季、そしてエヴァ庵野秀明みたいなアニメ監督ってのは言わば「社会的に成功したオタク」なのである。そういう人達に「お前等は正しいッ!俺が保証するッ!」って言ってもらう事は、何よりの励みになるのである:

庵野秀明、カラー10周年で「エヴァ」「シン・ゴジラ」を語る
そんな「オタクの現人神」みたいな人間に「テメェ等オタクはキメェんだよ、ゴチャゴチャ言ってねぇで現実に帰りやがれ(゚Д゚)ゴルァ!!」なんて言われた日にゃぁ、そりゃ暴動でも起こしたくなるぐらい荒れるってモンである(笑)今ではワタクシも庵野が正しいと思えるようになってるが、世の中全てが敵に見えるような時に一番救いを求めてた人に「お前は間違ってる」って言われたら、弱いヤツはそりゃ絶望するってモンである。

*人生逃げた先にあったアニメ
 伊集院光曰く「アニオタはアニメが好きなのではなく、人生逃げた先にアニメがあっただけ」というが、全く以てその通りだとワタクシも思うのである。有名マンガ家や有名アニメーターが人間的にアレなヤツが少なくないのは、つまりそういう事である。で、そんな人生逃げたヤツがアニメ界の著名人に何を望むって、そういう「自分達と同じ境遇」の著名人達が自分等を肯定した作品で一般的にも有名になる事で、相対的に自分達を引き上げてもらう事なのである。テメェ等は被害者だから変わる必要は無く、変わるべき歩み寄るべきは偏見を今まで向けてきた世の中の方。そんな感じである。


04 クリエイターインタビュー アニメ監督 新海誠 (2014年)

 でも残念な事に、この手の作り手ってのは「人生を逃げたアニオタ」ではなく「真にアニメが好きなアニオタ」なのである。疎外感や劣等感を作品作りの情熱や想像力に昇華する事が出来た、類稀なる人種なのである。つまり原点は同じでも、向かう方向性が全く異なるのである。必死こいて作品作って昇華してる人等にとっちゃ、そりゃ作品に現実逃避したり自己投影してるヤツはキモいだけだし、そりゃ「現実に帰れ」って言いたくなるに決まってるのである(笑)人間が社会的なナマモノである限り、人は社会から逃れられない。改めてそう思う今日この頃であった。

f:id:LiongHMD:20210318235031j:plain